P.T.A. 作:西田三郎

「第4話」

■SON

 旧体育間の雨よけの下で20分ほど待っていると、校舎の渡り廊下から枝松がやってくるのが見えた。
 健康サンダルをパタパタいわせて。
 禿げ上がった額。油染みた髪。分厚い眼鏡に濃い無精ひげ。服はいつもチョークにまみれている。
 何て冴えない男なんだ、と功は思った。
 こんな男に、母の奈緒美と姉の理恵はいいように弄ばれているのである。信じがたい事実だった。
 
来ると思ってましたよ」功は出来るだけ、無愛想な声で言った。しかし自分が思ったより無愛想な声にはならなかった。緊張のせいか、すこし声が上擦っていた。
 「君が、功くんか」枝松は言った。ほんとうに無愛想な声とは、こんな声のことを言うのだろう。「話すのは、確か今日が初めてだな」
 「そうですね、でも…」功は枝松の目を真っ直ぐに見つめた。しかしそこには何も見つからない。思わず目を逸らしそうになったが、思い切って功は言葉を続けた。「いつも…姉と、母はお世話になっています
 枝松はそのまま電池が切れたように静止している。
 功は枝松の目をさらに奥を見つめ、何らかの感情の動きを読みとろうと目を凝らした。しかし、やはりそこには何も見つからない。まるで閉じた瞼に書かれた目のように、無機質で心の動きのようなものを何もを映さない目だった。


