P.T.A. 作:西田三郎

「第3話」


■TEACHER

 「起立」日直の田代がだるそうに声を出す。
 生ける屍のような40人の生徒達がだらだらと席を立つ。
 「」そういいながら田代の視線は相変わらず雨が降りしきる窓の外を見ている。
 生徒達がそれぞれにだらりと頭を垂れる。
 「着席」言い終わると同時に田代はもう席についている。
 まるで大仕事でも成し終えたように、生徒達がべたりと椅子に尻を下ろす。中には数名、そのまま机に突っ伏す者も居る。静まり返った教室。外からは地面を激しく打つ雨の音。
 「それでは、授業を始めます」ここ18年、毎日言い続けてきた言葉。
 もう仕事の半分は終わったようなものだ。心の中で枝松はいつも呟く。
 さて、今日はどの辺りからだっけ。オスマントルコの進軍からか、たしかそのへんだ。枝松は頭の中にある“自動操縦”のスイッチを押し、自動的にしゃべり、時折ポイントを黒板にチョークで書く。毎日毎日、それこそロボットのように同じことを続けていると、何も考えなくても45分の授業をこなせるようになる。生徒達が聞いているかどうかはまったく気にならない。とにかく自分の仕事は教壇でしゃべり、黒板に文字を書き、たまにテストの答案を配ることだ。
 授業を続けながら、枝松の頭は全く別のことを考えていた。
 クラスの席の中央あたりに座っている女生徒、藤川のことがちらりと目に入った。
 藤川は他の女生徒より少し大人びた雰囲気を持った生徒である。
 肩までの髪はつややかで、前髪が右目に掛かっている。目はほかの生徒達と同じく生気がない。半開きの唇にシャープペンシルの尻を当て、ぼんやり宙を見ている。ぽってりとした唇、一重瞼の切れ長の目。若干15歳にして、藤川はすでに“男好きのする女”の雰囲気を身につけていた。
 この生徒にはいろんな噂があった。
 同じ学年の男子生徒たちに、2000円で胸を触らせているとか、何とか。
 まあ、噂は噂に過ぎない。ここまで毎日が退屈だと、人は噂話くらいにしか悦びを見いだせなくなる。藤川が行っているとされる簡易風俗サービスの件も、そうしたいいかげんな噂のひとつだ。
 しかし…と枝松は思った。藤川の胸を見る。
 うちの学校の制服は(全国のどこの学校とも同じく)、女生徒たちが在学中に女として成熟するであろうことなどまるで考えずにデザインされている。
 藤川のブラウスは、今にも胸のあたりが弾けそうなくらいに張りつめている。
 2000円だって?とんでもない。おれなら5000円払っても惜しくはない。
 噂が本当だとするなら、藤川もまた、この気が狂うほど退屈な田舎の生活に、つぶされかかっている子ども達の1人だ。何の未来も、可能性も見いだせない田舎町。そんなところで過ごす思春期はまるで永遠のように感じられるだろう。
 たとえ中学を卒業しても、よっぽどの幸運にでも恵まれない限り、その退屈と虚無は死ぬまで続く。
 この町の人間というのはどういう訳か、この町を出ていくという選択肢を持とうとしない。
 みんなこの町に生まれ、同じ幼稚園に通い、同じ小学校を出て、同じ高校に通い、そしてそのままこの町で仕事を見つけ、かつてのクラスメイトと結婚し、そして作った子供にも同じような人生を強いる。大学へ進学したり、ほかの町で就職するような人間はほんの一握り。
 この町では誰もが、この町の中にしか自分の人生はないと思いこんでいる。
 藤川だってそうなのだろう。
 自分の乳の値段を2000円と見積もっている少女。哀れで惨めだが、自分を哀れむ脳味噌も、藤川にはない。そして2000円の乳も永遠で不滅の存在ではないのである。
 とはいえ…それにしてもいい乳をしている。
 枝松は自動的に授業を続けながら、藤川の乳の弾力を思い描いた。
 
 藤川を壁に押しつけ、ブラウスの前を開く。
 まろび出る藤川の乳。その生命力が枝松を圧倒する。
 安いパウダー入りワキガ消しの匂いと、若い肉体独特の甘い新陳代謝の匂い。
 藤川はどんなブラジャーを着けているだろうか?恐らくスポーツブラみたいなおざなりなものではなく、それなりに高級な大人向けのものをつけているに違いない。縁には固いワイヤーが入っていて、背中に手を回してホックを外さないとそれをたくし上げることは出来ない。
 ホックを外す。解放された乳の脂肪が、“たぷん”と揺れる。
 藤川の乳を眺める。
 b藤川はどんな目で自分を見るだろうか?恥じらって顔を背けるだろうか。それとも冷たく見下すだろうか。
 2000円で乳を揉ませている少女と、それ以下の2000円払って乳を揉ませてもらっている男。どっちが人間として最低だ?いや、どっちでもいい。とにかく藤川の乳を前に、どう対処すればいいか。恐らく10代の男子生徒達はその見事な乳を前にして、まるで5時間お預けをくらっていたが餌にありついたみたいに、全てを忘れてむしゃぶりつくだろう。千切れんばかりに乳を握り、引っ張り、乳首に吸い上げるに違いない。
 そんな時、藤川は何を考えているんだろう?
 バカねえ、と、乳ごときで我を忘れているオスどもを見下しているに違いない。
 たかが乳じゃないの。
 何をそんなに夢中になるワケ?

