童貞スーサイズ
第三章 「
(ディス・イズ・ノット・ア)ラヴ・ソング



■第24話 ■ アフターダーク
 2時間後、時刻は11時を回っていた。
 帰りはまたあのワゴンだ。雨が降り出し、夜の高速道路は薄く煙っている。
 ハンドルを切るのはまたも大柳。助手席には大西が座り、奇妙な香りのする煙草を吹かしている。
 
 芳雄はぐったりと疲れきって、後部座席のシートに腰掛け、額を冷たい車窓に着けていた。
 ブルーの長袖Tシャツとジーンズというラフなスタイルに着替えたドウ子は、その隣でまた『突破者』の続きを読みふけっていた。
 車の中で本を読んで気分が悪くならないのだろうか……芳雄は思ったが、口にはしなかった。
 だいたい、あのような体験をした直後に、何事も無かったかのように読書の世界に戻っていけるドウ子は、やはり自分とはどこかが決定的に違う。
 芳雄は改めてそれを実感した。
 
 車内は沈黙が支配していた。
 カーステレオからは、毒にも薬にもならない言葉を寄せ集めた、安手の女性アーティストの歌が流れている。
 
「あ、大柳さん……なんか、ファミレスかなんかあったら、そこで停めてくんない?」ドウ子が本から顔を上げずに言った。「あたしら、そこで降りるから」
 
 “あたしら”……?
 その中には、自分も含まれているのだろうか。
 芳雄はまどろみの世界から舞い戻り、額を窓ガラスから離した。
 
「了解」大柳はそれだけ言うと、黙って車を走らせた。

 数分後、車は芳雄の最寄り駅からほど近い“すかいらーく”の前で停車した。
 
「ホラ、降りるよ」
 ドウ子が衣装や『突破者』の入った大きなナップサックを肩に掛けながら、芳雄の腕を引っ張る。
 また犬コロ扱いだった………しかし、今の自分は犬コロ以下だ、と芳雄は実感していた。
「お疲れ」と大柳。
「お疲れさん」と大西。
 二人を降ろしたワゴンはそのまま車の流れに入り、小さくなっていった。
 
 ドウ子は腰に手を当てながら、躰を弓なりに反らせて腰の関節からボキボキと音を立てた。
 芳雄はどうしていいかわからず、ドウ子の挙動を見守っている。
 
「……ふああああ……」ドウ子が大きく欠伸をする「……疲れたねえ、今日は」
「早く帰りたいんだけど……」
 芳雄はドウ子の足下を見ながら、小さな声で言った。
「……ええ?」ドウ子が大袈裟に驚いた素振りで、芳雄の顔を覗き込む「あんた、あたしにいろいろ聞きたいことがあるんじゃないの?」
「え?」
 
 そう言えばそうだ。
 一体何のために、自分がここまで墜ちたのか、その目的をすっかり忘れていた。
 ドウ子には、聞きたいことが沢山ある。そのために、彼女を追いかけてここまできた。
 芳雄はドウ子の顔をじっと見て……慎重に言葉を選んだ。
「………答えてくれるの?」
「うん」ドウ子はあの色の薄い目を細める「……いいよ。同じバイブで繋がれた仲じゃん」
 


 2分後、二人は店内に入り、ボックス席で向き合っていた。
 芳雄の真正面でドウ子がアイスコーヒーにシロップを二つ入れ、ミルクも二つ入れる。
 ドウ子がアイスコーヒーを念入りにかき混ぜるのを見つめながら、芳雄はまだ薬物の余韻が残るぼやけた頭で、聞くべき質問を纏めていた。
 何せ、聞きたいことがありすぎて、何から聞けばいいのか見当もつかない。

「ぼくの父さんとは、いつ、どこで出会ったの?」
 ようやく捻りだした最初の質問が、これだった。
「ええと……一年と…………4ヶ月くらい前か。あ、出会い系サイトでね」
「出会い系サイト?」父がそんなものを利用していたというのは芳雄にとって純粋な驚きだった。「………“クラブ・ニルヴァーナ”じゃなくって?」
「それができたのは、あんたのお父さんが死んでからだからね」ドウ子はそう言ってコーヒーを混ぜ続けた。「まあ、どこにでもある話だよ。ヒマでヒマでうんざりして、なんとかこのヒマをツブしてさらにそれがお金にならないかって言う女子高生と、寂しい中年のおっさんが出会い系サイトで出会ったってわけ。それで何回か会ううちに、意気投合しちゃった。うんざりしてる者同志、気があったんだろうね」
「………心中しようって言いだしたのは、君?それとも父さん?」
「あんたのお父さん」ストローを口に咥えながら、ドウ子が答える。
「何で君まで、死のうと思ったの?」
 芳雄は質問を重ねながら……何か重要なことを忘れているような気がしてならなかった。しかし、それが何なのかは判らない。
「なんか、あたしもちょうど、何もかもイヤになってた時期でさ……コバちゃん……あ、あんたのお父さんね。コバちゃんが“一緒に死んでくれ”って言った時、それもいいかなあ、って思っちゃったの。楽しいことも何もないしね、どうせ」
「……本当」芳雄はドウ子の顔色を伺いながら、言葉を続けた。「……本当に、死ぬ気だったわけ?」
「まあ、一応はね……でも、あんたのお父さんの方が、あたしより本気だったって事かな」
「何で父さんは死のうって言ったの?」
 「さあ、それはわかんない。あたしもわざわざ聞かなかったし。あんた、家族でしょ?……あたしより、あんたの方が思い当たるふしないわけ?」
 
 そう言われて、芳雄は頭を捻った。
 そう言えば、何故父が死んだのか、その理由をこれまで本気で考えたことはない。
 その答えは……自分の伺い知らないどこかにあるのだと思い、そのことにはあまり興味を持てなかったのだ。
 ドウ子に言われて気がついた……そう、死んだ父と自分は、家族なのだ。
 
 家族である父が何を思ってよく知りもしないこんな小娘と死のうと思ったのか?
 何であんな動画を撮影してそれを友人に託し、それを実の息子に見せようと思ったのか……?
 
