イグジステンズ
〜存在のイっちゃいそうな軽さ〜


作:西田三郎

■3■ リア充

 危機じゃないか。非常事態じゃないか。
 早足で街を歩きながら、わたしは自分の足がマンションに向かっていることに気付いて、ピタリと足を止めた。
 あの変態野郎は、わたしのマンションを知ってい るらしい。どういう手を使ったのか知らないが、音声を録音したり、盗撮したりしているに違いない。
 わたしの部屋には、何かそういう装置がたくさん仕掛けら れていて……あの男はきっと、わたしの部屋の近くでそれを眺めて……せんずりぶっこいているのかもしれない。

 下品な表現で失礼。

 ひょっとしたら……あいつはわたしの左右どちらか、隣りの部屋に住んでいるのかもしれない。
 だとしたら……そのマンションに戻ってどうする……?

 どうしよう?

 わたしは立ちすくんだまま考えた。どこに行けばいいんだろう?
 ……わたしには、友達がいない。女友達は、ひとりも。
 こういうときはふつう、女友達の家に泊めてもらうものなんじゃないか?
 わたしは頭を振って……いやいや、そんなことはない、と思い直した。
  わたしには……ちゃんと彼氏がいる。ろくでもない男だが、飯田というれっきとした彼氏がいるじゃないか。
 それなのに、なんで飯田のことを……飯田の部屋に泊りに 行くという選択がまず頭に浮かんでこなかったのだろうか?

 確かにわたしには……同性の友達がいないけど、でもそれって、そんなに問題だろうか?……学生 時代には(人と比べてどうかはわからないが)少なからず友達はいた。でも大学卒業後には、彼女たちとも疎遠になってしまった。今の職場は、基本的に人間関 係が希薄で、親しく話しかけられるような人は誰もいない。一緒にお昼を食べに行く人もいない。もともとわたしは……そう、同性同士の友情にあまり重きを置 かないほうなのだ。
 
 これまでにもずっと彼氏はいたし……それなりに充実した生活を送ってきた。
 そう、わたしはジュージツしている。今も昔もこれからも、
 ここ十年間ほど、彼氏がいなかった期間はほとんどない。付き合った期間はまちまちだが、それでも男たちは飯田も含めてぜんぶ、 向こうから寄ってきた。そう、わたしはモテるのだ。

 男が放っとかない女、男が放っておけない女、大田結衣。
 だから、気にする必要はない……このまま、飯田のマンションに行けばいいのだ。
 
 そう思うとわたしは急に晴れやかな気分になって、踵を返して鼻歌を歌いながら歩き始めていた。フン、フフフフン♪フフフフーン、フフフフーン♪……鼻歌 まで歌って(後になってわたしはそのメロディが、東京事変の『透明人間』だということに気づいた)。でも何か違和感が拭い去れなかった。無理やり自分をし あわせな気分にしているような気がしてならなかったのだ。

 何なんだろう。この漠然とした不安感は。

 今日のわたしはショートパンツに生脚にソールの高いサンダル(脚には自信がある)。トップスはノースリーブのブラウスで、その中では強力な最新のワイ ヤーブラ(ちょっとした出費だった)がしっかりと両乳房を持ち上げている。わたしが歩くたびに(自慢の)健康的な脚が地面を打つ鞭のようにしなやかに踊 り、強引に持ち上げた乳房を包む、ふわっとしたブラウスが揺れる。肩までのきれいな黒髪も揺れる。わたしは魅力的だ。

 男が放っとかない女、男が放っておけない女、大田結衣。
 地下鉄の駅に向けて50メートル歩いただけで、6人の男がわたしの姿を目で追った。
 視線を感じて、ちょっと快感だった。いや、強引にそれを快感に転化しようとつとめた。
 そうしないと心の中で広がる不安の暗雲に負けてしまいそうだったから。

 わたしはイケてるんだ、わたしはイケてるんだ……だから、あの男……“牛島”も、わたしをストーキングしてるんだ。そう、そうに違いない。
 カツカツと、かかとを鳴らして歩く。
 駅はもうすぐだったが、不安はやはり消えなかった。

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