インベーダー・フロム・過去
作:西田三郎「第11話」 ■イエロー・モーニング・ウィズ・ダーリン
明くる朝目を覚ますと、公一は先に起きて朝食を作ってくれていた。
そういえば、昨夜はあの夢を見なかった。
朝の光の下でお互いを見ると、何だか少し気恥ずかしくなった。
お化粧をしたときに気付いたけど、わたしの目の下にはうっすらと隈ができていた。
わたしたちは昨晩に4回もやった。公一が帰ってくる前、わたしが自分で指を使ったのと併せるなら、何回イッたか判らない。とにかく…新婚の頃に、一晩で8回やってしまったことがあるけど…昨晩のセックスは中身が濃密だった。わたしは自分があそこまでイきやすいとは思っていなかった。
その気になれば、女は何回でもイけるんだ、ということを改めて思い知らされた。
わたしはいいけど、それにつき合わされた公一は大変だったと思う。
4回目なんて、卵のからざぐらいしか出なかった…って、なんだか表現が生々しくなってしまう。
しかし、わたしが昨夜あの夢を見なかったのも当たり前だろう。
あれだけイッておいて、さらにあんな夢まで見るとしたら…わたしはほんとうにどうかしてる。
公一の目の下にはわたしよりはっきり隈が浮き出てていた。この点に於いても、女はお化粧でごまかせるから得だ。公一の目は黄色く濁っていて、うつろで、焦点を失っていた。
今日は灰色のスーツだったが、それにまったく合っていない海老色のネクタイを締めている。多分、まともにネクタイを選ぶ気力も無かったんだろう。わたしも緑のカーディガンに白いブラウス、水色のフレアスカート。どこがとは言えないけれど、何かしっくり来ない取り合わせだった。わたしにもその服を選んだ記憶がない。
お互いに、それを指摘し合う気力さえ無かった。
昨日あんまり大きな声を出しすぎて、声も枯れていたし。(隣に聞こえなかっただろうか?)
そんなわけで、公一はわたしに合わせていつもより1時間遅く家を出た。
ふらふらのわたしたちは、言葉も少なく駅までの道を歩いた。
その日はまるでいやがらせのように晴れ渡った、日差しの眩しい日だった。普通なら汗ばむくらいの陽気だったが、わたしも公一も余分な水分は一切残っていなかったようで、一滴も汗を掻かなかった。
あっという間に、駅に着いた。
「ああ、すごい人だね。いつもこんなのなの?」ホームの人混みに気圧されて公一が言う。
「うん…でも、これがイヤだからいつも早く出てるんでしょ?」わたしは掠れた声で言った「わたしは、早く出かけるより満員電車のほうがいいな」
「…毎朝痴漢に遭っても?」公一が特に受けを狙ったわけではなさそうな、投げやりな口調で言う。
「…ばか」わたしは小さく呟いた。真面目に怒る気も無くしていた。
「…で、そのミスター痴漢はどんな感じの奴なの?」公一が周りの人混みに目を走らせながら言う「身長とか、服装の特徴とか、体つきとかは?」
「ううん…」
一瞬だけ見たその…“ミスター痴漢”若しくは“過去からの侵略者”もとい“夢の中の男”の後ろ姿を出来る限り鮮明に思い出そうとする。
特徴その1…身長はわたしと同じくらい。やせ形。少し猫背。
特徴その2…スーツを着ていなかったので、普通のサラリーマンではない。ちなみに昨日の服装は黒いカジュアルジャケットで、下はクリーム色のチノパンツ。
特徴その3…年齢は多分わたしと同じくらい。これも正面から見たわけではないので確かなことは言えない。
わたしは思いつくままに、男の特徴を公一に聞かせた。
「…それじゃ、何にも判んないのと同じだね…」公一がため息を吐く。
「…だって…」わたしは言い返せなかった。
「…とにかく、今のところ一番の特徴は、スーツを着てないってことだね。でも、昨日はカジュアルで今日はスーツだったら、全然判らない」
「……そうだけど」
「仕方ないな…」公一はもう一度辺りの人を見回した「…君に、エサになってもらうしかないね。それで、食いつくのを待とう。」
「え?」あたしは公一の顔を見た「なに?…わたしにまた今日も痴漢されろって?」
「…仕方ないだろ。そうするしか。だから、おれは君とは離れた位置つくから。って、今話してるところ見られたらお仕舞いだけど。いい?これから、おれ達は他人。他人みたいに振る舞うから、あんまりおれのこと意識したりせず、自然に。自然にね」
「……そんな」
泣きそうなわたしを残して、公一はホームの別の列に移った。すがるようにその顔を見ても、公一はもう“他人モード”の演技に入っているらしく、腕時計を見たりしてわたしの視線から逃げている。実にわざとらしい。抗議したかったけど、喉も痛いし、これ以上喋りたくもなかった。それに、公一の言うとおり、わたしがかの“ミスター痴漢”の特徴をよく覚えていない以上、こうするしか方法は無いのかもしれない。…いや、あるかも知れないけど…今は思いつかない。
ホームに電車が入ってきた。わたしは真後ろに立っている人を振り返った。
40歳くらいの、スーツを着た女の人だった。なあんだ…ホッとすると同時に、落胆もした。
