必殺にしきあなご突き
作:西田三郎「第2話」 ■痴漢語り
痴漢に関して、やたらとその体験談を人に話したがる女の子も居る。
そういう類の女の子にとって痴漢の体験は、昼休みにお弁当のご飯粒を飛ばしながらするような、昨日観たテレビ番組に関する話題とさして変わらなような物事らしい。
当時あたしの親友だった裕子は、いつもそんな感じだった。
「なんかさ、後ろからお尻の間に、グリグリ、グリグリってしてくるわけ。明らかに電車の揺れとは違うリズムで。時々、アクセントつけるみたいに、何拍かおきにズン、って突いてきたりしてさ。ああ、来たなー……、と思ったら、もうなんか、オッサンあたしの耳元あたりで、臭い息ハアハア言わしてるわけ。ああもう、何だかなあ、ってめんどくさくなっちゃってきてさ……ねえ、そんなことない?」
「…………」一度もそういう経験は無かった。あたしは痴漢にすら遭ったことがない。
「……でさ、あたしが大人しくしてたら、『OK!行っとけ!!』みたいな感じになったんかね。オッサン、いきなりスカートの裾、そーーーーっと持ち上げて来んの。なんか、バレないようにしてるつもりなんか、一秒数ミリずつくらい、そーーーーーーーっと。バレバレだっての。ああもう、って思いながら、あたしもそのままじっとしてたら、なんか、いつのまにかお尻あたりまでめくりあげられててさ。こりゃやばいわって思った時には、腰のあたりまで上げられてたのね」
「……恐くないわけ?」あたしはいつものように、できるだけ動揺を悟られないように話す。
「恐いってんじゃないね。まあ、たまに本当に調子乗ってくる奴もいて、本気で腹立つこともあるけどさ。……そんな時はさすがに暴れるよ。踵で相手の足ガンって踏みつけて、後ろに向かって後頭部で頭突きかますよ。たいていはそれだけでビビって、それ以上は何もしてこなくなるよ。『あんた、それ以上やったら大声出すよ』って態度で示したら、わざわざ大声出さなくてもそれ以上のことはされないよ」
「なんで、はじめに大声出さないの?」
「なんか、注目集めるのヤじゃん。向こうは当然、『それだけは勘弁』って感じなんだろけど、朝からめんどくさいことになるのは、あたしだってイヤだしね。あたし、朝弱いし」
「………」そういう問題ではない、とあたしは思うのだが敢えて追求しない。
何と言っても裕子は体験者であり、あたしはそれを聞かされて勝手に想像しているだけなのだから。どんな時も、体験者の言葉は重い。たとえお昼ご飯を食べながら話す痴漢に話題においてもだ。
「で、どこまで話したっけ、あ、そうそう。気がつくと腰のありまでスカート捲られててさ、オッサン、自分の下半身あたしの腰にくっつけて、スカートの裾をそこでガッチリ固定するわけ。なんなんだろうね。そうするのが一種の痴漢の“型”なんかね、そのオッサンにとっての。……まあどうでもいいんだけどさ、あたしも『ちょっと勘弁してよ……スカート皺になっちゃうじゃん』とか、暢気なこと考えてたのね。で、そこに至ってもああもう、どうしよっかなあ、頭突きかまそうかなあ、踵で足、踏んづけてやろうかなあ、とかいろいろ思ったんだけど、結局やっぱ、どうでもよくなってきちゃってさ」
「なんで???」いつもながら、あたしは本気でそう聞かざるをえない。
「……うーん、なんでだろ。そこで大袈裟に暴れて、平和な朝のひとときの調和が乱れるのを取るか、黙って触らせて平和を保つのか、どっちかって言ったらダルさが勝って……まあいいや、触らせとけって感じになっちゃうのかなあ……とにかく、あたし、朝弱いし」
「……はあ」おかしい。何かが根本的におかしい。
「……でさ、オッサン、ますますハアハア荒い息しちゃってさ」“なんで”とか“どうして”よりも、“なにをされたか”をあたしに語って聞かせることが裕子にとっては大事なのだろう「あたしの髪の匂いとか、クンクン嗅いでるわけ。ああもう、何なんだろ、よっぽど溜まってんだろなあ、このオッサンとか思ってたら、いきなり、ぐあしっっ、ってパンツの上からお尻掴まれたわけ。『いてっ』って、さすがにあたしもムカついたけど、まあなんだか、ああいうのってタイミングなんだよね。抵抗する時のタイミングってのが結構大事でさ。たまにそれ逃しちゃうんだよね。そうなると完全に、オッサンのペースなわけ」
「やばいじゃん」
