ハードコアな夜
作:西田三郎

「第3話」

■1週間前

 …えーと…。ちょっと話す順序を間違えたかな。
 これじゃあおれがSM小説もどきの極悪非道のレイプ魔みたいじゃないか。
 
 だから、話をあの夜の1週間前に戻そう。話が前後して申し訳ない。
 
 “奥さん”とおれは繁華街の喫茶店に居た。
 どうやって“奥さん”と知り合ったかって?…テレクラだよ。よくある話だろ?
 “奥さん”と会うのはこれで2回目…半月ほど前に、おれは“奥さん”と接触して、ホテルに行った。まあ、その後はだいたい想像つくだろう。あんたの想像どおり、決して二人でお手手握ってお昼寝しただけではない。
 いや、素晴らしい性交だった。
 “奥さん”の第一印象は、少し地味な感じがするけども…お金と神経を使ってわざと地味にしている、そんな感じの、大人しく賢そうな美人だった。あんまりテレクラで知り合うタイプの人妻ではない。いや、はっきり言っておれの好みだった。テレクラで約束をとりつけた女に会ってみて、少しも落胆を感じなかったのは“奥さん”が初めてじゃないかな。
 第一印象とはぜんぜん違って、ふたりホテルに入ると…奥さんは実に…なんというか、積極的だった。おれは実際に奥さんとリアルにあんなことやこんなことをした訳ではあるが…まるで奥さんの演出する淫らな寸劇に出演しているような気分にさせられた。別に、とりたてて変わったことをしたわけじゃない……その全てを、奥さんが持参したビデオカメラ(三脚つき)の前でさせられたこと以外は。しかし奥さんと、おれと、そのビデオカメラが居るラブホテルの一室は、その瞬間、世界でいちばん淫らでいかがわしい場所であったに違いない。
 
 そこでお互いに携帯の番号を交換したわけであるけども…まさか1週間後、“奥さん”の方から電話が掛かってくるとは思わなかった。おれは夢見心地で…はじめて“奥さん”と待ち合わせたのと同じ、あの喫茶店へ向かった。
 
 “奥さん”は白いブラウスにストレッチパンツを履き、おれに気づくまでぼんやり窓の外の人の流れを見ていた。その様子はなんというか物憂げで、ヒマで、少しでも生きる気力を持っている男なら誰でも、声を掛けてみたくなるような感じだった。20代も後半というとこだが…女の人生というのは曲線でできているようで、彼女はその2度目か3度目の山の部分に居るのだろう。
 やがて“奥さん”はおれに向かって顔を上げ、ふわりと曖昧な笑みを浮かべた。
 思わずおれの顔が弛んだ。1週間前の烈しく切なげな“奥さん”の表情が思い出されてならなかった。
 
 「あのビデオ、主人と観ました
 いきなり、奥さんがそんなことを言いだしたのでおれはタバコの煙にむせてしまった。
 「…え?なんですって?」
 「…主人、すっごく亢奮しちゃって…ほんとうに有り難うございました」
 「……はあ、あの……」おれは言葉に詰まった。こんな際に相応しい言葉なんて、あんた思いつくか?
 「ほんとうに、ひさしぶりでした……その……主人と寝たのは。もう、あたしたち、2年も夫婦生活がなかったんです。2年も…。でも、あのビデオのおかげで………その、主人、すっごく……」
 奥さんは少し頬を染めながら俯き加減に…ご主人が“すっごくどうなったのか、出来るだけ品のいい表現を探しているようだった。
 「…あ、すみません、コーヒーひとつ」おれはいたたまれなくなってウェイトレスに声を掛けた。
 「その……夫婦生活がなくなる前も、主人はどちらかといえば淡泊なほうでした。でも、2年前のある時以来……それ以来、その、あの……元気にならなくなったんです」
 「…はあ」どうもこの会話から逃れる術はないらしい。
 「……だけど、その、あたしたちが……あなたとあたしが………してるビデオを主人に見せたら……もう、結婚以来見たことないくらいに亢奮しちゃって……その晩は、続けて4回も……」
 「…お……お役に立てたようで……」
 「…いえ、そんな。ごめんなさい。こんな話聞かせちゃって…あなたには、関係のない話ですよね。……でも……それも3日持ちませんでした……なので………」
 「もう一度、ビデオを?」おれは助け船を出すつもりで言った。
 「……いえ。あの……こんなこと誰にお願いしていいか判らなくて………ついあなたに電話しちゃいました。あの……これからするお願いを、受け入れて頂くか頂かないか、それはあなたのご判断にお任せします。……でも、これは、とってもまじめな問題なんです、だから……あたしの話、まじめに、笑わないで聞いてくれますか?」
 「……はあ、いいですよ、別に」どうも今日は…アテが外れたようだが、まあヒマだしな。それに、そんなに退屈な話でもなさそうだ「……ぼくで良かったら、聞かせてください」
 「……はい……ありがとございます……」奥さんはそう言うと、おれをまた、上目遣いに見た。
 そして、ちろっと舌で上唇を舐めた。おれはそれを見ただけで、随分得をしたような気がした。
 
