イグジステンズ
〜存在のイっちゃいそうな軽さ〜


■7■ 鏡の間

 そこから先は、ちょっとよくわからない。
 どうやってそこに連れてこられたのか、居酒屋にいたときからどれくらい時間が経っていたのか、そもそもそこがどこだったのかもわからない。
 気がつくと、わたしは広いベッドの上に横たわっていた。
(……ううう……ん……ってか、ここどこ?)
 床はシーツの敷かれた柔らかい素材だった。でも、部屋は真っ暗で、すこしひんやりと肌寒い。
 それに……なんか妙だ。仰向けで寝ているんだけど、背中とお尻と太ももの裏が、直接布に触れてるみたいで……。

「えっ」

 てか、直接触れてるじゃん。
 て、ことはわたし、今、全裸じゃん。

 頭がガンガンした。意識が朦朧としていたけれど、結構ヤバい事態に陥っていることはなんとなくわかる。
 とにかく、シーツの上で身体を反転させて、腹ばいになる。そのまま、身体を起こそうとした。
 でも、かくん、と腰が抜けたみたいになって立てない。それだけではなかった。

「あんっ……」
 ちょん、と冷たいシーツに両方の乳首の先が触れただけだ。それだけで、電流みたいな痺れが身体を駆け巡った。
 なにこれ? ……すっげえ敏感になってる……いや、いやいやいや。
 そんな場合じゃない。とにかく、この暗い部屋から出なくては。
 シーツを這った……と、擦れ合う太ももが、またビリっと痺れる。
「やんっ……」 
 これ、まじでマズイ状況じゃね? と、ちょっと前のギャル言葉でわたしは思った。
 多分あのじじい、あの居酒屋でわたしの飲み物に、何か妙なクスリを混ぜたに違いない。その上でわたしは、どこだか知らない部屋に監禁されているのだ。ヤバい。大田結衣、人生最大のピンチかもしれない。とりあえずここから、逃げなくちゃ。
 でも、身体が言うことをきかない。びりびりと痺れて、言うことを聞かないどころか、感じたくもない余計な感覚を喜んで吸収しているような間抜けな身体を叱りながら、なんとかベッドの端までたどり着く。
 それにしても、広いベッドだ……わたしの部屋くらいあるんじゃないか。

「えっ……」
 ベッドの淵には、壁が立っている。冷たくて平らな、ガラスの壁。
「な……なに?」
 真っ暗な中、ガラスの壁を伝ってなんとか這い上がる……とまた、かくん、と膝が崩れて、冷たいガラスの表面に、おっぱいを押し付けてしまった。
「ひゃあっ!」
 鞭で打たれたみたいに……いや、打たれたことないけどさ……きつい痺れの波がわたしを飲み込んだ。
 思わず、シーツの上に這い蹲る。
 なに……なにこれ……わたし、何を飲まされたの?……てか、ここどこ?

 すると突然、じじいの声がした。
「思ったとおりですね……『感度』がすばらしいのはもちろん、あなたはほんとうにすてきな身体つきをされている……」
「えっ……」声の方向を振り向く。「わっ!」
 背後もガラスだった。というか、馬鹿でかいベッドは、ガラスの壁に囲まれている。その壁のひとつ……ちょうどわたしがお尻を向けていたほうの壁に、じじいの顔がまるで幽霊みたいに浮かび上がっていた。
 顔の下から懐中電灯で照らしたみたいに。
 まるで中学のとき、林間学校の肝試しでわたしを死ぬほどビビらせた担任教師みたいに。

「……素敵ですよ……大田結衣さん……あなたはすばらしい……」
「ここ……どこよ」呂律はしっかりまともになっている。
「……ここは、どこではないか、が問題ですよ……」ジジイが顔を照らしながら、わけのわからないことを言う。「……明かりをつけましょうか?」
 と、不意に部屋の明かりがついた。
「えっ……ひゃっ……な、なにこれっ!」
 
 どこからの照明なのかわからないが、急に部屋が明るくなり、わたしの置かれている状況が明らかになった。
 予想どおり、わたしのワンルームくらいある信じがたいほど広いベッド。
 その四方の壁が、で覆われていた。何も身につけていないわたしの身体が、すべての壁に映しだされている
 床の白いシーツに反射して、乳首、身体にいくつかある黒子、そして大事なところの毛など、そうした色がついた部分のコントラストがくっきり映える。
 鏡が鏡を映し出しているその空間で、わたしの身体はあらゆる角度から晒されていた。
い、いやっ!」
 胸と股間を隠して、ベッドにうつ伏せになる……まるで亀が甲羅の中に引っ込むみたいに。
 おそるおそる天井を見上げてみると……なんとまあ、天井まで鏡が貼られている。わたしの肩甲骨と背骨がくっきり浮き出した背中、そしてその下の大ぶりな梨のかたちをしたキレイすぎるお尻が、しっかり映し出されていた。
「……ここ、どこよ?……ってか、あんた誰……よ……」

