童貞スーサイズ
第三章 「
(ディス・イズ・ノット・ア)ラヴ・ソング



■第27話 ■ 最後のニュース


正 直言って、芳雄は驚かずにおれなかった。

 その薄汚れた雑居ビルの数十年は人から見放されていたような、人気のない非常階段の踊り場に二人して忍び込んだ。
 と突然、……太田はまるでシマウマを組み伏せるライオンのよ うに襲いかかってきた。
 あまりにも勢い良く太田が胸に飛び込んできたので、芳雄は後頭部を錆びた鉄のドアで頭を打った。

「ちょ……ちょっと………」
 さすがに怯んだ芳雄が太田を制しようと口を開いたが、たちまちのうちに彼女の唇によって塞がれる。
 いきなり芳雄の前歯の隙間を割って、太田の舌が侵入してきた。
 瞬く間に舌をからめ取られ、吸い上げられた。
 太田の舌は激しいほど活発、乱暴に、芳雄の口 の中で暴れた。
 芳雄の前髪を吹き上げそうなほど激しい鼻息を伴い、芳雄の口内を蹂 躙する大田。
 少し唇が離れたと思うと、今度は下唇を噛まれる。
 噛みちぎら れそうなまでのその勢いに、芳雄は思わず悲鳴を上げた。
「ま、待って……ちょ、ちょっと待って………」芳雄は太田を引き離そうとその身体を押したが、そうすると太田はさらに激しく強い力で芳雄にしがみついてく る。「お、落ち着いて………」
こんなのイヤ?」太田が潤んだ目でまっすぐに芳雄を見つめる。「こんなふうにされたらイヤ?」
「べ、別に………イヤじゃないけど……んっ」
 言い終えるより早く、再び太田ががぶり寄ってきた。

 芳雄の顎から下唇をがっちりと銜えると、片手でがっちりと芳雄の身体を背後のドアに固定する。
 いったい太田の華奢で小さな身体のどこから、こんな強い力が出てくるのだろうか。
 芳雄はその力と気迫に気圧されていた。
 
 ここ数ヶ月……いったいどんな運命の巡り合せか、他者からの攻撃的な情欲を いやというくらい全身に浴び、それに翻弄されてきた。
 しかし、太田のパワーはここ 数ヶ月に甘受してきたそのどれとも違っている。
 ここ数ヶ月間に浴びた他人の情欲は、どれもこれも冷たく、無機質で……野蛮だっ た。
 そこには生命力に 結びつくものは何も感じ取ることができない。
 攻撃者たちは全て己の情欲を情け容赦なく芳雄にぶちまけるばかり で、ひたすらに破壊的なだけだった。
 単に芳雄 の人格は攻撃者にとっては生け贄であり、攻撃者たちはその冷笑的な視点を以て、どこまでも芳雄を貶め、辱めようとした。
 場合によっては芳雄の生命さえ奪い取ってさえ、彼ら・彼女らは自らの欲望を満たそうとしただろう。
 そういう破壊的な欲望に晒されることによって、芳雄本人も痺れるような快楽を味わったことは事実だが。
 しかし、今、太田が自分に向けているものはそれとは明らかに違うものだった。

 太田信じがたい力で芳雄をドアに押しつけたまま、余った左手で芳雄のシャツの襟元からボタンを外し始める。
 呆れるほどの器用さだった。芳雄がたじろいでいる間に、第二、第三のボタンも次々に外されていく。
「えっ……マズいよ、それは……」
 言いながらも芳雄は臍の辺りまでボタンが外されるに任せていた。
「……きのうはあんた、あたしに、あんなことしたのよ……何がマズい の?」
「で、でも」芳雄の思考より早く、今度はズボンのベルトに太田の指が掛かる「待って……」
「……あんなとこ、誰にも触らせたことなかったんだからね。あたしに も触らせなさいよ」
「……そ、そんなこと言ったって……あっ」
 ベルトが外され、買ったばかりのチノパンツの前ボタンが外される。
 
 ここ数ヶ月で芳雄はこのような一方的な情欲の攻撃に対して自分がとても弱いことを痛いほど思い知らされていた。
 確かに太田は激しく、獰猛であり、自分に 対して凶暴なくらいの情欲を剥き出しにしている。
 しかし、その肌触りはこれまで感じてきたものとは明らかに違う。
 一体何が違うのだろうか? ……太田にズボ ンのジッパーを降ろされながら、芳雄はその違いに対して思いを巡らせた。
 
