イグジステンズ
〜存在のイっちゃいそうな軽さ〜




■8■ わたしの中の痴女

「……そこに映っているのは、あなたですか?」
「ち、ちがう……こ、これ……こんなの……わたしじゃない……」

 わたしは頭を振った。
 鏡の中のいやらしい女も、ミセスっぽくきれいにウェーブした栗色の髪を振り乱す。
 わたしの本来の髪は黒い。だから、鏡の中で揺れている髪はわたしのものではない。
 というか、頭を振り、髪が乱れる様がたまらなくいやらしい。
 というか、鏡の中の女は何をしてもいやらしいだろう。例えばラジオ体操をしていても。

「鏡の中に映っている人があなたじゃないなら……あなたは、鏡の前であなた自身を律する必要はないんじゃないですか?」
「…………」
 よくわからない理屈だが、そういわれるとそのような気もしてくる。
「……というか、もうガマンできなんでしょう? ……はやく自分でしたくて、しかたなないんでしょう? 『感度』のいいあなたのことだから、きっとそうでしょう?」

自分でする”って……いや、その言葉がぞっとするほどおぞましくて、いやらしかった。

「だ、だ、だって……こんなとこで……鏡で自分を見ながら……するなんて……」
「だって、鏡に映ってるのは、あなたの知らない女じゃないですか……」
「……で、でも……んっ……あああっ!」

 びくびくびくんっ! と、特に何の外的刺激も受けていないのに、腰の奥から背骨にかけて、稲妻のような痺れが走った。
 思わず上半身を起こして、のけぞる。狼が遠吠えをあげているときのポーズになる。

「ほら、もう限界でしょう? 恥ずかしいとかなんとか、言ってる場合じゃないでしょう? だいたい……恥ずかしくないじゃないですか……鏡に映っているのは、あなたじゃないんだから……」
「わ、わ、わけわかんない……」
「わかんなくていいんですよ……ほら、自分を辱めるんじゃなくて、鏡の中の女を辱めると思ってやってごらんなさい……ほんとうに、見るからに淫乱そうな女じゃないですか……いかにも、物欲しそうじゃないですか……ほら、そのまま手を……脚の間に……」
「くっ……んっ……」

 くやしかった。情けなかった。恥ずかしかった……が、わたしのガマンも限界だった。
 正面から顔を背けながら、そろそろと脚の間に右手を伸ばした。
 でも顔を背けた先も鏡だ。その鏡に映っている女も、たくましいくらいの太ももの間へ、赤いマニキュアをした手をそろそろと伸ばしていく。

 ちょん、と指が触れる。

「うあああっ! はあっ!」

 まるで獣がさかっているような声が出る。こんなハスキーヴォイス、わたしの声ではない。
 すこし触れただけで、体中を衝撃がかけめぐった。
 衝撃の原因は、自分の倍はあるかと思うほどその突起が大きかったことがまず第一点。
 そして、それが火傷するくらい熱くなっていたことが第二点。
 そして第三点は、いつも自分で触れるのの何十倍もの鋭さだったこと。

 もう止まらなかった。
 わたしはその異常に大きな突起を見てみたくなって、鏡の前で大きく足を開いていた。
「や、やばっ!」
 鏡の中の女の姿にたじろぐ。
 むっちりした長い両脚が開かれ、その中央の入口が、ため息をつくように、ふっと口を開ける。
 そこからどろり、と溢れ出す濃いよだれのような液体。
 そして……入口の頂点で晴れ上がっている小指の頭みたいな……ク……クリ……ト……リス。

「犯しちゃいなさい……鏡に映ってるのは、あなたとは関係のない、どこかの淫乱な女じゃないですか……あなたとは、何の関係もないじゃないですか……思いっきり犯しちゃいなさい……あなたの好きなように」

 そう。鏡に映っている女は、わたしとは関係ない。
 あれは誰でもない女。
 鏡に映っている女が誰でもないのならば、それを映しているわたしもまた、誰でもな い女。
 恥ずかしがることなんか何もない。
 というか、わたしがわたしであるから、恥ずかしかったり、落ち込んだり、悔しかったり、悲しかったり、虚しくなっ たりするのだ。
 じゃあ、わたしがわたしではないなら?
 いやいや、今はそんなしちめんどくさいことを考えてる場合じゃない。

「は、あうううっ!」
 指をいきなり三本、つっこんだ。中は火傷しそうなくらい熱くて、突っ込んだ指を食いちぎらんばかりに中の壁の襞が絡みついてくる。
 大きく脚を広げてしまった。鏡に向かって。そして、恐る恐る顔を上げる。
 思わず目が釘付けになった。
 し、知らない。知らないこんなアソコ。ぜったい、ぜったいわたしのじゃない。
「ほら……腰を上げて……もっと鏡に見せつけてごらんなさい……」
「……いっやっ……あっ……だめっ……もうっ……かんにんっ……もうっ……イっちゃうっ!」

