お母さんなんて呼ばなくていいのよ 作:西田三郎 ■午前6時、洗面所にて
目が覚めると、朝の6時前だった。
外は明るくなっていたが、家の中ではまだ誰も起き出してはいないようだ。
英治はベッドの上で目を覚ました。Tシャツも、パジャマのズボンも元通りになっていたが、パンツの中はすでに乾き始めた精液でべとべとになっていた。痺れる手足を動かす。手足は元通り動くようになっていたが、頭はずきずきと痛んだ。ベッドから下りても、脚の感覚が定かではなかった。
それまで英治には、夢精の経験がなかった。
さっきまでのは夢だ。
これが夢精なんだ。
英治は自分にそう言い聞かせると、ふらつく足取りでなんとか部屋を出た。
精液でべとべとになったこのパンツとズボンを、何とかしないと。
間違ってもあの女…一重に知られるようなことがあってはいけない。
忍び足で階段を降りる。幸運なことに階下に人の気配はない。
すかさず洗面所に飛び込んだ。
浴室の小窓から、青白い朝の光が射し込んでいる。
出来るだけ物音を立てないようにドアを閉め、英治は呼吸を落ち着けた。
鏡で自分の顔を見る。
血圧が下がっているのか、薄暗い洗面所の中で一層青白く見えた。目の下に隈ができている。目は澱み、視線には生気がなかった。まともに自分の顔を眺めていることができなかった。夢の中とは言え、さきほどまでこの鏡に映っている自分が、汚らわしい肉の悦びにむせび泣いて、喘ぎ声を上げていたのだ。蛇口をひねって冷たい水を出し、顔を2、3度洗った。目が覚めて、少しは気分がましになった。
ズボンを脱ぎ、したたかにその中に精液をぶちまけたパンツを脱いだ。
相当な量を射精していた。精液はパンツから染みだし、ズボンにも染みを作っている。
すっかり萎れた肉茎の周りには精液がこびりつき、薄い陰毛はそれにまみれて蜷局を巻いていた。
英治はため息を吐くと、脱いだパンツの乾いた部分で、股間を拭った。放出された精液は濃厚で、一部分が固形化し、色はクリームがかっていた。下半身には何も身につけていない情けない格好で、英治は流したままの水道でパンツを洗い始めた。精液はまるで糊のように手に張り付いた。いましがた味わった屈辱の快楽を糾弾するように、洗っても洗っても精液はしつこくパンツにこびりついて離れない。
一体、自分はどうしてしまったのだろう?
英治は自動的手つきでパンツを洗いながら思った。
一重がこの家にやってきてから、自分はおかしい。子供っぽい一重に対する反抗心と、根拠のない怒り。そしてそれに対する罪悪感。そんな言葉では表せない感情が心の中で渦巻いている。そして昨夜聞いた、父と一重の夜の営みに対する、淫らな情念。そしてこの夢精。
頭がおかしくなりそうだった。
と、その時、不意に洗面所のドアが開いた。
「きゃっ!」
英治は一重の姿を見て凍り付いた。
声も出なかった。
一重は薄いブルーのパジャマ姿で、洗面所の入り口に立っていた。
英治は下半身全裸で、洗面台で精液にまみれたパンツを洗っている。
「ご…ごめん!」一重はうろたえた声を出し、慌てて洗面所を出てドアを閉めた。
英治はその姿勢のまま、電池が切れたように硬直していた。しばらく、水道の水音だけがその空間に勝手に流れていた。
「あの…」一重が遠慮がちな声でドアの向こうから聞いた。「大丈夫?」
英治は答えなかった。喉がからからに乾き、目の前が白くなった。答えることができなかった。
「あの…」また一重が聞いた。「なんか、汚しちゃったんだったら…洗おうか?」
「いいです…」英治は言った。自分でも聞き取れないくらいの、力の無い声だった。
「英治くん…あの…」一重がさらに声を掛ける。「そういうの…気にしなくていいから…」
「向こうに行ってもらえますか」なんとか、意思を示すことができた。
「…」
しばらく、一重は黙っていた。
「…わかった…ほんとに、ごめんね…」
一重が洗面所の前を離れ、部屋に入る音がした。
水道の水は流れたままで、白い精液の残滓が排水溝に渦を巻いて流れ込んでいく。
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