国民の初夜
作:西田三郎「第2話」 ■コーヒーでも
正直に言うと、わたしは処女だ。
この歳でそれはあまり威張れたことじゃない。この歳で処女であることを人に知られたりすると……何か物凄く不幸で気の毒な事情でも抱えているのか、何か特殊な思想や信条や信仰に沿って生きているかと、勘違いされることは確実だろう。
言っておくけど、そんなものはまるでない。
処女だから、処女なのだ。悪いか。
そう言うと、わたしがブスで、これまでそういう機会に恵まれなかったんだな、なんて単純に考える馬鹿も多いだろうから言っておく。自分で言うのもなんだが、わたしはブスではない。そりゃあ、超美人ってわけでもないが、世の中を大きくブスかそうではないかで二つに分けたとするなら……わたしはかろうじてブスではない方に入るだろうと思う。
いや、だいたいからして、ブスは処女、という世間の一般的理解はおかしい。
はっきり言って、わたしがまだ10代の頃、とっとと先に処女を捨てていくのは決まってブサイクな子だった。わたしの友達の中で一番はやく処女を捨てた子の顔は……結構ひどいこと言ってるが……物凄いイノシシ面だった。きれいな子の方が、どちらかと言えば奥手で保守的だったものだ。
その後の人生においてもつくづく実感させられたのだが……ブサイクな子の方が綺麗な子よりもずっと発展家であることが多かった。……なぜなのかは知らないが、そういものなのだ。
だからはっきりさせときたいが、わたしがこの歳まで、結婚して初夜を迎えるこの日まで処女だったことは単に、わたしの器量が悪いからでもわたしが神懸かりな純潔思想にとらわれていたからでもなく、単にそういう機会がなかっただけの話だ。
いや、実際、セックスしようと思えばその機会はいくらでもあった……。
男って(って言うのもなんだか人並みでイヤなのだが)、とにかくセックスさえ出来れば相手はどうだっていいんしょう?
たとえわたしが今よりずっとブサイクだったとしても、少しお酒でも飲んで、いい感じになって、男の肩に頭なんか乗っけて……「今日、なんだか……はっちゃけたい気分……」とかなんとか、適当なことを上目遣いで呟いたりしたら、とりあえずわたしはその場でヤられていただろう。
ヤられていた、なんてちょっと表現が下品だったかな。……抱かれていた?……寝ていた?
まあなんでもいいや。
しかしわたしは中途半端に頭が良かったし、中途半端に理性的だったし、自分で言うのもなんだけど中途半端にマジメだったので、これまでそんなアホらしいことはしてこなかった。別にそれを偉いとかスゴいとか思うつもりは毛頭ないけど、それもわたしの人生。わたしの勝手でしょう?
あんたがセックスしてきたからって、それが何かあなたの人徳とかそういうものを高めたりした?
いや、したかも知れないけど、処女でいるのも自由、いないのも自由。
人にとやかく言われることじゃないよね。
……でも……その、今日は所謂、新婚初夜だ。結婚式ではアホみたいに何回も衣装替えして、披露宴ではお酒を飲まされて、二次会では大して仲も良くない職場の同僚のアホ女共(まーったくどいつもこいつも人の結婚式だってのに気合い入れたヨソイキ衣装だったこと)が今時モーニング娘。の歌歌うわ、はっきり言ってグダグダに疲れている。
ダンナさんもわたしも、かなりお酒に酔っていた。ダンナさんは帰るなり、ソファにぐったりと身を沈めてネクタイを緩めている……大丈夫だろうか?
いや、大丈夫かって、何が大丈夫なのだ。
「やれやれ、一生に一度のこととはいえ……さすがに疲れるね」ダンナさんが言う。
「……コーヒーでも飲む?……よかったら挿れるけど」コーヒーでも飲めば、お互いしゃんとするかも知れない。
「……いいね」
「じゃあ、ちょっと待ってね」
ここからの行動はちょっと微妙だ。ヘタをするとそのまま、まったりムードに突入してしまいかねない。ダンナさんは一緒にまったりするならこれ以上ないというくらいぴったりな人なのだが、いかんせんマッタリしすぎてしまうところが玉に瑕なのだ。
わたしはダンナさんに背を向けると、ゆっくりストッキングを脱いだ。
いや、ストッキングを脱ぐくらい毎日やってることなのだが、今日、この姿勢でさりげに脱ぐのには特別な意味と思惑がある。
ちらり、と一瞬だけダンナさんを見てみた。
見てるよ。ちゃんとわたしがストッキングを脱ぐのを見てるよ。
わたしは気づかない振りをして、そのままストッキングを足首から抜き取った。
ダンナさんがソファから立ち上がる気配がする……いいぞ、いいぞ。
やっぱこーいうのが好きなのね、男の人って。
わたしは胸がドキドキするのを感じた。
ああなんだろう、このドキドキ感。こんな気分になったのはほんと、20年ぶりくらいだわ。
<つづく>
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