 まるでエロDVDの女優さんのような声を出して、まるでエロ小説みたいに「堪忍」とか言いながら、わたしは一瞬にして昇りつめてしまった。早い。あまりにも早すぎる。一回目の絶頂は、相撲で言うなら叩き込みの一手のように、あまりにもいきなりで、あっけなかった。

 がくっ、とソファの上に尻餅をつき、そのまま仰向けに倒れる。
 天井の鏡を見ると……豊満で芳醇なエロ熟女の肢体が、余韻に息づきながら、ぐったりと弛緩しているのが見えた。エロい。なんてエロいんだ。それを見ていると、また催してきた。
 こんなもので収まるわけもなく、わたしは二回目に取り掛かろうとした……とそのとき、また部屋の明かりが消える。

「えっ……」
「……次は……違う姿でやってみたらどうです?」
「ちょ、ちょっと……」声はわたしの本来の声に戻っている。「……待って……その声」
 あきらかに、あの変態じじいの声ではない。聞き覚えのある声、忘れられない声だ。
 と、また下から懐中電灯で照らしたような顔が、鏡の壁に浮かび上がる。
「ひっ」
 のっぺりした、大きな顔……そう、あの顔だ。わたしをストーカー……じゃなくてストーキングしてる男……牛島の顔だ。
「……素晴らしかったですよ……大田結衣さん」
「なっ……なにっ? ……え? どうゆうこと? あの……あのじじいとあんた、グルだったの? あの変態じじい……どこいったの?」
「どこにも行っていませんよ」牛島の顔が……顔だけが闇の中に揺れる。「……ここにいるじゃないですか」
「い、いや、そこにいるのは……あんたじゃない……」
「では……そちらにいるのは、あなたですか?」
「あ、あたり……まえでしょ」
「さっきは……違ったんじゃないですか? 自分ではないと思ったから……あんな淫らなことができたのではないのですか?」
「えっと……」そのとおりだ。でも、こいつの言っていることはめちゃくちゃだ。「ごめん、それとこれと、わたしのこの今の状況と、あんたのあの変態じじいの関係を、ちゃんとわかるように説明してくれる?」
「分けて考えちゃダメですよ……すべては同じです」
「なに? あんた? なに仙人とか、えらい坊さんみたいなこと言ってんの?」
「姿かたちというものは、自分のなかにある自己像と同じです。ひとりひとりの人間がそれぞれ意識して、苦労してかたちづくり、それを保っているのです。し かしそれはとても苦しくて、厄介なことです……自分に背かないために、自分らしい自分を演じ続けるのに、大西結衣さん、あなたご自身も疲れていたのではないです か?」
「……えっと……あの、そうかもしれないけど、だからって……何?」

 わけがわからないなりに、わたしは何かうまく口車に乗せられてしまいそうな危険を感じていた。
 そしてそんな危険な口車に乗ってしまうことに対して、ちょっとしたスリルを味わっていた。

「主観的に自分がどうであるか、というのは、その個人にとっては重要ですが、他人にとってはどうでもいいことなのです。本人たちが思っている以上に、他人 は自分のことなんて気にしちゃいません。自分が他人のことを気にしていないのと同じように……これは、姿かたちにおいても、結局は同じことなんですよ」
「……ごめん、もうちょっとわかりやすく言ってもらえる? わたし、頭あんたほどよくないんだから……」
「あなたが他人になっても、誰も気にしやせません。わたしが変態じじいになったとしてもも、変態じじいがわたしになったとしても、それはどうだっていいことなのです。あなたがさっき、見も知らない淫らな女になってみせたのはなぜです?」
「な、なぜって」それは、こっちが聞きたいところだ。「なぜ、なわけ?」
「あんなに淫らな自分が、自分とは認めたくなかったからでしょう? 実際に、あなたは変わってみせた。そういうことをしても、不自然ではない女に……誰でもない女に……架空 の、淫らな女に。それが、あなたにはできたんです。あなたはわたしと同じで、『感度』が高い。だから、誰にだってなることができる。その証拠に、ほ ら……」

 また明かりがついた。

「えっ……」

 鏡に映っていたのは、わたしでもなく、あのエロい熟女でもない、また違う姿だった。
 淡く脱色した髪、さっきの女よりも確実にマイナス40%(わたしと比較すると、マイナス10%くらい)は小さな、スリムな身体。
 抜けるような、青ざめたような肌。古い映画だけど、『白い家の少女』のジョディ・フォスターみたいな。
 
 てかこれ、飯田の部屋であったあの小娘じゃないか。


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