こっちは万全の(?)態勢で待ちかまえてるというのに…こんな日に限って何も起こらないのはよくあることだ。ほら、、空がぐずついているから、殊勝にも予めカバンの中に折り畳み傘を入れている時ほど、結局雨は降らなかったりして。降りる人の波が溢れ出て落ち着いたところで、わたしは流れに任せて電車に乗り込んだ…あんまり気が抜けていたので、人の波に揉まれてきりきり舞いしてしまう。ほとんど回転するみたいに電車の中に巻き込まれていく。その間、ちらりと視線の端で公一を捉えた。公一はわたしの方を見もしなかった。“他人”の演技だろうか。それとも…。
だいたい、あんなに離れたところから乗り込んで、わたしが痴漢されたらどうやって助けるつもりなんだろう。車両の中央くらいに押し込まれた。周りは背の高い人が多かった。人の、人の、人の、人の向こうに公一の顔がみえた。やはり公一は“他人”の演技をしている。
電車が床を振動させて、動き始めた。
と、その時、わたしのうなじの毛が逆立った。
何故なのかはわからない。たぶん、五感以外の何かが、それを感じ取ったのだろう。一瞬にして全身が汗だくになって、その汗が急激に冷えたみたいだった。わたしは首を動かせる範囲で周りを確認した。周囲の空気の中に、彼は居た。わたしはそれを全身で感じた。公一に目をやる。一瞬、目が合った。わたしは目で、公一に合図した。わたしに危険が迫っていることを、目で訴えた。しかし公一は優しく見返すばかりだった。笑みさえ浮かべて、また視線をあらぬ方向に戻した。
「あれ、旦那さん?」声がした。右耳のすぐ後ろだった。「ふーん、いい男じゃん。」
「えっ?」わたしは振り向こうとした「…な…」
“何で?”という言葉がわたしの喉から口に至る前に、あの男がわたしの耳たぶを噛んだ。
「やんっ…!」そのまま耳の中に舌先が入ってくる。ゾクゾクっと背筋が震えた。
「……やっぱ耳が弱いんだね、伊佐美ちゃんは」
「…や…やめてよ…」男は…“侵略者”の顔は、わたしの頭の真後ろにあって、またしても見えない「何考えてんのよ。今日は…その…ダンナと一緒なんだから…」
「…うん、それに昨日、ダンナさんとやりまくったしねえ」
「…ええ??」わたしは慌てて振り向こうとした。
と、“侵略者”が頬をわたしの頬にくっつけて押し戻す。男の肌はカサカサしていて、冷たかった。
「…何回やったんだっけ?4回?5回」
「なんで…なんでそんなこと知ってんのよ?」あたしは言ってしまった。しまったと思った時には、もう遅かった。「か…かんけい無いでしょ……んっ」
“侵略者”がまたわたしの耳に舌を入れてくる。また鳥肌が立ち…腰の後あたりがぼんやり熱くなった。
「…で、昨日、ダンナさん、何回イカせてくれたの…?」
「…ん……やめ……てよ……」わたしは必死になって耳たぶにまとわりついてくる舌の攻撃から逃れようと身をよじった。しかし“侵略者”はわたしの腰をがっしりと押さえている「今日は……今日は……ほんとに、大きな声、出すからね……ダンナも乗ってんのよ。同じ車両に。」
「…ふうん」そういいながら“侵略者”はわたしのスカートを前から捲り上げはじめた「…じゃあ、声出せばいいじゃん。ダンナさん、まだ気付いてないみたいだけど」
スカートを捲り上げようとする男の手を必死で制しながら、公一の方を伺い見る。
あのバカ!マヌケ!
公一は全然あらぬ方向を向いている。一体今日、何のために一緒に通勤してると思ってるんだろう。
“侵略者”は悠々と前からわたしのスカートの中に手を差し入れると、ぴったりと閉じたわたしの太股の間に指をこじ入れ、そのまま…パンツの上からクリトリスのあたりをさらり、さらりとなで始めた。
「……やっ……んっ……やめ……て……やめて……よ……」
「伊佐美ちゃん、ちょっと声がヘンだよ。なんか掠れてるみたい……あ……ひょっとしたら……昨日、ダンナさんとやりまくって、声出しまくったから?……聞きたいなあ、おれも。伊佐美ちゃんの泣き声……誰にも邪魔されないところで、思いっきり声出してもらいたいなあ…」
「か……関係……ないでしょ……んっ!!」
“侵略者”の指が小刻みに振動をはじめる。わたしはもう息が乱れていた。
と…わたしは、わたしの右斜め正面に立っている50代くらいの会社員のおやじが、わたしの挙動をじっと見つめているのに気付いた。わたしは必死でおやじの目に救いを求めて、哀願するように視線を合わせた……しかしそのおやじは、にやりと笑って、わたしの挙動を見ているだけだった。…また、その左隣に窮屈そうに立っているおたくっぽい大学生(ふうの男)も……そのおやじと同じように、わたしが“侵略者”から受ける辱めと、わたしの微妙な反応を、目で愉しんでいるようだった。
…そんな…こんなこと…
わたしは慌てて公一の方を見た。公一も呆然としたような、びっくりしたような顔で…明らかな亢奮が見て取れる顔で…わたしの方をじっと見つめていた。<つづく>
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