イグジステンズ
〜存在のイっちゃいそうな軽さ〜




■10■ 放浪の果て

 わたしは自分の部屋に帰ってきた。
 明かりを消すと、どうもやっぱりこの部屋は、あのじじいに連れ込まれた鏡の部屋と似ているような気がする。というか、ふと、四方 の壁がこっそりと鏡になっているのではないか、という不気味な感じがしてならない。その向こうから、牛島のあののっぺりした大きな顔が覗いているのではな いか、という気がしてならない。
 
 プライバシーを覗かれているような気がしないでもなかったけど、わたしだってあれから、いろんな他人になり変わってはそのセックスを堪能してきた。
 最初は飯田のサブカノの巨乳の小娘に、途中からは飯田に乗り移って楽しんだ。

 その後、飽きたので会社で一番イケてるエロ系女子、営業の美輪さん(29女性・超ナイスバデエ)になり変わった。彼女のすばらしくジューシーでボリー ミー、ついでにいうと感度もバッリバリの超高性能バディで、手当たり次第に男たちとセックスするのはかなり刺激的だろう、と思ったけれど、見かけほど美輪 さんは派手な私生活を送っているわけではなかった。相手はたったひとりだったのだ。

 美輪さんのたったひとりの相手である、彼女と同じ課の室井さん(35歳男性・ヤリチン)になり変わって、いろんな女の子を食いまくった。でも、はっきり言っ て、彼のセックスは短調なもので、想像以上に退屈だった。飯田とたいして変わらない。でも本人は自分はたいしたものだと思い込んでいるようだ。ここも飯田 と似ている。

 なので、室井さんがいきなりパクッといっちゃった新入社員の小玉純子ちゃん(22歳女性・ウブかわ系)になり変わった。彼女は地味で控えめでセーソな印 象とは裏腹に、超スケベで変態だった。わたしと同類なのかもしれない。しかしわたしは、趣味でPCのウェブカメラを通して、世界中の変態のためにオナニー ショーなど披露しない。

 純子ちゃんがあまりにも変態なので辟易して、会社一の愛妻家・島田課長(40歳男性・ふつう)になり変わった。一つ年上の奥さんとのセックスは回数こそ 少ないものの、実に献身的で愛に満ちていて、わたしは純粋に感動した。なにより義務的で単調だと思っていた夫婦のセックスが、意外にも機知と工夫に富ん で、かつちゃんと新鮮なエッチ感も取りこぼしていないところに、とても感心した。

 そんなふうに愛される奥さんはさぞ気持ちいいだろう、と思って奥さんのほうになり変わってみた。島田課長の丁寧で如才ない愛撫は、思っていた以上に気持 ちよかった。でも不思議なもので、島田課長とセックスしているとき、奥さんの頭は知らない男のことを考えている。実際に現在、彼女とそういう関係にある誰 かなのか、過去に関係があった誰かなのか、それとも過去にも現在にも未来にも存在しない、想像上の誰かなのかは、よくわからなかった。

 有名人にも成り変わった。
 まあ、あんまり個人名を挙げるのはどうかと思うけど、加藤茶夫妻とか、市川海老蔵のところとか(わたし海老蔵、好きなのだろうか?)、中尾彬と池波志乃 のところとか、別れる前の中山美穂と辻仁成のところとか。とにかく興味の赴くままに心ひとつで出かけていった。もちろん、奥さん、ダンナさん交互に入れ替 わった。中尾・池波夫妻が、いまだにいちばんいやらしかったのは、かなり意外だった。
 安倍首相と明恵さんにも成り変わった。どうだったかは書かない。
 あとまあ、ここに書くのは憚られるような、やんごとなき夫婦のところにも行った。老夫婦のほうじゃなくて、その二人のご子息、それぞれご夫婦のところ。どっちがどうだったかは、いくらなんでもやばいので詳しくは書かない。
 
 けっこう気の向くまま放浪していたら、だんだん飽きてきた。
 ネットサーフィンといっしょで、ハマる人は一生を棒にふるくらい没入してしまうかもしれない。でも、ネットと同じように、わたし自身はこの遊びをさんざんやり尽くしたら、かなりお腹いっぱいになってしまった。
 
 そんなわけで、本来のわたしに、そして自分の部屋に帰ってきたわけだ。
「はあ……やれやれ、わが家がいちばん」
 わたしはひとりの部屋で、行楽から帰ってきたお父さんのような独り言をつぶやいた。
 
