インベーダー・フロム・過去
作:西田三郎「第5話」 ■夫に話す。
「どうしたの?会社休むなんて、珍しいじゃん」公一は帰ってきて開口一番、そういった。「熱でもあるんじゃない?」
公一が布団の中にいたわたしのおでこを触る。
「…ううん。大丈夫…」わたしは先に言った。確かに躰は熱かったが、熱があるわけではない。「ごめんね、今から御飯作るから…」
布団から出ようとするわたしを、公一が制した。
「いいって…しんどいんだろ?…おれがなんか適当に作るから…」
公一は本当に申し分のない夫だった。
優しいし、わたしには本当に細かな心配りをしてくれる。わたしは幸せだった。
ただ、わたしたちの間にはあまり夫婦生活がない。
公一は本当にセックスに関して淡泊だった。あんまりその頻度を口にするのはなんか欲求不満みたいでイヤだけど、セックスは月に1回あるかないかだ。だからといって、ほんとうに、わたしは不満を感じている訳ではない。いや、そういう訳ではないと信じたい。
セックスがあるかないか。それが夫婦の幸せを左右するものであるとは考えたくない。
セックスは結婚生活のほんの一部である。
だから、わたしはセックスのあまりないこの生活を不完全なものとは思わない。
公一が簡単だけどおいしい料理を用意してくれた。
卵とトマトの炒めものに、サラダ。おみそ汁はインスタントだったが、御飯はちゃんと炊いてくれた。それを食べてわたしは少し幸せな気分になった。公一は仕事先であった面白い話をいろいろとわたしに披露してくれる。わたしはそれを笑いながら聞き、相槌を打って楽しい一時を過ごした。
しかし心の中では、なにか整理できないものが、魚の骨のように引っかかっていた。
こんなに幸せを自覚しているのに、それでもしょっちゅう見る、あの夢は一体何なのだろう。
そして、今朝、電車の中で味わったあの背徳的な快楽はなんなのだろう。
人間というのは本当に多面的な存在だと思う。ある面では幸せなな生活に申し分のない喜びを感じているかと思えば、もう一面では無意識にしろ背徳的な快楽を夢見て、それに愉悦を感じている。
食事のあと、公一と一緒にお風呂に入った。
お互いの裸身を見ても、お風呂の中ではそれぞれセックスに対する欲望を抱くことはない。
日常的にしていることだが、その日はそのことが不思議でならなかった。
寝る時間がきて、わたしたちは寝床の中で、眠るまでの一時をおしゃべりをして過ごした。
その時に…ふと、わたしの心の中に妙な考えがよぎった。
その事を話題にしてみるべきか一瞬迷ったが、迷っているうちに、ひとりでに言葉が飛び出していた。
「ねえ…わたし、今朝電車で痴漢に遭っちゃった」
「え?」それまで仰向けに寝ていた公一が、躰を反転させ、わたしの方に向き直る「なんだって?」
「…だから…電車の中で、痴漢に遭っちゃった」
「……今日は、仕事休んだんじゃなかったの?」公一はいつになく真剣な表情だった。
「……うん……電車には乗ったんだけど…そこで…結構ヒドい痴漢に遭っちゃって…」
「……」公一は応えなかった。
目が真剣な色に変わっている。わたしはほんの少しだけ、怖くなった。
「……で…なんか仕事に行く気がなくなっちゃって…それで帰ってきたって訳」
「…ふうん…」公一が口だけで笑みを浮かべた。しかし、目は笑っていない。
暫く、沈黙が続いた。わたしは意味もなく、このことを口にしたことを後悔した。
「……どうしたの?」わたしは不安になって公一に聞いた。
「……どんなことされたの?」公一が真顔で聞く。
「…え?」
「……だから、どんなことされたの?」
「…え…あの…」
突然、公一がわたしの布団に入ってきた。
公一はいつになく乱暴な手つきで、わたしの躰を横にして、わたし背中にぴったりと自分の躰を押しつける。
いつものようにパンツ一枚のわたしのお尻に、ものすごく固くなった公一のものを感じた。
「ひっ…」
わたしは思わず身をよじった。こんなに高まっている公一のものに触れるのは、ほんとうに久しぶりだったからだ。公一はわたしの躰を逃がさないように、わたしの躰のまえに手を回してがっちりと掴まえた。荒い息が後からわたしの首筋にかかり、固くなったあれが、さらにお尻に押しつけられる。
「…ね…どんなことされたの?」公一が耳元で囁く。
「…え…そんな…どんなことって……あんっ!」公一が、わたしの耳を舐めたのだ。
「…こんなことされた?」そう言いながら公一は、ゆっくりとわたしの首筋に舌を這わせた。
