イグジステンズ
〜存在のイっちゃいそうな軽さ〜
作:西田三郎
■4■ けつがよくて、部屋つきの女
不安は的中した。飯田のマンションを訪ねると、女がいた。
部屋のブザーを鳴らして、出てきたのは上半身裸の飯田だ。せめシャツくらい着て出てくればいいのに。ほんと、ズボラなやつ。
たるんだ腹の飯田を押しのけて、ズカズカと刑事のようにワンルームの居室に踏み込む。
女は……というかその小娘はベッドの上で丸まっていた。そして空ろな目で、わたしを見ている。憐れむような目で。
まだ高校生にも見えるくらいの小娘が、わたしを憐れんでいる。
実際、高校生なのかもしれない。
「何で来る前に電話しないんだよ!」飯田の第一声はそれだった。
「いや、電話しても出ないから」自分でも抑揚のない声だと思った。
「……電話して出ないなら、なんでわざわざ尋ねてくんだよ! ……いないと思うだろ? 普通?」
「いや、部屋にいたじゃん。今日、会社は休み?」
「有給取ったんだよ!」
「この娘のために?」わたしは、相変わらず抑揚のない調子でベッドの上の女を指差す。「……あらまあ、かわいいお嬢さんだこと」
「チィーッス」笑いながら、ベッドの上の女がピースした。わたしは笑みで応える。
もうまともな怒りさえ沸いてこなかった。
「……ねえ。ねえったら。わたしたち、どう考えてももう終わりだからさ、鍵返してよ。ってか、あんたからは鍵もらってなかったね。まあ……そんなことは どーでもいいから、鍵返してよ。歯ブラシとかシャツとか靴下とか、わたしの部屋にあるあんたのもんは宅急便で送るからさ。着払いで」
「……まったく、いいとこだったのに……タイミング悪いよ。お前。だからまともな男、できないんだよ。ってか、そんなの俺が言うことじゃないけど」
言いながら鍵束から鍵を外そうとしている。
「ありがとう。すっごく参考になったよ。ホラ、早く返してよ」
しかしまあ、飯田は悪びれた様子はまったくない。ほんとうに、わたしのタイミングが悪かったことに腹を立てているようだった。この男に愛されていなかったことを改めて実感した。いや、愛されているなんて、とんでもない。愛されていたからといってうれしかったか、といればぜんぜんそんなことはない。はなから愛されることを期待していたわけでもないし、正直言ってわたしもこの男を愛してはいなかった。
あらためてそう考えると、自分は一体何をしていたのか、という思いに責め立てられているいるような気がする。
ふと、ベッドの上でタオルケットに包まったまま、スマホをいじってパズドラか何かにに精を出している女の子に声をかけた。
「……ねえ、気悪くしないでほしいんだけど……こんな男のどこが良かったの?」
飯田がポカンと口を開けるのは、無視した。
「………」女の子はスマホから視線を外して、首をかしげた。「……うーん、何でだろ。わかんない」
「……わかんないでしょ? ……わかんないよね? ……わたしもなんだ!」
「そうだよねえ。セックスも下手だし。自分勝手だし」
彼女の飯田に対する評価があまりにわたしと一致していたので、わたしはその小娘に親近感を持った。
「それにケチだよね。いつも食事割り勘だし」思わず、笑いながら言ってしまう。
「あたしには奢ってくれるよ……『鳥貴族』ばっかだけど」
「……ちぇ、そうか……でも、やっぱり『鳥貴族』なんだ」
小娘に嫉妬心なんかは沸いてこなかった。
でもじっくり小娘の様子を見る。ほっそりとした、バレエダンサーのような、華奢な身体。淡く脱色した肩までの髪が、青白いくらいの肌にとてもよく似合っていた。古い映画だけど、『白い家の少女』のジョディ・フォスターみたい。
でも、豊かな乳房だった。細い身体にはまったく不釣り合いなくらい。
いやもう、わたしの中のおっさんが全力で反応するくらい、すっげえおっぱいだった。
「いつも、こいつとセックスするときは、この部屋でしてたわけ?」
わたしはもう、まったく飯田と会話する気はなかった。彼女は素直な子だし、飯田よりずっと話しやすい。