 と、そのとき、チャイムが鳴った。
 よっこらせ、とベッドから起き上がって明かりをつけ、インターフォンのモニターを見る。
 おやまあなんと、意外な客だった。

「おれだよ……」
「どちらさまでございます?」冷たい声でインターフォンに答える。「どちらの何様でございましょうか?」
「……悪かったよ。おれが悪かった。なあ、開けてくれよ」
「なんでわたしが開けなきゃなんないわけ? で、なんであんた今さら、“けつが良くて部屋つきの女”のところに戻ってきたわけ? ああ、あの巨乳少女ちゃんにフラれちゃったとか?」
「…………」
 飯田は小さなモニターのなかでさらに小さくなった。
 まるで逃げ場をなくしたナメクジだ。

 わたしはため息をついて、ドアの鍵を開けて飯田を部屋に入れてやった。

「……結衣……悪かったよ。ほんとうに好きなんだよ。お前だけだよ」
 くそがつくほどありきたりなことを言いながら、玄関のたたきでいきなり、飯田が抱きついてくる。
「ちょ、ちょっと待って。とりあえず、ちょっと待ってよ。てか、甘えんな。なにいきなり……んっ……」
 キスされた。いきなりわたしの唇を割って、舌が入ってくる。唇を結んで、前歯をぴったりと重ね合わせて、その侵入を阻むこともできた。でも……できなかった。で きなかった、というほどでもないので、つまりしなかった。
 ということはつまり、簡単にいえばわたしは自分で飯田の舌を迎え入れた、ということになる。
「んんっ……んんっ……ん、ん」

 ていうか、キスがうまい。飯田ってこんなに、キスがうまかったっけ?
 ていうかわたし、飯田とちゃんとキスしたことあったっけ?
 あったとしても、飯田の一方的で下品にベッチャベッチャと音を立てる、いわゆるベロチュー的なキスしかしたことがないような気がする。後ろからばんばん わたしを突きまくったあと、わたしをベッドに腹ばいにさせ、背後から肩ごしにあごを掴まれて、ちゅぱちゅぱと唇を吸う。べっちゃべっちゃと唾液をかき混ぜ合 う。そういう、いかにもセックスのおまけのようなキス。
 飯田とこれまでに交わしてきたキスは、そんなのばかりだったような気がする。

 でも、今の飯田はキスがうまい。
 さっきまでは、わたしよりも背の低い彼に抱きつかれている感じがした。でも今は、飯田に抱きすくめられているような感じがする。わたしはそのまま、ゆっくりとベッドのほうへ押されていた。
 パジャマの上から全身をまさぐられながら。
 飯田の手のひらが身体の上を這うたびに、びりっ、と静電気のような感覚が身体をかけめぐる。
 お互いの舌が絡み合っている口のなかは、もうとろけそうだ。
 
 立っている間にパジャマのボタンを全部外されていた。上が取り払われ、下も脱がされる。
 ベッドに転がされたときは、もう全裸だった。

 おかしい……飯田がこんなにさりげなくコトを進められるわけがない。
 手品のように全裸に剥かれて、仰向けの姿勢で飯田の顔を見つめた。顔が真剣だ。いつものようにたるんだり、妙にニヤケたりしていない。みょうにスッキリしたような顔……というか、“憑きものが落ちた”という感じの顔だった。
 飯田が服を脱ぎ始める。おかしい。
 わたしとヤルとき、飯田が服をちゃんと脱いだことなど、これまでに一度としてなかった。
 というか、わたしは飯田にヤラれるとき、きちんと全裸にされたことはほとんど、というか、まったくない。 
 と、思っていると、飯田が全裸になった。
 たるんだ腹と、へそ毛と、その下で妙にいきり立っているアレ。
 おかしい。よく知っているはずの男なのに、何か違う気がする。
 そんなことを考えていると、わたしは妙に恥ずかしくなって、シーツのうえで身体をよじり、半身にして胸を庇った。あの鏡の間でそうしたように。

 そしてわたしは、飯田に言った。

「あ……明かり、消して……」
「なんで?」と飯田の声。その声も、なにかいつもと違う気がする。ひょっとすると……いやまさか。

「……ヤってる最中に、あんたが牛島になっちゃったらイヤだから」

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