お母さんなんて呼ばなくていいのよ 作:西田三郎 ■発覚
それから3日間、英治への“白い顔の女”の責めはさらに激しさを増した。
最低3回、射精させられ、英治の体力は限界に達していた。もはや抵抗の意思はまったく無かった。まるで麻薬中毒患者のように、英治は快楽を求めている自分に気づいた。
その時以外の性欲は全て巻き上げられた。
もはや昼間の学校生活で、女生徒を見て性的な感情を持つことも無くなった。
その日の学校の帰り道、英治は強い日差しに照らされ、もはやまっすぐ歩くこともできなかった。
頭がずきずきした。目の前でチカチカと火花が散っている。
よく学校が終わるまで持ちこたえられたものだと、自分でも思う。
家に帰ると、家の中に人の気配はなかった。一重は出かけているのだろう。
相変わらず、一寸の乱れもなく片づいた部屋の風景。明かりのついていない部屋に窓から差し込んだ夏の日差しが、磨き上げられた床に光の帯を落としている。
部屋の中には、どこかしかラベンダーの香りがした。
しかし今の英治には、それに気づく余裕はなかった。
とにかく冷たい水で顔を洗いたかった。しかし洗面所に入る時には用心が必要だ。
前のように、風呂上がりの一重がそこに立っているかも知れない。
あれ以来、洗面所に入るときにはいつも気を遣った。必ずノックしてから、中に物音がしないか確かめてから、洗面所のドアを開けることにした。あれから洗面所に一重が立っているようなことはない。もしかすると、自分はそこに全裸の一重が立っていることを期待しているのかも知れない。いや、そんなことはない。自分はいったい何を考えているのだろう?
洗面所に入り、水を出して顔を洗った。
洗面所といえば、英治が下半身裸で精液にまみれたパンツを洗っている姿を目撃して以来、一重の方も洗面所に入るときには細心の注意を払っているようだった。また、早朝、人目を避けながら毎朝パンツを洗っている英治がいることを、一重はどうやら認識しているらしい。洗面所で洗ったパンツは部屋の中でドライヤーで乾かしたが、ここ2週間ばかり英治のパンツの洗濯物がないことに関しては、一重は何も言わなかった。父にも何も話していないようだった。
一体どうなってるんだ。何もかもが、あの女の手のひらの上か?
よくわからない。ひとしきり冷たい水で顔を洗ったが、それでも頭痛は消えなかった。
タオルで顔を拭い、そのまま冷蔵庫に向かった。
氷かなにかで冷やすと、少しはましになるかもしれない。
冷凍庫のドアを開ける。当然、冷凍庫の中も一糸乱れぬ整理整頓がなされている。冷凍食品、タッパーに入った様々な食材、アイスクリーム…。いや、考えるのはやめよう。意味なくイラつくことも止めよう。英治はひとりでにわき上がる雑念を追い払い、冷凍庫の中を探すことに集中した。
と、冷蔵庫の奥に保冷剤でできた氷枕のようなものがあるのを見つけた。
白いビニール袋に覆われた、幅20センチ、横10センチくらいの立方体。厚みは3センチほどである。英治はその物体を引っ張り出して、手に取った。
氷枕ではなかった。
白いビニール袋の中に、きんきんに氷った重みのある物体が入っている。
奇妙な手触りだった。なにか、この手触りには覚えがある。
それはカチカチに氷っているが、確かに覚えのある手触りだった。
袋を開けて、中を見た。
中には、かちかちに凍った蒟蒻が入っていた。
英治は呆然とそれを見つめた。
蒟蒻?なぜこんなものを冷凍庫で凍らせておく必要があるんだ?
蒟蒻は外の熱い外気に触れ、かすかに白い蒸気を上げている。英治の手から伝わる体温で、それは早くも固さを失い、柔らかくなりはじめていた。
凍った蒟蒻を、熱い頬に当ててみた。
冷たさと、かすかな柔らかさを感じる。
突然、肉体が自動的に反応した。草臥れ、萎れきった肉茎に一気に血液が集まってくるのを感じた。
下腹の奥に、しびれるような感覚が灯った。
これは…?
そう、これだ。
毎晩自分を嬲り、弄ぶ冷たい“舌”、その正体は、この凍った蒟蒻だったのだ。
嬰児はそのまま蒟蒻を乱暴に冷凍庫に放り込むと、一重と父の寝室へ向かった。
ドアを開ける。部屋の中には箪笥が二つ、鏡台がひとつ。そしてその他の家具とともに、亡き母の遺影を頂いた仏壇があった。この部屋もまた、完璧に整頓され、磨き上げら得ている。仏壇には(不釣り合いな感じもするが)母が好きだった赤いフリージアの花が供えられている。それらも全て、一重の手によるものだった。
英治は頭が混乱するのを感じた。
この花の添えられた仏壇の前で、一重と父は浅ましく交ぐわい、嬌声を上げ、貪りあっているのである。二人の痴態を、母の遺影は常に見守っているのである。心ならずも、父を憎悪した。そして、一重を憎悪した。
しかし、自分は今一体何をしているしている?
そう、あの晩、自分はその二人の浅ましい営みを盗み聞き、欲情し、それ以来毎夜のように現れる“白い顔の女”にその欲情を弄ばれている。あの女は自分の恥ずべき欲望の産物ではないのか?いや、そうではないのか?
英治はまるで狂ったように箪笥を開け、押入を開け、開けられるものは全て開け、その中にあるもの全てを床にぶちまけた。頭のおかしい泥棒のようだった。一重の手により完璧な均衡さと整然さを保っていた寝室は、見る見るうちに混沌に溢れかえっていった。
自分は何を探しているんだろう?何を求めているんだろう?
この狼藉によってどんな回答が得られるというのか?
自分は浅ましい肉欲の奴隷ではないという証か?
自分を毎晩のように翻弄するあの“白い顔の女”が、夢ではないという証拠か?
どれくらいの時間が経っただろうか。
押入の中のものを全て床にぶちまけて、空っぽの押入を覗いた時だった。
英治は、押入の奥を仕切るベニヤ板の色が、一部分だけほかの部分と違うことに気づいた。
普通なら、気にならない程度の色の違いである。しかし根拠のない猜疑心と、疑念の固まりとなっていた英治の目に、その違いは不思議な説得力をもって飛び込んできた。
おそるおそる手を伸ばす。
ここに、回答があるのだろうか。そうではないかもしれないし、そうかもしれない。
その回答を知ることは、これからの生活に一体どんな影響を及ぼすのだろうか。
答えを知るのが恐ろしかった。
英治はベニヤ板に手を触れ、ゆっくりと押した。
ガタン、と音がして、ベニヤ板が倒れてきた。
英治は目を見張った。喉がカラカラに乾き、声が出なかった。
ベニヤの外れた後ろには15センチほどの奥行きがあり、むき出しのコンクリートの壁があった。
その壁には、白い女の顔の仮面が、まるで何か神聖なものであるかのように掛けられていた。
英治はしばらく…その白い仮面を見つめていた。毎夜のように現れては、自分の躰を凍った蒟蒻と冷たい手で弄んだあの実体のない“白い顔の女”その正体が、そこにあった。
ラベンダーの香りがした。ラベンダーの香りだけが、部屋を満たしている。
仮面を凝視していた英治は、ふと、ラベンダーの香りが強くなっていることに気づいた。
振り返る。
白いブラウスにベージュのスカートを履いた、一重が悲しそうな顔ですぐ後ろに立っていた。
「…ごめんね…」
一重が手を伸ばし、英治の首筋に触れた。
全身に電気が走り、そのまま英治は散らかりきった床に倒れた。
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