 醒めた目で男子生徒を見下ろしている藤川の表情を思い描いた。
 自分ならどうする?枝松はさらにイメージを広げる。自分ももう40歳。そう、たかが乳くらいで我を忘れてむしゃぶりつき、相手の気持ちなどお構いなしに揉み倒すような思慮のないようなことだけはしまい。はやる気持ちを抑え、じっくりと鑑賞してから、極上の素材にゆっくりと箸をつけるべきだ。
 手の平に藤川の乳を乗せ、その重さを量る。
 その重みを充分に味わった後、粘土をこねるようにゆっくりと感触を味わっていく。乳首には触れない。乳房全体の表面にゆっくりと手のひらを這わせ、その形が様々に変わる風景を愉しむ。そうしながら、自然と藤川の乳首が固くなっていくのを待つ。醒めた顔を作っていた藤川の男好きのする顔が、ほんのりと紅潮してくるまで。
 やがて藤川の乳首が固く立ち上がるだろう。固くなった乳首にゆっくりと口をつける、乳首の先を舌の先を使い、触れるか振れないかの微妙な刺激を与える。その間、もう片方の乳首には、唾液で濡らした指で同じようなかすかな刺激を加える。
 藤川は声を上げるだろうか?
 いや、声を上げるまでそうして攻め続けるのだ。やがて冷ややかな視線で自分を見下ろしていた藤川の息が荒くなり、くびれた腰がゆっくりと円を描き始めるのを眺める。それでも、それ以上の行為はしない。さんざんじらし、藤川が自分の首に手を回し、しがみついてきたら許してやろう
 後は舌を本能のままに動かせばいい。舌で乳首を転がし、つまみ上げた乳首を親指の腹で攻める。その頃になればスカートの中に手を入れても、不作法ということもあるまい。
 いや、藤川のことだから自ら枝松の股間をまさぐって来るかもしれない。
 もしくは、枝松の手を取り、自ら枝松の手をスカートの中に導き入れるかもしれない。
 いずれにせよ、指先がシルクの生地のパンティの底に触れる。そこは既に火傷しそうなくらい熱くなり、湿りを滲ませている…。

 と、チャイムが鳴った。
 枝松は我に返り、黒板を見ると、無意識のうちに書いた様々な文字。
 手元の教科書は、5ページほど進んでいる。
 藤川の方を見た。藤川は相変わらずシャープペンの尻を唇に当て、ぼんやり宙を見ている。
 教室全体は静まり返り、外からは雨の音がする。
 現実の世界では、何事もなく45分が過ぎ去っていた。
 枝松は意識をまったく別の世界に泳がせながら、45分の授業をやっつけた。これがプロの仕事というものだ
 「それでは、授業を終わります」
 田代のやる気のない号令。生徒達が起立し、礼をし、着席する。
 数名の生徒が席を離れ、教室を出た。枝松も閻魔帳を抱えて、教壇を降りる。藤川の席の方を見た。藤川は隣の女子生徒の机に手を掛けて、なにやら談笑している。すでに豊かな肉をのせた尻が、紺のプリーツスカートを持ち上げていた。
 一瞬、藤川が振り返り目が合った。見下すような冷たい目。妄想の中と同じ、あの目。
 枝松は慌てて目を逸らせて、逃げるように廊下へ出た。

 職員室に戻る。大部屋には数人の同僚が居て、それぞれ茶を飲んで休憩したり、テストの採点をしたりしている。理科の島田と目が合って、お互いに機械的な会釈をした。枝松の臨席である数学の初芝は不在だった。次の授業まで少し間がある。
 枝松は席について、テストの答案やメモで覆い尽くされた自分の机を見た。
 自分の頭の中と同じだな、と思った。つねに混沌としており、大切なものはいつも見つからない。
 机の上の混沌をかき分けて、仕上げていない期末テストの原稿を探した。
 探しながら、藤川のあの冷たい目線を思い出す。
 そんなわけはないのだが、あの目はこんな風に言っているように見えてならない。
 “先生がいつも何をしているか、何を考えてるか、わたし知ってるのよ
 そんなノイローゼじみた考えが頭から離れなかった。
 何故だろう?
 そりゃあ、人には言えないこともたくさんしているし、邪なこともいつも考えている。
 しかし、これまではそれらに対する罪悪感など、一度も感じたことはなかった。
 尻にそっくりな黒子のある母娘との関係を、自分は心の奥底で悔いているのだろうか?

 ふと、机の書類の山に埋もれていた、水色の封筒が目に止まった。見慣れない封筒である。封筒には、何も書かれていない。枝松はきちんと糊で閉じられた封筒の口を開き、中に入っていた便せんを広げた。
 便せんには、丁寧な文字で、こう書かれていた。
 “すべて知っています。母とのことも、姉とのことも。今日の放課後、旧体育倉庫に来て下さい”
 署名もついていた。奈緒美の息子で理恵の弟、からだった。
 <つづく>

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