扇蓮子さんのクリスマス
作:西田三郎
「第5話」■クリスマス・ディナー
マンションの階段は、植木鉢や三輪車がいたるところに置かれていて、上るのに往生した。でもあたしが2階につくなり、お爺さんは勢い良くドアを内側から開けてくれた。
「ゆみこ!……ゆみこなんやなあ……久しぶり……久しぶりやないか」
いきなりおじいさんが抱きついてきた。
えっ……と思ったけど、同時にまあええか、とも思った。
もう死んでもたけど、あたしのお爺さんもこんな匂いがした。決してええ匂いやないけど……誰だって死ぬのに近づくに従って、だんだん先に体の組織の方が死んでくもんなんやろ?……とにかくおじいさんはあたしに抱きついて、ぐりぐりと頭をあたしの胸あたりにこすりつける……お爺さんの身長は、あたしの4分の3くらいやったんと違うかな。「……ひさしぶり……おじいちゃん、ほんま、最近忙しゅうて……元気やった?」
「元気も元気、ほんま元気やで。こうやってゆみこが来てくれたから、元気百倍や」……その孫だか娘だかわからん「ゆみこ」がどんな声で、どんな喋り方をするのかなんて、あたしに知るよしもないやん。まあ言うたらなんやけど、あたしは随分てきとうやったわ。でもおじいさんは、あたしの事を「ゆみこ」やと思い込んでいるみたいやった……いや、どうなんやろ。おじいさんは本気であたしの事「ゆみこ」やと思い込んでたんやろうか?……。
まあこれはカンやけど、「ゆみこ」は何年もこのおじいさんの部屋に来たことはないね。昔はどうか知らんけど、ここ何年かは……いや、ここ十何年かかも知れへん。「ゆみこ」はこの部屋に来たことは無かった。でも昔は、クリスマスのたんびに「ゆみこ」はこの部屋におじいさんに会いに来てたんやろうね。
もう来えへようになってからどれくらいになるかわからんけど。おじいさんの部屋は足の踏み場もないくらい狭いワンルームやった。
真ん中にコタツがあって、たぶんおじいさんはそこで寝起きしてたんやろうね。
さっそくおじいさんは番茶を入れてくれた。
出がらしのお茶やったけど、身も心も凍えてたあたしにはめっちゃあったかく感じたなあ……お茶を飲みながらおじいさんはいろんな話をした。想い出話ばっかりで、当然やけど知らん話ばっかりやったけど……あたしもそれに調子を合わせて話した。
まあええか、今日はあたしは「ゆみこ」。おじいさんにとってはあたしが「ゆみこ」。あたしにとってはおじいちゃんがほんまのおじいちゃん。
それでええんとちゃうかなあ、と思てた。「最近、どないしてるんや。連絡ないから心配しとったんやで」とおじいさん。
「うん、仕事が忙しゅうてな、連絡できへんで悪かった。でも、今年は何があっても来よう、と思てて」
「どや、彼氏はできたか。おまえは昔からべっぴんやったさかい、男が放っとかんやろ……いや、わしは見たこと無いけど……」
「そうやったらええんやけどなあ……残念ながら、そういう訳でもないわ」
「お前が幼稚園のクリスマス会の劇でマリア様の役やった時のこと覚えてるか?……いや、わしは見えへんかったけど、おまえのセリフはよう覚えてるで。ええと、何やったかなあ……『天使がわたしに言うたんです。生まれてくる子は神様の子なんやって』……ちゃうかったっけ?」
「うんうん、そんな感じ」
あたしはそんな感じで適当ぶっこきまくった。しばらく話していると、お腹がすいてきたんで、おじいさんと一緒に駅前まで買い物に行くことにした。
あたしとおじいさんが並んで道を歩いてる様は、端から見るとどんな風に見えたんやろうね?……まあふつうに見ると、孫と娘、ちゅう感じやったんやろうけど、何やかんや言うても、今夜はクリスマスやからね。クリスマスにお爺さんと歩く孫娘なんか、ふつう見かけへんよねえ……少なくともあたしはこれまでに見たことないわ。
駅前のケンタッキーで、バケツ入りのチキンとかコールスローとかビスケットとかを買って、コンビニの前で叩き売られてた安物のクリスマスケーキを買った。あと、その帰りの酒屋でこれまた安物のシャンパンを。
あ、誤解してもうたら困るけど、払いは全部あたしがしたで。
お爺さんは「わしが払うさかいに……」ってしつこかったけど、あたしはおじいさんを騙してるわけやしな。しかも散財までさせるわけにはいくらなんでも仁義に反すると思ったし、全部自分で払ろうた。
それに……クリスマスなんやし、それくらい許されるやろ?部屋に帰って、コタツの上で二人でそんなご馳走を食べた。
お爺さんは見かけより歯がしっかりしているらしく、ケンタッキーの鶏肉をかなりの勢いでがつがつ食べてた。普段あんまりええ物食べてないんやろうね。あたしはやったら甘い安シャンパンを飲んで、鶏肉を少しとサラダをつまみ、おじいさんが語る「ゆみこ」の思い出話に耳を傾けた。
安いシャンパンやけど、こういうシチュエーションのせいかね?
あたしはほんの少し酔っぱらってた。「ええもんあるけど、飲むか?……わし、ゆみこが大人になったらこれを一緒に飲むんが楽しみやったんや」
そう言っておじいさんは台所の流しの下から一升瓶を取り出した。
焼酎らしいけど「鬼こまし」という聞いたことがあるようでないようなラベルがついてあった……たぶん、おじいさんの故郷の地焼酎なんやと思うわ。「うん。もらう」
おじいさんはコップを二つ出してきて、それぞれに焼酎をなみなみと注いだ。
乾杯して、一口飲んでみる……これが案外いけた。あたしはすっかり冷えたケンタッキーの鳥の足をかじりながら、おじいさんと一緒にその訳の判らん焼酎を飲み続けた。もはやあたしが「ゆみこ」であって「ゆみこ」でない、ということはどうでもよかったね。
あたしと、お爺さんで、メリー・クリスマス。それでええやないか、と思えてきた。……飲み過ぎたんかな、あたしはいつの間にかコタツに足を突っ込んだまま、寝入ってしもうてた。
<つづく>
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