インベーダー・フロム・過去
作:西田三郎「第4話」 ■思い出せない
ひとり家に帰ったわたしは、まず服を脱いで冷たいシャワーを浴びた。
まるで全身の皮膚の下を、虫が這っているような感じだった。躰全体がむずむずし、ひどい熱を帯びていた。 いくら水を浴びても、その感覚は消えなかった。
シャワーから上がると、Tシャツとパンツだけの姿で、そのまま寝床に潜り込む。
全身がじんじんとうずき、脈打った。目を閉じても、布団に潜り込んでも、それは消えない。
とても眠ることなど出来なかった。
あの男の声のことを思った。
携帯電話の電源は、切ってある。
またあの男から電話が掛かってきて、その声を聞いたら、どうにかなってしまいそうな気がした。
あの低い声と、電車の中で嗅いだ男の汗の匂いを思い出す。
ほんとうにわたしは、あの男に覚えがないのだろうか?正直言って、自信がない。
わたしは自分の過去に思いをめぐらせた。滅多にしなし、進んでしたくはないことだったが。特に、十九、〜二十一歳までの間の、わたしの“暗黒時代”に。
当時のわたしは、とても荒れていた。
大学に入ってすぐに、バイト先で知り合った4歳年上のフリーターと、初めて経験した。
あまりいい思い出ではない。男は女に目隠しをしてセックスするのが好きだった。わたしが初めてだとは、男は知らなかった。男の部屋でいきなり目隠しをされたときは、正直言って驚いた。しかしわたしはあまり狼狽を見せるのも、何となく格好悪いような気がしたので、平気なふりをしていた。男は前戯もそこそこに、熱くて固くなったものを突き立ててきた。まあ当時処女だったわけだし、しっかり前戯をされていてもそれなりの反応ができたかどうか怪しい。でも充分に潤んでいない、新品の狭い穴に、いきなり押し込まれたのである。躰がまっぷたつになるかと思うほど、痛かった。出血はひどく、太股まで垂れた。男はそのときはじめてわたしが処女であることを知って、大喜びした。泣き叫ぶわたしのお腹に、早々にザーメンをかけると、今度はわたしを裏返しにして、後ろから入れてきた。男は滅茶苦茶に腰を打ち付け、最終的にはわたしの背中に2回目のザーメンを出した。
目隠しを外されて驚いた。まるで殺人現場みたいに、わたし男の下半身は血塗れだっった。
そんな初体験がトラウマになったのか、といえばそんなことはない。
わたしはどうも男と長続きしない方だった。目隠し好きなフリーターとは初めてのセックスの後、2、3週間で別れた。さらにその2、3週間ほど後には、また別の男ができた。
謙遜でもなんでもなく、自分がそんなに魅力的であるようには思えない。顔もスタイルも、10人並だと自分でも思う。しかし、それでも男は次から次へと寄ってきた。何故だろう?今にして思えば。わたしがあまりにも無防備で、すぐヤらせそうに見えたからだと思う。自分で鏡を見ても、わたしの一体どこにそんな雰囲気があるのかはわからない。しかし、多くの男たちはそれを読みとるのだ。
わたしの周りにはいつも男が居て、その男とのセックスがあった。
何故それほどまでに爛れた生活を送るようになったのかと言えば、理由は二つ考えられる。
一つは、独り暮らしをしていたこと。大学に入学したわたしは、地方の親元を離れて、大学の近くのワンルームに下宿していた。とりあえず、男が転がり込んでセックスする場にはことかかなった。そのワンルームのことは今でも時々思い出すが、男と一緒にいなかった夜はほとんどなかったような気がする。それも同じ男と2晩以上過ごしたこともまた、ほとんどなかったような気がする。部屋にはシングルベッドを置いていたが、そこに独りで眠る晩は非常に少なかった。もう一つは、お酒を覚えたことだ。それまでわたしは自分にお酒が飲めるとは、まったく思っていなかった。新入生歓迎コンパで、はじめてビールを口にした。そこからだ。絶え間なくお酒を飲み始めたのは。煙草を吸い始めたのも、ちょうどこれくらいからである。わたしはお酒に強かった。ビールにはじめて日本酒、焼酎にワイン、ウィスキーと、お酒の種類には何らこだわらず、何でも飲んだ。さすがに大学に通ったりバイトに行ったりする日中はしらふで居るしかなかったが、下宿に帰るまでの酒屋で、大量に酒を買い込むのが日課にっなった。思えば、ああいう状態をアル中というのだろうか。
わたしは浴びるほど酒を飲み、数え切れないほどの男とセックスした。
さて、ここから本題だ。お酒には強いわたしだったが、たまに羽目を外してお酒を飲み過ぎ、記憶を失うことがあった。気が付けば全裸で独り自分の部屋で寝ていて、他には誰もおらず、ゴミ箱には使用済みのコンドームが2つ捨てられている、なんていうことも1度や2度ではない。1晩限りの相手も多かったので、そんな時、特に心当たりのないときは、誰かが寄っているわたしとセックスして、そのまま放置して帰ったのだろう。
問題なのは、わたしがお酒で記憶を無くした場合、その間の記憶は、後からいくら思い出そうとしても全く思い出せないことだった。
というわけで、わたしは自分と関係を持った男の全てをしっかり覚えているわけではない。
“電話の男”がそんな、わたしがすっかり忘れている男のうちの1人でも、おかしくはないのだ。
しかし、それでも疑問が残る。
何故男はわたしが時折見る、あの“夢”のことを知っているのか?
そこが最大の謎だ。
大学を卒業してからは、お酒も奇跡的にやめることができた。
お酒はやめることができたが、男たちとの爛れた生活と、煙草は止めることが出来なかった。
やはり、わたしはとても押しに弱いことがあって、「やらせてくれ」と正面から言われると、断ることができないのだ。卒業後、まあまあ名の知れた大手のメーカーで一般職として働きはじめたが、そこで働いた2年間、わたしはおなじ支社にいる男ほとんど全員とセックスした。多分、「あいつは頼めば必ずやらせてくれる」と、男性社員の中で噂になっていたんじゃないだろうか。そうこうしているうちに、妻子持ちの男との関係がややこしくなった。その男の妻が、男の携帯電話からわたしの存在を割り出したのだ。ちょっとした騒ぎになって、わたしの方がなんとなく会社に居づらい状況になり、結果、辞めることになった。
ちなみに男はまだその会社で働いていて、聞いたところによると支社次長になったらしい。
それから半年後、今も勤めている小さなアパレル商社で、契約社員として働きはじめた。
そこでももうちょっとのところで、わたしの悪癖が出るところだった、友達がセッティングしてくれた合コンで、公一に出逢うことができた。それがちょうど3年前。
以来、わたしは煙草と不特定多数の男達とのセックスライフを絶った。
わたしの記憶の中から消えている、数多くの男達。
その中の1人があの電話の男…“夢の中の男”なのだろうか。
普通なら、アルバムや大学の同窓会名簿を引っ張り出して、かすかな記憶の糸をたぐるところかも知れない。
しかし、公一と出会う前に持っていた写真やメモや手帳は、すべて結婚の少し前に燃やしてしまった。
なので、わたしにはなす術がない。
頭の中の思考が堂々巡りしている。
布団に入って15分、シャワーを浴びる前よりも、躰が熱くなっていることに気づいた。
やはりこれしかないのだろうか。わたしは自分の右手を、そっと下着の中に入れた。
まるで煮えくり返るように、そこは熱くなっていた。<つづく>
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