 ドウ子と、もしくはマリアと、或いは樋口や愛と、大西や大柳と、そして昨夜の能面の男達と、太田は一体どこが違うのか。
 
 ズボンは膝まで降ろされ、下着の中に太田の手が入ってきた。
 
「あっ」
 
 性器の先端に、太田の指先が触れた。いきなりその指先が、尿道口のあたりに触れる。
 飛び退くらいに、それ熱かった。
 
「えっ……なんだか……なんか、濡れてる……」
 太田が言った。
「…………」

 その“濡れてる”事実に、太田はいたく好奇心と探求心を刺激された らしく、芳雄の尿道口のうえで乱暴なくらいに指を遊ばせた。
 ひりひりする痛みと共に、芳雄は肋の下を刃物で抉 られたような痺れを感じ、震え上がる。
 何なんだろう、と芳雄は思った。
 ここ数ヶ月間はほんとうにはじめて体験することが多すぎる。
 いくら世に言う思春期の 真っ盛りとはいえ、これほどまでに発見の多い思春期を過ごしている同じ歳の少年が日本にどれだけ居るだろうか。
 しかし、それにしても太田の指は熱かった。
 尿道口からその熱が躰に侵入し、腰骨の内壁を満たしている。
 それが脊椎を昇ってくるのがわかる……芳雄は小学校2年の時、麻疹に かかって一週間高熱で苦しん だ時のことを思い出した。
 それほどまでに太田の指先は熱く、確かだった。
 
 そうだ、この熱さだ、と芳雄は思った。
 これまでに自分に向けられてきた情欲は獰猛で野蛮だったが、それを突き動かしている心はどこまでも冷え切り、荒涼としている。
 それは言うなれば、“死”の冷え冷えとした世界と繋がっている。
 しかし太田の指先から伝わってくるものはそれとは明らかに違っていた。
 
「ねえ……約束して。これからあたしがすることで、あたしの事を嫌いにならないって」 太田が、芳雄の唇から数ミリの距離で囁く。「………昨日、あたしが キスしたり、……あんなことやこんなことさせたりしたのは、あんたに好かれたかったからなの。でも、今日は違うの。わかる?」
「な、何するの?」
「……とにかく、あたしが何してもあたしのこと嫌いにならないって約束して。お願い
「…………」太田の眼差しは、一切の否定を拒否していた。「………うん」
「あたしが、今日あんたにこんなことするのは、あんたに好かれたいか らじゃなくって……あんたのことが好きだからなの。あんたに好かれた いと思ってするのと、好きだからするのと、その違いわかる?」
「……なんとなくは……」
「お願いだから……嫌いにならないでね……」
 
 そう言うと、太田はいきなりしゃがみ込み、芳雄の下着を膝まで降ろした。
「ええっ!!」
「……ひ、ひえ……」
 太田が驚嘆の声らしいものを漏らす。
 
 下着の締め付けを解かれた芳雄の性器は、太田の目の前を指すようにまっすぐに前方 に突き出している。
 太田は一瞬顔を引き、ほんの少し距離を置いてから、改めて その先端に向き直った。
 その仕草にはひとかたならぬ意思が感じられた。
 何かの試練に向かって踏み出す一歩の覚悟を決めるかのように、太田は芳雄の性器 と対峙している。
 
 芳雄は嫌がおうにも、あのラブホテル街の路地裏でマリアにされたことを思い出さずにはおれなかった。
 この人気のない非常階段の踊り場に漂う饐えた空気と、性 器を剥き出しにされてそれを真正面から鑑賞されている羞恥は……まるで昨日のことのように芳雄の記憶に焼き付けられている。一体何なんだ、と芳雄は思っ た。こんなこ とをされるのが、自分の因果なのか。
 前世の縁かなにかで、自分はこんな目に遭うように運命づけられているのか。
 
 しかし、自分の性器を真正面から見つめる太田の眼差しは……明らかにマリアとは異なる。
 
 「……こ、こんなふうになってんだ」太田が感じたことをそのまま口にしているのは明かだった。「……す、すごい」
 「……」なんと返していいのかわからない。
 「小林君…………こんなときにこんなこと言うのも何だけど……」太田はそう言ってゴクリと唾を飲み込んだ「好きよ
 
