お母さんなんて呼ばなくていいのよ 作:西田三郎 ■声を聞く
目が覚めたのは、夜中の2時くらいだった。
のどが渇いて仕方がなかった。英治はベッドから起き出すと、キッチンへ向かった。
冷蔵庫を開ける。またボトルは一杯である。いや、もう考えるのはやめよう、と英治は思った。そう、考えても理由のない腹立たしさがわいてくるだけだ。その腹立たしさに、根拠がないことなどわかっている。僕はもう14歳。そろそろほんんとうに大人にならなければ。
コップに注いだ麦茶を一息で飲み干すと、そのまま部屋に戻ろうとした。
その時だった。
父と一重の寝室から、声が聞こえてきた。
「んっ…」
一重の声だった。普通の声ではない。英治の足が止まった。
「だめっ…」また一重の声だ。囁くような、押し殺したような声だ。
「いいじゃないか…ほら…」今度は父の声だった。同じように押し殺したような声だったが、すこし上擦っている。「…おまえだって、ほら…」
「…やっ…ちょっと…そんな…」
「どうしたんだよ…いいじゃないか…明日は休みだし…」
「だって…だって、聞こえる…」
「…聞こえるって?…誰に…?」
「……誰って、英治くんに…」
「…もう部屋で寝てるよ…ほら…」
「だめっ…聞こえ…るって…んっ…!」
気が付くと、英治は父と一重の寝室のほうに足を進めていた。何故かはわからない。まるで寝室が磁石になり、自分の体が金属になったようだった。しかも全身の神経が、耳に集中していた。
「お願い…ダメだって…聞こえる、聞こえちゃうよ…」一重がいつになく子供っぽい口調で言う。声が少し鼻に掛かり、甘えているような響きが混じる。「あなただって、イヤでしょ…英治くんに聞かれたら…」
「…だから、寝てるよ、もう…ほら…」
「んんっ…あっ…」
「…ほら…いい声が出てきた…」父の声は愉悦に溢れていた。
英治にとっては、出来れば聞きたくない、不快な会話のはずだった。
しかし、その場から立ち去れなかった。足が床に張り付いて、根が張ってしまったみたいだった。
「…もう…馬鹿…そんな事…言わないでよ…んっ!」
「ほら、声、出しなよ…」
「だめっ…聞こ…え…るっ…うっ!」
「ほら、ほら…」
「んっ…あ…はあ…んんっ…くっ…あっ…」
一重の声はますます熱っぽさを増してきた。英治は自分の耳の中がピクンピクンと脈打つのを感じた。足が動かない。それどころか全身が動かなかった。
「ほら、声、出して」
しばしの沈黙の後、湿った音が聞こえてきた。
「そんな……だめっ…ダメだっ…て…んっああっ…くっ…んんっ!」
湿った音が続く。一重の声が高まる。こめかみから汗が滴る。先ほど冷えた麦茶で癒したはずの喉が、またからからになっていた。そして、明らかに反応している身体。
認めたくないが、英治は自分がはげしく勃起していることに気づいた。
「凄いな…こんなになってる…すごいよ…」
「やめ…ってっ…」
「ほら、握ってみて…」
「え…あっ!…」
沈黙。
握る?父は何を言ってるのだ?父は正気か?英治は自分の頭の中が混乱するのを感じた。
「…どう?」父の声。「…ほら、どうなってる?」
「あ…す…すごい…」
「欲しい?」
「……」
「これを、入れて欲しい?」父の声はさらに上擦っていた。
「…ばか…」拗ねたような声で、一重が答える。
「…入れるよ…?」
「……」
「…入れて…いいの?」
「…いれ…て」囁くような声で、一重が言った。ほとんど聞き取れないくらいだった。
「何?」
「……もう…」
「何?大きな声で言わなきゃ、聞こえないよ…」
「……お願い…」
「お願い…何?」
「いれて…欲しいの…」
「…そうか…」
布団の擦れる音。二人が体を動かす音が聞こえた。
「そんな…そんな、格好で…」
「…こんなのは初めてだろ?」
「……恥ずかしいよ…」
「イイよ…すごく、すごくヤラしい」
どんな格好なんだ?英治は目が回りそうだった。パンツの中で性器が、痛いくらいに固くなっていた。先端が湿っている。耳の中に聞こえる鼓動と、股間の律動は半拍遅れで絶え間なく続いた。おかしくなりそうだった。
自分は一体ここで、何をしているのだ?一体、何を聞き届けようとしているのだ?
しばらく沈黙が続いた。そしてまた、布団の擦れる音。
「行くよ…」
「………………ん…………うっ!!」
肉が軽いスパンでぶつかりあう、リズムのある音が聞こえてきた。その音に合わせて、一重の吐息が聞こえる。必死で声を殺しているようだった。しかし吐息はさらに熱く、大きく、長くなり、声になった。そうなるまで、あまり時間は掛からなかった。
「……んっ……んっ……んっ……んっ……んっ…んあっ…くっ……んっ…ああっ…くっ…あっ…」
「いい…?」荒い吐息と共に、父が囁く。
「……んっ…いや…聞こ…聞こえ…るっ…やあっ…!」
「…いいじゃないか…聞こえても…」
「…だめっ…そん…なっ…んんっ!あっ…ああっ…くっ…」
「…ほら…聞かせてやれよ…ほら…ほら…」
「ああっ…だめっ…あっ…もう…もう…んっ!」
肉のぶつかる音のスパンが、さらに短くなり、激しくなった。それに併せて、父の吐息と、一重のすすり啼くような声が、ますます高まりを見せる。永遠に続くような時間だった。
英治は全身が痺れるような感覚を感じていた。性器は、もう痛いほど固くなり、中でうねる情欲が、出口を求めて下腹を暴れ回っている。
「……あっ…だめ…もう…もう……ゆる…し……て……んんっ!!」
「うぐっ…ぐはっ!」父が咳き込むような声を上げた。
「くうう………んっ!」一重が猫のように短い泣き声を出した。
沈黙。全てが静かになった。
やがて、部屋の中から二人の荒い息だけが聞こえてくる。
英治の耳の中では、ただ脈が大きな音を立てていた。
不意に、金縛りが解けるように、英治の足が動いた。
気づかれてはいけない。自分はここには居ない。自分はここには居なかったんだ。
できるだけ細心の注意を払って、その場を離れ、階段を上った。自分の部屋のドアを開けて、音をさせずにドアを閉める。
ベッドに倒れ込んだ。布団を被った。
まだ股間では滾る欲望が解放を求めて荒れ狂っている。
それを自分で沈めるべきだろうか?
いや、それは止めよう。それだけは止めよう。
そんなことをすると、本当に自分はここに存在しないことになってしまいそうだ。
何故かはわからないが、そんなふうに思った。
そしてそれが恐ろしかった。
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