 明かりがつくと、ジジイの顔は消えていた。
 ようするに、この部屋の四方の壁と天井に張り巡らされている鏡は、いわゆるマジックミラーらしい。
 どの壁を見ても、わたし、わたし、わたし。全裸に剥かれたわたし。
 裸にむかれて、丸まっているわたし。恥ずかしいなんてもんじゃなかった。いや、普通は怖がるべきなんだろうけど……頭がまともに働かない。
 “怖い”よりも“恥ずかしい”という思いのほうが強すぎる。
 それに、勝手にじんじんと盛り上がる身体に、“今は、怖いより恥ずかしい、でいいでしょ?”と諭されているようだった。

「こ こがどこではないか、わたしがだれではないか、が問題ですよ……それに、今、こういう状況に置かれたあなたは、いったい何者なのか?」鏡の向こうから、じ じいの声。「それを知っていただきたくて、ここにご案内しました……それらのことを通して、あなたご自身に、自分のたぐいまれな『感度』について……よく 理解していただくためにね……」
「ど……どういう……意味……えっ……?……んんっ!」

 と、突然、下半身に新鮮な痺れが走る。
 メンソレータムを塗られたように、下半身の重要な、あのあたりがひりひりするほど熱くなる。

 おかしい。こんな状況なのに、無性に自分に触れてみたい。

 脚の間が、煮立っているみたいに熱い。というか、もう煮立っていた。もう、吹きこぼれていた。
 ヤバい。こんな状況なのに、自分で触りたくて触りたくて仕方ない。
 ええまあ、もうちょっとあけすけに言うとですね、オナニーしたくてしたくてどうしようもなくなっていたのですよ、はい。
 でも、できるわけがない。
 こんなに鏡に取り囲まれた状況で、もし本当にオナニーをおっぱじめちゃたら、わたしはこの張り巡らされた鏡を通して、あらゆる角度から自分の恥ずかしい姿を自分で自分に見せつけることになる。
 それに、鏡の向こうでは、あの変態じじいがわたしの痴態をガン見しているはずだ。

「ああっ……うっ……くっ……んんんっ……」

 わたしは耐えた。必死で耐えた……二年前、お昼のしめ鯖に当たって会社帰りの電車の中で必死で便意を堪えたときのように耐えた。
 でも今、耐えているのは便意ではなくて、オナニーしたい、おもいっきり脚の間の奥でズキズキするほどうずいているク……リト……リスをこね回して、あそこに二本くらい指ぶっ刺して、じゅくじゅく、ぐちゅぐちゅとかきまわしたい、という大変下品ではしたない衝動だ。

(そんなん……めっちゃくちゃはずかしいやん……あかん、あかんて……)

 別に関西出身ではないけど、えせ大阪弁で自分を戒めようとした。
 でも、身体が止まらない。腰がぐいぐいと8の字を描き、すでにぬるぬるしている太ももをすり合わせ、シーツでおっぱいを押しつぶす。

「……ちがう……ちが……う……」わたしは自分に言い聞かせるように漏らした。「わたし……わたし……わたしこんなんじゃない……こんなの……こんなのわたしじゃない……」
「ほう」と鏡の向こうからじじいの声。「では、あなたではないなら、誰なんです?」
「えっ……」

 思わず声のしたほうの鏡を見る。もちろん、そこにはわたしの顔が映っているはずだった。

 でもそこでわたしが見たのは他人の顔だ。

 正面の鏡に映っているのは、もの欲しげな熱っぽい目をして、やたらとぽってりした唇を半開きにし、よだれを垂らしている淫らな女の顔。
 髪型も違うし、体つきも違う。だいいち、顔がまるで違う。
 鏡の中の鏡に映っているそのお尻は、わたしに似てかなりボリュームがあったが、わたしよりずっと柔らかそうだ……腰をゆするたびに、ふるり、と波立つ。
 それに、おっぱいがハンパない。わたしの5倍はでかかった……いやそれどころか、飯田の部屋にいたあの小娘よりずっと。
 お尻と同じで、こっちも相当柔らかそうだ。その大きな胸を両手で庇って鏡から隠そうとしても、まるで巨大な寒天でも抱えているみたいに、腕の上から下から、その大部分があふれだしてしまう。
 この姿は……まるでAVとかに出てくる“インランな熟女”そのもの。
 官能小説に出てくる、淫らな身体を持て余した妙齢の人妻、といったところだった。
 
 そんな女が、鏡の向こうからわたしをもの欲しげに見つめている。
 いや、ねっとりと絡みつくような視線、というのは、ああいうのを言うのだろう。

 そして、その淫らとしかいいようのない、男にしてみればタマラン感じの熟れ熟れの肉体が鏡に映り込み、その像がまた鏡に映り込み、無限に像を作っている。あらゆる角度からマルチに映し出される、エロすぎる肉体。
 淫らに蠢き息づく裸体の像が、部屋中に満ち溢れていた。

「な、なんで……?」

 なんと、その声もわたしのものとは違って、ハスキーで超色っぽかった。

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