「ああ、いつも後から思い出すとやばいなあ、って思うんだけどね。でもなんだか、その後のオッサンの触り方がほんとうにヤだったなあ……なんかさ、触られてるっていうか、手のひらをなすりつけてくる感じなのよね。オッサン、ハアハア言ってるの聞こえてくるし、あたしの髪クンクン匂い嗅いでくるし、太股の裏側にはびたったりオッサンの固くなったズボン前が擦り付けられてくるし……。結局それだけだったけど、何だか何分間か、思いっきり楽しまれちゃったって感じ?ホラ、スーパーの前とかによくあるじゃん、10円入れたらグイングイン動く子ども用の乗り物、アレになった気分」
そう言うと裕子は力無くヘラヘラと笑った。
はっきり言って、親友にこんなことを思うのもなんだけど、裕子はあたしよりずっと可愛くない。スタイルだって、それほど良くない。あたしより少し背が高くて、脚は長いけれど、あたしの方が脚は細いし形はずっと綺麗だと思う。しかも裕子は、騒いだり抵抗したりで自分の身を守るよりも、面倒くさいから痴漢に身を任せてしまう(って、なんか表現がすごくイヤなのだが)ようなだらけた女だ。そして、毎度毎度その話をあたしに事細かに語って聞かせる、無神経な女だ。
だいたい、あたしにこんなことを話して、どんな感想を持てというのか。
あたしは意味もなくいらいらしてくる……毎度のことだったが。
「……でも、今日は大丈夫だったけどさ、たまに、ホントーに恐くなってくるくらいのものすごーーい痴漢が居るんだよね。いきなりスカート捲ってパンツ降ろそうとしてきたり、いきなり太股にコンドーム被せたアレくっつけてきたり、後ろから思いっきりガバッと乳掴んできたりとかね」
「………はあ」ますますご飯がまずくなるような話だ。
「そういうのに遭うと、正直、恐くなるときあるよ。一体コイツ、あたしをどうしたいんだろうって思ってね。だいたい、電車の中でそこまで超強引になれるってのは、頭が狂ってるんだろうしね。一体何がアンタをそこまで追いつめたの、って思うとさ。やっぱ恐いよね」
「ふうん……」裕子にもそういう人間らしいところがあるんだな、と少し意外だった。
しかし……これだけ克明に語られると……あたしはどうしても満員電車の中で痴漢にあんなことやこんなことをされている裕子の姿を想像せざるを得ない。どういう訳かそうして思い描く情景は、あたしの心の中にしばらく停泊し、頭を一杯にする。
ああ、処女ってほんとうにバカだわ。
今だからそんなふうに斜に構えて見ることができるけど……当時のあたしは何事にも馬鹿正直で、ひたむきだった。たとえ友人に聞かされた痴漢体験に纏わる妄想、みたいなことに関しても、だ。
「……あ、そういやさ、あんた“必殺にしきあなご突き”知ってる?」出し抜けに裕子が言う。
「……えっ??」あたしは思わず面食らった「にしき……あなご……?何それ?」
「あんたと同じ路線遣ってる子が、何人かされたらしいよ、“必殺にしきあなご突き”」
「………なんなのそれ?有名なの?」
「なーんか、ウソかホントか知らないけどさ、そういうワザを使うジジイの痴漢が居るんだって。それをされると、身体が痺れて指一本動かせなくなって……声も出せなくなるんだって。詳しいことは知らないけどさ。………これも噂だけどね、その『“必殺にしきあなご突き”使い』は、大昔から、10年ごとに現れるんだって。そいつが現れるっていうのが………あんたの遣ってる路線の、8時15分に学校の駅に着く電車の前から4両目なのよ。それで……そいつが現れたときには、決まって女子高生を5人、女子中学生を5人、女子大生を5人、OLを5人……合計20人を“必殺にしきあなご突き”で動けなくして、それで………ものすごいことするんだって………それからまた10年沈黙しては、また10年後に現れるの」
「う……ウソでしょ」
「うん、あたしもウソだと思うよ」そう言うと裕子はようやくお弁当の残りに手を付け始めた。
にしき……あなご……。なんだか午後は、その言葉が頭にこびり付いて離れなかった。
放課後、あたしはこっそりと学校の図書館に行って、「魚類図鑑」でにしきあなごの事を調べた。
図鑑にはその奇妙な魚のカラー写真が掲載されていた。
砂に尻尾を埋めて、まるで植物のように海底からにょろりと“生えて”いるその姿は、グロテスクであったが、マンガのキャラクターのように剽軽で、愛嬌がある。
それに…………なんだかよくわからないが、ものすごくいやらしい印象があった。
図書館でひとり魚類図鑑の「にしきあなご」の写真を眺めながら、わけのわからない禍々しさに顔を紅潮させているところを、もし裕子にでも見られたりしたら…………当時のあたしは本当にその場で舌を噛んで死んでいたかも知れない。。
<つづく>
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