 それは家族である自分のほうが良くわかっている筈だ、とドウ子に言われて、芳雄には返す言葉がない。
 その答には、ドウ子よりむしろ自分の方が、近い位置に居るのはずだ。
 
「……コバちゃん、お家ではどんな人だったの?」逆に、ドウ子が質問を投げてきた。「……あんたにとって、どんなお父さんだったの?」
「………どんなって……」芳雄は思わず返答に窮した。「……別に、ふつうの親父だよ」
「あんた、コバちゃんのこと好きだった?」ドウ子が身を乗り出して芳雄に問いつめる。「……お父さんとして、コバちゃんの事好きだった?」
「…………」
 芳雄は黙って俯いた。好きだったか……って? なんて難しい質問なんだ。
「……あたしは、コバちゃんのこと好きだったよ。多分あんたより。コバちゃんの奥さん……あんたのお母さんより。あんたのお姉さんより……はじめてあんたに会ったときは、あんたはコバちゃんに全然似てないと思ったけど……こうしてじっと見ると…………」
 
 ドウ子がそのどこまでも底が見えない茶色の眼差しで芳雄をじっと見つめる。芳雄は思わず、少しのけ反った。
 
「……耳が、コバちゃんによく似てる」ドウ子はそう言うと、またあの意地悪な微笑を浮かべて、一口アイスコーヒーをストローで啜った。「目と鼻と口は、お母さん似なんだろうね」

 ドウ子に見つめられるのが苦痛で、芳雄は慌てて話題を換えることにした。 

「『ヘイヘイ、マイマイ』って何? ……父さんの遺書にあったんだけど……」
「ああ、ニール・ヤングの歌ね」ドウ子が話題を逸らされて、つまらなそうに答える。「あたしもそんな歌知らなかったけど……なんか、コバちゃんが好きな歌だって言ってたよ。辛いときとか、どうしようもない時に口ずさむんだって。あんたそんな事、知ってた?」
「…………」
 芳雄は答えることができなかった。また話題がここに戻ってくる。
「そうだろうね。息子は俺とは口も効かないって、コバちゃん言ってたよ」
「……父さんが?」

 芳雄は思わず席から立ち上がりそうになる。
 どちらかと言うと、芳雄を避けていたのは父の方だ。
 少なくとも芳雄は、そう思っていた……ドウ子にその事を告げられるこの瞬間まで。
 
「あんた、ひどい息子だねえ」ドウ子が、いつもの意地悪な笑みを浮かべて言う。「そりゃコバちゃんも死にたくなるわ」
「父さんと、君の“クラブ・ニルヴァーナ”との関係は?」割り切れない思いを振り切るように、芳雄は言った。「それに君は……一体なんで、あんなわけのわからない連中と関わったんだ?」
需要と供給………わかる?」ドウ子が馬鹿にしたように言う。「……あんたのお父さんとあたしの心中未事件を伝え聞いて、それにロマンだか何だかを感じた人が居るわけ。その人が、あたしとコバちゃんの話をどこかで伝え聞いて、それが商売になるって考えたわけ。今、日本で何人の人間が自殺してるか知ってる………? 3万人だよ。3万人。それに加えて、どんだけの人が行方不明になるか知ってる?……7万人以上だよ? 合計10万人もの人が、この日本から居なくなってんの。その意味、あんた判る?」
「………」芳雄には答えることができない質問だった。
「死ぬとき、居なくなるとき……人間は誰も、ひとりぼっちじゃイヤなのよ。それは判るでしょ?」
 
 どこまでが理解できたのか、できなかったのか、それさえも判らないまま、芳雄は黙り込んだ。
 
「……一体、その“クラブ・ニルヴァーナ”を始めた人って誰?」
 頭の中になんとか浮かんだ質問が、それだった。
 しかしこの質問もまた、自分が本当に答えを求めていた問いではないように思える。
 しかし芳雄には、それを解消するための言葉が無かった。
「みんなその人のことを、『会長』って呼んでる」
「『会長』……?」
 結局、何を知ることができたと言うのだろう。それ以上の質問を、芳雄は見つけることができなかった。
 
 20分の沈黙の後、二人は解散することにした。
 芳雄は自宅まで二駅ぶんの距離を歩き、ドウ子はタクシーを捕まえた。

「あ、これ、今日のギャラ」ドウ子はそう言ってナップサックから分厚い封筒を取りだし、芳雄に渡した。「今日はおつかれさん」
 ドウ子がタクシーに乗り込むのを見ながら、芳雄はその封筒の厚みを指で感じ、ますます現実感が遠のいていくのを感じた。
あたしの名前は聞かなくていいの?」タクシーに乗り込みながら、ドウ子は言った「……あたしの本名」
 
 そうだ、と芳雄は思った。それこそが、芳雄が最も聞きたかったことなのだ。
 
 「……聞いていいの?」芳雄が身を乗り出す。
 
 ドウ子は少し笑った。タクシーのドアが無慈悲にバタンと閉じられる車の流れに消えていった。
 
 そのタクシーの後ろ姿を見送りながら、芳雄は少し、自分の肩がズキンと痛むのを感じた。
 そう言えば、肩をドウ子に噛まれたのだ。
 肩にはドウ子の歯形が、しっかりと残っている筈だ。
 



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