 「ご存じでしょうか……」“奥さん”は語り始めた「3年くらい前に、東京で40代の歯科助手の女性が、突然職場から居なくなったんです。職場の制服のナース服のまま、荷物はなにも持たず……それこそお財布さえ持たずに。その人にはご主人と子どもが居ました。奥さんが突然居なくなったことを聞いて、ご主人は青くなりました……というのも、女性は前からストーカーのような男につけ回されていて……奥さんを隠し撮りした写真や……いやらしいことがいっぱい書かれた手紙が、何通もそちらの家に届いていたからなんんです………それだけじゃなく、女性がそ場から居なくなるほんの一月ほど前に、彼女が夜、ご自宅のマンションのゴミ捨て場にゴミを捨てに行ったその時に………その“ストーカー”に襲われ、いたずらをされる、という事件もあったとこでしたから……」
 「……はあ」おれは唖然としていた。一体、何の話だ?「……それで?」
 「……ご主人は奥さんの失踪を警察に届けました。そんなことがあったこれまでの経緯も含めて……当然、警察はこれを誘拐・監禁事件と見て、捜査を始めました。ことの顛末はマスコミにも大きく報道されて……そりゃ、そうですよね。そんな大人の女性が、職場から拉致されるなんてことは余り起きないことですから………警察は必死に捜査をしましたが、何の手がかりも得られませんでした。……でも、女性が行方不明になってから3日、突然彼女が発見されたんです。彼女の職場の近所にある児童公園のベンチの上で、横たわっているのを」
 「……ふうん……、よかったじゃないですか」
 「……でも、女性は発見されたとき、意識不明の状態でした。………そしてそれだけじゃなくて……彼女は裸の上に、コート一枚の姿で発見されたんです」
 「……裸って、全裸ですか」
 「……ええ、コートの下には、何もつけずに。彼女はすぐ警察に保護され、意識を取り戻しましたが、どうも記憶があやふやで、何があったのかはっきりしません。……そのときのご主人の気持ちが、想像できますか……?愛する妻が、何者かに拉致されて、3日後にそんな姿で発見されたなんて」
 “奥さん”はそう言うと、だしぬけにおれの目をじっと覗き込んだ。
 不意をつかれて、おれは一瞬たじろいだ。
 「……あの……その……」おれはまごまごしながら言った「お気の毒ですね、とても」
 「…お気の毒?ほんとに、そう思いますか?」奥さんはますますおれの目を奧の奧を覗き込む。
 「……え……あの……そうじゃ、いけないんですか?」
 「あたしは、お気の毒とは思いません。……いえ、まったくお気の毒とは思わないわけではないんですけど………その、自分の愛する人が、見知らぬ男に連れ去られて、3日間も一体何をされてたんだろう………?しかも、裸で発見されるなんて………って、すごく気になったと思うんです。まあ、気にならないわけはありませんよね。……でも、あたしが思うに……ご主人は………その、それを思うと、すごく………」
 「すごく、なんですか?」
 「……その、すごく、亢奮したんじゃないでしょうか?あたしの主人の………勝手な想像ですけど」
 “奥さん”は大まじめだった。
 世の中は広い。

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