インベーダー・フロム・過去
作:西田三郎「第20話」 ■アローン・イン・ザ・ダーク
電話で公一に言われたとおり、わたしはべろべろに酔いながら会社の最寄り駅で降りた。
何時くらいだったのかははっきり覚えてないけど、多分もう、終電近かったんじゃないかな。
改札を出ると…公一が言ったとおり、あの男が…シマハラではない男、侵略者、またはミスター痴漢氏が…柱に持たれて立っていた。学校の先生に叱られたように、浮かない表情だった。
彼はわたしに気づくと、そのくっきりした二重の瞼をわたしに向けた。そしてわたしの目線から目を逸らせた。
「こんばんは」わたしから挨拶をした。
「…ども」彼は軽く会釈して、小さな声で言った。
これがわたしを電車の中でさんざんいじり倒し、ハードな言葉責めをかけてきたあの大胆不敵な“侵略者”と同一人物であるとは、とても思えない。そういや…前回はズボンの中にイかせてやったのだった。そのせいか…彼はとても貧弱で、小さな存在に見えた。
「あなたも、公一に呼び出されたの?」
「…公一って……あ、ダンナさんですか。……はい、そうです」
「…名前はなんての?」
「……ええと…………小泉といいます」妙に笑える名前だった。
どうでもいいが、とにかく呼び名が出来た。
わたしは小泉と歩き出した。公一の呼出先は、3週間前、わたしが目かくしされて目覚めた、あのホテルの一室だった。駅からはすぐだったが、ほんの少し小泉と会話することはできた。
「ね、ところであんた、一体何なの?」
「……え、僕ですか」
「うん、あんたしか居ないじゃん」
「……その……それは……」
「公一とはどういう関係なの?」
「……え、ダンナさんとですか」
「うん、それしか居ないじゃん。いちいち聞いたこと聞き返さないでよ」
「……はあ、あの……それは、ちょっと恥ずかしい事情がありまして………」
「……恥ずかしい事情?まさかホモとか?」
「違いますよ!」小泉はムキになった。そんなところはまだ子どもっぽかった「……その、あの……僕はその……電車に載ると、……その、つい、………女性の躰に触ってしまうことがありましてことがありまして…」
「え、あんた…本当に痴漢なんだ」これにはびっくりした。
「……その、あの、2ヶ月ほど前、その……朝の電車で………その、たまたま前に立っていた女性の躰を……はずみで、触っちゃってたんです。すると、女性が騒ぎ出して………頭が真っ白になっているところを、ご主人が……公一さんがわたしを捕まえて、『次の駅で駅員に突き出す』と周りの乗客に言ったんです」
「へえ…」公一にもそんな頼もしいところがあるのか、と思った。
「……もう、頭の中は真っ白で、完全にパニック状態だったんです。そこで…土下座でもしてご主人に赦しを乞おうか……もしくはご主人を線路に突き落として自分も死のうかと…本気で考えました」
「…なんだか、ずいぶん極端だなあ」
「……すみません。でも、その時の僕にはそんなことしか考えつきませんでした。…………ホームに降りると…ご主人は僕の財布を取り上げて、僕の名前と住所を確認しました。もうだめだと思ったんですが……意外にもご主人は僕を駅員に突き出そうとはしませんでした」
「へえ」
「……『前科者になりたい?』ご主人は言いました『ご家族が息子が痴漢だなんて知ったらどんなに悲しいと思う?』って……僕は泣きながら、ほんとうにそのことを考えると死にたくなりました。でもご主人は言ったんです『駅員には突き出さない。その代わり、僕の言うことを聞くかい?』……なんのことだかわかりませんでした……とても…失礼な話なんですが、一瞬僕は、ご主人がホモなのではないかと思って、ヒヤっとしました」
「…するよねえ、普通」
「……でも、ご主人が要求してきたのは……その……なんと言いますか…」
「……何?」
「……ご主人の指示どおりに、そのある女性を…電車の中で痴漢しろっていう奇妙なものでした……その……つまり、ある女性というのは……」
「……わたしの事?」
「……そうです………」
「……何で公一はそんなことを?」
「さあ……僕もあまり深く考えたことはありません。とにかくご主人の要求はいろいろでした。あなたの耳を舐めろとか、口に指を突っ込めとか、その他いろいろと………お宅に電話して『あなたの夢の中に出てくる男』と名乗れといったのも、ご主人です。痴漢をしながらあなたに言ったいろいろな事、やったこと全ては……全てご主人が指示したとおりのことです」
「……はあ…」
「……だから、僕は仕方なく……」
「……そのわりには、楽しそうだったじゃん」わたしはわざと意地悪に言った「ほら、あんたと別の二人に、取り囲まれていやらしいことされた時のこと覚えてる?」
「……はあ、あれは全くの予定外でした。彼らは多分ほんものの痴漢で、僕があなたをいいようにしているのを見て、それに便乗したんでしょう」
「……はあ……」
溜息が出た。間もなくホテルについた。
「今日は、酔ってないんですか?」小泉が聞く「あの日は、メチャクチャに酔っておられたようですけど……」
「うん、今日も酔ってないわけじゃないけど、大丈夫」
何が大丈夫なのかは知らないが、二人で公一の待つ部屋に向かった。
部屋につくと、公一は灯りも点けず、窓際のソファに座って煙草を吸っていた。わたしは公一が煙草を吸うなんて知らなかった。暗いせいで、煙を吐き出す公一の表情は伺えない。
「ひさしぶり……」わたしは言った。
「お二人とも、おつかれさん」
「……元気?」わたしは顔の見えない公一に言った。
「うん、元気。………髪を切ったんだね。うれしいよ……あの写真の頃みたいだ」
わたしと小泉は部屋のドアのところで立ちつくしていた。今日はいろんなことを知る日である。
今日知ったことその1…“痴漢氏”は小泉という名前で、本物の痴漢で、公一の知り合いである。
今日知ったことその2…わたしは結婚して以来、毎夜のように夢の中で悶え、それを公一に見せつけてきた。
今日知ったことその3…あの“写真”は小泉を経由して、公一からわたしに贈られたものである。
今日知ったことその4…公一は煙草を吸う。
「さて、と」公一がそういってテーブルの上のランプを点けた。懐かしい顔がそこにあった。「……座ったら?そのへんに」
わたしと小泉は、並んでベッドに腰掛けた。
「ほんっとに、何も覚えてないんだね」公一が言った「人間って素晴らしいね。覚えていたくないことはすっかり忘れることができるんだから」
「さあ…どうだろ」わたしは言った「完全に消えちゃう記憶なんてないよ。どこか心の奥で、眠ってるだけだよ」
「……ふうん」公一は無表情だった。よく見ると煙草を吸っているのではなく…煙だけを噴かしている「……じゃあ、その眠ってる記憶を呼び覚まそうじゃないの。あの晩と同じように」
…見るからに緊張している感じの小泉が、ゴクリと唾を飲み込むのが横目に映った。
「……どうすればいい?」
「前と全く同じさ……これをつけて」公一が上着の内ポケットから安物のネクタイを出した「目かくしして」
わたしは素直に従った。
真っ暗な中…部屋は静まり返っている……小泉と公一の、かすかな鼻息だけが聞こえた。胸がドキドキしてきた……確かに細かいことは忘れているけど……この部屋で3週間前に経験した胸の高鳴りだけは、心臓のほうが覚えていたようだ。
「それから、どうするの?」
「服を脱いで」公一の落ち着いた声が言った「そのまま、脱ぎ散らかして」
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