「……ん……」
それはいつも、公一がわたしにする愛撫と同じ者だった。奇しくも、あの「電話の男」が電車の中でわたしにしたことと同じだったが、それぞれは全然違う。夫の吐息を感じて、わたしの躰は鋭敏になっていた。
「……ねえ……教えてよ……おっぱいは揉まれたの?」
「……ばか…ねえ…ちょっと……あっ」公一の手がTシャツの上から、ブラジャーをしていないわたしの胸をゆっくりと揉み始めた。
「……あ…もう乳首が固くなってきた……電車でもそうなったの…?…感じた?」
「…そんな…わけ、ないでしょ…」わたしは言いながら、頭の中であの「電話の男」がわたしにしたことを反芻しはじめていた。「…んっ」
Tシャツに浮き出た乳首の先を、公一につままれた。びくん、とわたしの躰が波打った。
「……首と胸が弱いからなあ…伊佐美ちゃんは……ねえ、ほんとは感じたんでしょ…?」
「……そんなっ……そんなわけないでしょ…はっ」
布団の中で、わたしのTシャツが胸の上まで捲り上げられた。
公一は一旦わたしの乳房から手を離すと、両手の人差し指の指先に唾をつけて、わたしの両乳首をこね始めた。
「……んんっ……ふっ……」
「…ほら、気持ちいいでしょ?……ねえ、どうだった?痴漢に触られて、気持ち良かった?」
「……や……やめ……てよ…あっ」
夫はわたしの乳首を濡れた指先でいじりながら、再び唇で首筋に微妙な刺激を与えた。わたしの全身が泡だった。不思議なことに、さっきまで全然違うと感じていた夫の愛撫が、「電話の男」から受けたものと同じ反応をわたしにもたらした。
「……どう…気持ちいい?……痴漢にされたのと……どっちが気持ちいい?」
「……ば…か…そんな……」
「……ねえ…どんなことされたの?……やっぱりお尻をこんな風に?」
公一の手がわたしのお尻をパンツ越しに掴んだ。
「あっ」
やわやわと、わたしのお尻を揉み上げる公一。いつの間にかわたしは太股をすり合わせていた。
「……ほら……思い出してきた?」
「……ん……あ……」わたしの中心部が熱くなる。そこがまた、快楽を求めている。
「……ねえ…これだけだった?……これだけだったの?」
「……ん」わたしは妙な気分になっていた。興奮がわたしにその言葉を言わせた。「…違う……」
「……違うって、どうなの?…」公一がわたしの耳たぶを舐める。
「……その……あ…の……パンツ……の……中に……」
「……ふうん…」
「……あっ!……いやっ!!」わたしの躰をよく知っている公一の指がパンツの中に侵入し、いきなりクリトリスを探り当てた。「……うっ…うんっ!!」
「…こんな風にされたの?」公一はそこで、焦らすように指を動かし始めた。
「…んっ……あっ…」わたしの腰はもじもじと動いたが、それを公一はガッチリと抑えつける。
「…ほら…正直に言いなよ……こんな風にされたの?…気持ちよかった…?」
激しくなっては焦らし激しくなっては焦らし……その繰り返しだった。何回も、同じ質問を公一はわたしの耳元で囁く。わたしは何度も襲ってくる昂まりをはぐらかされ、すすり泣きをはじめていた。
「……うん……気持ちよかった……」ついにわたしは言ってしまった。そして、ウソもついた。「……このまま……いじられて……イッっちゃった……ごめんね…」
「……そうか…イッっちゃったのか……」公一はそういうと耳元でクスッと笑った。「じゃあ、今度は僕がイカせてあげる……いいよね?」
わたしは答える代わりに大きく頷いた。もうぎりぎりのところまで来ていたので、ゴールは目前だった。指にバイブレーションを加えて、わたしのクリトリスを弄ぶ公一。その手つきが「電話の男」と似ているかどうか、わたしにははっきりわからなかった。絶頂がすぐそこだったからである。
「……んあああああっっ………………っくう」
思わず出かけた大きな声をなんとか抑えて、わたしは全身の筋肉を弛緩させた。
「…気持ちよかった?」しばらくして、荒い息をしていたわたしに公一が後ろから聞く。
「……ねえ」わたしは公一の方に向き直って、率直な気持ちを言った「入れて…ねえ」
「…ごめん」公一はあの優しい笑みで言う。「明日、早いから…」
わたしははぐらかされたみたいでかなり腹が立ったが、それを顔には出さなかった。
公一におやすみと言い。公一もお休みと答えて、わたしたちは枕元の電灯を切った。
その夜も、二日連続であの夢を見た。
<つづく>NEXT/BACK TOP