 しばらく気まずい沈黙が続いた。うかうかしていると、その気まずさに負けて、思わず意味のない言葉が口から出てしまいそうだ。功はそれを意識して押し戻した。
 「ほんとに…」先に口を開いたのは枝松のほうだった。「お姉さんに似ているね、君は
 「え?」虚を突かれた。まったくのフェイントだった。
 「遠くから見ると、お姉さんが男子の制服を着てるのかと思ったよ」枝松が機械的な声で言う。「よく、間違われないかい、お姉さんと」
 「何を…」思わず素っ頓狂な声が出た。声が完全にひっくり返っている。「何を、つまらない事言ってるんですか?」
 「いや、姉弟っていうのは似てるもんだなあ、と思ってね」枝松が薄笑いを浮かべた。同時に、功は自分の肌に鳥肌が立つのを感じた。
 「そんな暢気なこと、言ってる場合なんですか」もはや声が裏返っていることなど気にしていられない。「知ってるんですよ、僕は。先生と、姉と、母との事を」
 「…ふうん」枝松は功の予想を大きく裏切り、全く動揺しない。「…それで?
 「…それでって…」功は喉がからからに乾くのを感じた。
 「たしかに」枝松が相変わらずの一本調子で言う。「おれは、君のお母さんとお姉さん、両方とセックスしてるよ。でも、それがどうしたの?」
 「…あの…」功の頭は大きく混乱していた。予想していたのとは全く違う反応に、思わず目眩がした。「“それがどうしたの”って…」
 「君んちのお母さんは、確かに人妻だけど、でも恋愛は自由だろ。確かに不倫はいけないことだね。でも法律違反じゃない。君のお母さんだってだし、おれだってなんだ。お互いがしたくてセックスしてるんであって、何ら問題はないだろう?」枝松はまるで譫言のように抑揚のない声で、続けた。「それに君のお姉さんは確かにまだ15歳で、しかもおれの教え子だ。こっちのほうはちょっと法律違反かも知れないな。でも、おれはなにも、無理矢理お姉さんを犯しているわけじゃないよ。っていうか、お姉さんのほうがおれにセックスしてくれってせがむんだから、仕方ないだろう?
 「あ…あの…」どこでどう間違ったのだろうか。功は言うべき言葉を失い、目を泳がせるだけだった。
 「で、どこで知ったか知らないけど、それを君が知ってるからって、なんだって言うんだい?
 「…あの…」功は言葉を慎重に選んだ。どうやら相手は自分が考えていたような男ではないらしい。「あんたは、教師なんでしょう?教師がそんなことして、いいと思ってるんですか?」
 「…え?」枝松の表情がはじめて動いた。まるで白痴を見るような見下した目で、枝松は功を見ている。「教師?確かにそうだな。おれは教師だ。でもそれはおれの仕事であって、おれの一部でしかない。教壇に立って、授業しているときは、たしかに教師だよな。職員室に居るときも、教師なのかもれない。でも、仕事を離れたら、おれはただの男だよ。そこらに居る、ふつうの男となんら変わらない。君のお父さんとかと同じさ。なんで仕事が教師だって言うだけで、そこまで行動を制限されないといけないんだい?
 「…でも、いくらなんでも…母と…姉と両方を…」
 「…それはおれだけの責任かい?君のお母さんも、お姉さんも、おれとセックスしたいからしてるんだよ。別におれだけが悪いんじゃない。君のお母さんも、お姉さんも、で、おれはなんだ」
 気が付くと、枝松は功の目の前まで歩み寄っていた。息が掛かるくらいの距離に、枝松の顔がある。功はまるで金縛りに遭ったように動けなくなっていた。
 「…あんた…それでも…」功は必死で自分の表情に表れる狼狽を隠そうとしたが、枝松の目がその全てを読みとっていることは明らかだった。
 「それもで、教師かって?だから言ってるだろ。教師である前に、おれはふつうの男なんだ」枝松は完全に主導権を握ったことを悟り、完全に功の精神を制圧していた。功はまるで値踏みするような枝松の視線が、全身に絡みついてくるのを感じた。「ところで…君は、何のためにおれを呼び出したんだい?」
 「な…何のためって…」何のためただろう?
 確かに、2時間ほど前、何らかの目的を持って、あの水色の封筒を枝松の机の上に置いたのだ。
 しかし、それは何のためだ?
 何かが、許せなかったからだ。
 この男が姉と母にしているおぞましいことが、許せなかったからだ。
 だから、この男を糾弾するために、自分は枝松を呼びだしたのではなかったか?
 「…まさか、おれを揺すろうってんでもないだろ?だって、君にも、秘密はあるものな
 「?!」
 ハンマーで殴られたような衝撃を受けて、功は目を見開いた。
 「おれも君の秘密を知ってる。でも、そのことで君を責めたりはしないよ。誰だって秘密のひとつやふたつはあるもんだ。おれには、君のお母さんとお姉さんとの関係。そして君には…」
 「…何を言ってるんですか!?」功は思わず、枝松の胸ぐらを掴んだ。怒りとショックで、正気を失っていた。しかし、枝松は、予想もつかない行動に出た「…え…ちょっと!
 枝松の右手が、功の股間をズボンの上からしっかりと掴んだのだ。
 「なんだ…勃ってるじゃないか…?」枝松に言われた。
 事実だった。
 「やめっ…」腰を逃がそうとしたが、枝松に腰を抱き寄せられる。
 ゆっくりと枝松の手が、功の股間を上下に扱き始めた。
 「ほら、本当のことを言えよ…おれに、こうしてほしかったんだろう?」枝松の息が熱く、荒れていた。「それとも、聞きたかったのかい?お母さんやお姉さんが、あのときどんな感じなのか…」
 「やめろっ…」枝松を押し返そうとしたが、力が入らない。
 ズボンに入れていたシャツの裾を、荒々しい手つきで外に出される。シャツの中に枝松の左手が入ってきた。あっという間に、右の乳首をつままれた。「んっ…」
 「ん…?固くなってるぞ?」枝松が功の乳首を指先で転がしながら言う。「お前のお母さんはな、右の乳首をこうされるのが好きなんだ。知ってたか?」
 「お…」何とか声を振り絞ろうとした。「おおきな…声を出すぞ…」
 「出してみろよ、ほら
 「やあっ!」だしぬけにズボンのジッパーを下ろされる。
 手が入ってきた。ブリーフの上から、枝松の指が触れた。
 「なんだ…濡れてるじゃないか」枝松が耳元で囁く。「お姉さんはな、パンツの上からこうされるのが好きなんだ。」
 ブリーフを突き上げ、布地を忍耐の液で湿らせている鈴口のあたりを、枝松の指がまさぐる。
 「くっ…んっ…」
 「やっぱりお前も助平だなあ。おまえんちは淫乱揃いだな。…そうそう…、感じてる顔もお姉さんそっくりだよ。
 「や…め…」
 「でさ、やっぱり、お前の左の尻にも、黒子はあんのか?」
 「…え?」
 「お前の姉さんと、母さんの尻には、同じ所に黒子があるんだよ。で、お前にも同じところに黒子があるのか?
 「…?」
 「見てやるから、中に入ろうぜ」枝松が、功の躰を押す。功が振り返ると、旧体育倉庫の入り口が見えた。「おとといも、お前の姉さんとその中でイイコトしたんだよ。お前にも同じことしてやるよ。」
 「やめて…」ぐいぐいと押される躰。力の抜けた躰は抵抗する力を失い、言葉とは裏腹に枝松に押されるままになっていた。というか、後ろ歩きでひとりでに脚が入り口に向かっている。体育倉庫の入り口がぽっかり口を開けていた。その奥の闇が、功を誘っている。
 「ほんとはこういのが好きなんだろう?いつも、相手はおれじゃないけどな
 「やめろ!」我に返った。枝松を思いきり突き飛ばした。
 床に尻餅をつく枝松。

 功は枝松がどうなったかも確かめずに、全速力で掛けだした。旧体育館前に傘を置き忘れている。そんなことはどうでも良かった。シャツの裾は不格好にズボンからはみ出したままで、チャックが開いている。そんなこともどうでも良かった。
 雨に打たれながら功は、走りに、走った。
 枝松に触れられた部分…右の乳首と、布地を通しての亀頭部分…がずきん、ずきんと、まるで脈打つように熱くなっている
 走り続けているうちに、いつの間にか学校の外に出ていた。
 大雨が功の全身を濡らしていく。シャツは肌に張り付き、ズボンの中のパンツまでびしょびしょだった。
 日が落ちて、辺りは少し涼しくなっていた。外気が少しずつ、功の全身を冷やしていく。
 しかし、枝松に触れられた部分だけは、いつまでも熱く、まるで功を糾弾するように疼き続けた。
 この疼きが収まるまで、走るんだ。

 功は、そうすることに決めた。
 そのまま、いつまでも、いつまでも走り続けた。
 
 <つづく>

NEXT /BACK

TOP