 その直後、性器にかぶりつかれた。
 噛みちぎられるのではないかと思うほどの乱暴さだった。
 太田は芳雄の性器を根元までくわえ込むと、唇で芳雄の肉茎を扱き立て、亀頭に舌を無茶苦茶に絡ませてくる。
 太田があらん限りの想像力と、自らの内に秘めた欲求と、芳雄に対する激しい思いの全てをその稚拙な舌使いに賭けていることは確かだ。
 この数ヶ月間の間、与えられる快楽を全て無批判に受け入れてきた芳雄だったが、こんな思いを感じることは無かった。
 これまでのように背徳的で、投げやりな楽しみを感じる余裕すらない。

「あっ……で、でる、出ちゃうからっ……は、離れて!」

  一分と持たなかった。
 芳雄は太田の頭を引き剥がそうとする。
 しかし太田は、芳雄の尻をしっかりと両手で握りしめて、離れようとしない。

 芳雄はもう一度錆びたドアに後頭部をぶつけながら、太田の口内に激しく射精した。
 昨日一滴残らず絞られたと思っていたが……どうやらそうではなかったらしい。
 激しく長い射精感が収まるのを待たず、太田はさらに頭全体を使って芳雄を責めた立てた。
 見下ろすと、太田の唇から白く濁った液体が溢れ、その小さな顎に筋を作っている
 太田は真っ赤に顔を染めながら、しっかりと目を閉じ、まさに一心不乱に舌と、首 と、頭を使い続けた
 瞬く間に2回目の射精感が襲ってくる。
 さきほど、生まれてはじめて精液を受け止めたであろう太田の口内に、芳雄は再びしたたかに射精した。
 
 
 
 30分後、駅に向かう二人に会話は無かった。
 気恥ずかしさはもちろんだったが、芳雄は何故か、薄い氷の上を歩いているような不安を感じていた。
 太田の横顔は、芳雄の心中と同じく、どこか不安げである。
 何か気を紛らわせるようなことを口にしようかとは思うが、そのどれもが思うように言葉になって出てこない。

 どうしてこんなに不安なのだろうか?

 駅についても、その理由のない不安は消えなかった。
 ここ数ヶ月間体験してきたことを思えば……今さら不安を感じることなど何もないはずだ。
 ほんの少し前まで踊るように浮かれていた自分の心が、今では頼りなく綱渡りをしているようだった。
 
 切符を買って改札をくぐる前、口を開いたのは芳雄の方だった。
「また、遊んでくれる?」どんな言葉も、この場には相応しくないように思える「……まだ、お金もたくさんあるし」
「無駄遣いしちゃダメだよ。貯金でもしたら……?」
 太田は俯いたまま言った。
「貯金……か」
「お金を使わなくても、遊べるよ」そう言うと、太田は一瞬だけ芳雄を見て、また目を逸らせた。「………あたしのこと、嫌いになってない?」
「………そんな、もちろん……」
 心の中の雲が晴れていく。不安が溶けていく。歓びとともに、芳雄が言いかけたそのとき。
 
 駅構内に設置された大型LEDテレビから、臨時ニュースが飛び込んできた。
 
 “………今夜、午後9時ごろ、JR新宿駅東口駅付近で男が自動小銃を乱射し ました。男は駆けつけた警察官にその場で取り押さえられましたが、少なくとも 8人が死亡、7人が重軽傷を負い、病院で手当を受けています。うち3人は意識不明の重体の模様です……警察の調べに依りますと、容疑者は住所不定・無職 の樋口潤(34歳)。警察の調べに対して、樋口は“ロックンロールは死なない。消え去るよりも燃え尽きたほうがましだ”などと訳 の分からないことを繰り返 している模様です。警察は動機を深く追求するとともに、自動小銃の入手経路に関しても詳しく調べていく方針です………”
 
 画面に容疑者の男の顔が大写しになった。
 ガイコツのように痩せた顔、土気色の肌、目の下にくっきりと浮き出た濃い隈。
 そして左右それぞれが別の方向を見ているような尋常ではない目つき。
 
 見間違うはずがない………あの、樋口だった。
 
 この駅のトイレの個室で、芳雄の尻を犯そうとしたあの睡眠薬中毒のチンピラで ある。
 
 芳雄は画面を呆然と見ながら………自分の知らないどこかで、何かが別の段階に入ったことを感じた。
 そして、それは自分と密接に関係している。
 




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