「……うーん、そうかな。あたし、実家だしさ。ここだと部屋代タダだし。ケーザイ的じゃん」
「ところであんた……おっぱいおおきいね」
と、小娘がシーツの隙間から自分の胸を確認するように見て、わたしのブラウスの胸元を見る。
「お姉さんだって、大きいじゃん」とってつけたように、棒読みで小娘が答えた。
「ねえ」とわたしは小娘に親しみを抱きはじめていた。「……セックスするときこいつ、どんなふうにすんの? あたしとするときは、いつもバックからばっかりだったんだけど、あんたのときはどうだった?」
「そんなプライバシーに関わる問題は……」飯田がごにょごにょと喋りはじめる。
「うるさい!」
わたしは振り向きもせず怒鳴った。
少女は、部屋の中で立ったままのあたしをじっと見ている。上から下まで、見定めるように。
「お姉さんさあ……すっごく腰のくびれがステキじゃん? ちょっと後ろ向いてみてよ」
「こう?」わたしは背中を向けて彼女にお尻を見せた。
「うんうん、いい感じ。それだったらこいつが、いつもバックで責めるのナットクだよ」
「あんたんときは、こいつ、どうするの?」
「へへへ……」小娘はいたずらっ子のように笑った。「あたしが上に乗っかってばっか」
「もう……やめろよ」と飯田。
「ホント? 騎上位っての? ……そればっか?」
「……そーーればっか! フィニッシュは、いつも自分の汚ったねえへそ毛の上!」
小娘はキャハハ、と笑った。
飯田は、ずっと俯いていた。少しだけ、安心のようなものを感じる。
この男にも、人並みの羞恥心というものがあるのだ。ここききて、はじめての発見だった。
わたしと小娘はケラケラと笑い続けた。この子となら友達になれるような気がしたが、そうはならないだろう。
……いや、なってたまるか。でも、この小娘がどうしても憎いとは思えない。飯田に対する寒々とした思いが、すべてに打ち勝っていた。
「ねえ……」あたしはため息まじりに、飯田に言った「……あんた、あたしのどこがよかったの?」
「けつがいやらしいとこだよ」飯田は手の中の鍵を弄びながら言った。「それと脚がきれいなとこ」
「へえ、ありがと。それじゃ、どこが不満だったの?」
「パイオツがないこと」
「じゃあ、あたしとこの子の違いってなに?……」
「……こいつか? おっぱいの大きさ以外にか?」飯田がベッドの上にいる小娘を指差す。「こいつは、未成年なんだよ。わかるだろ……? ってことは自宅住 まいなんだよ。な? ……するとどうなる? こいつとおれがセックスするとなると、どこでセックスすればいいんだよ……毎回毎回、ホテル代もバカになんな いし、そーなったら俺の部屋しかないだろ?」
飯田はなにか筋の通ったことを言っているつもりらしい。
言いながら、鍵をカチャカチャ弄っている。
飯田の部屋の床に敷き詰められているフローリングから、どんどん自分のつま先が下に沈みこんでいく気がした。
ああ、そうでしょうよ。そうだけど、なんで?「じゃあ、なんでわたしとは、いつもわたしの部屋でセックスしてたわけ?」
「そんなの、おめーが自分の部屋持ってるからに決まってるだろ!」
「……」
「おめーはけつが素晴らしくて、部屋つきの女なんだよ!」
「きゃっはっはっ!ウケる!」
小娘が笑い出す。豊かなおっぱいが剥き出しになってゆさゆさと揺れるのも気にせずに、盛大に手を打ち鳴らして、笑い続ける。
気がつくと、わたしも笑っていた。ほとんど気が狂ったようなヒステリックな調子で。
ドトールで会ったあの変な男……牛島が言っていた。
昨日、わたしの部屋でバックからわたしを犯しまくったのは、飯田の姿を借りた自分だ、と。
そうなのだろうか?
それならずっとよかったのに。
というか逆に、今この部屋にいる飯田が、ニセモノだったらよかったのに。
手の平が痛くなるまで、わたしは小娘と一緒に手を打ち鳴らし続けた。
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