どちらへお掛けですか
作:西田三郎
■水曜の朝、午前3時
電話が鳴った。ワンコール目が鳴り終わるよりも先に、おれは受話器を取った。
「もしもし?」
激しく落胆した。薫ではなかった。
それどころか、一昨日の自殺女だった。
「もしもし?聞いてる?あたし今から死ぬの。 今からよ。お薬たくさん飲んだんだから。手首だって切るわよ。練炭も用意してるんだから。ね、聞いてる?」
おれはため息を吐いた。ということは、少なくともあの電話から48時間は生きていたということか。
自殺の準備やなんやで、さぞ忙しかった事だろう。
「そうですか。今度は失敗しないように。死ね! 死ね! 地獄の便所掃除でもしてろ!」
おれはそう言って電話を切った。またベルが鳴り出すかと思ったが…電話機は沈黙したままだ。今夜は掛かってこないのだろうか?
いや、絶対掛かってくる。
と思い直した途端に、電話が鳴りだした。
「もしもし…」薫だった「今、いいですか…?」
「勿論」おれはウソ偽りのない自分の気持ちを言った。パジャマのズボンの中に、さっそく手を入れた。「あなたからの電話を待っていましたよ」
「よかった……あ、あの、ゆうべ、どこまで話しましたっけ……?」
「ええと……その、あなたが高校に進学してから、家庭教師の先生が“これまでのお返しをしてよ”と言って、あなたの……その……あの……お口 に……」おれは言葉に詰まった「そこで、お母様が来られた」
「あ、思い出しました…そうでしたね」そう言って薫はクスリと笑った。
おれはまた、薫の姿を思い描いた。黒い髪で紺のカラーのついたセーラ服に身を包んだ、華奢で小柄な少女、というフォーマット自体は変わら なかったが、声を聞くたびに、ひとつひとつ、具体性が加わっていく。例えば、睫が長いとか、前髪は眉毛の上あたりで少し短 く切りそろえているとか、いつも唇はメンソレータムのリップの味がするとか。無論、全てはおれの勝手な妄想だった。 しかしおれの妄想の中で、薫はだんだん具体的な現実の少女として形成されていった。それは誰にも止められない。
「えっと……その、その日も、いつものように家に誰も居ない日でした。お母さんもお父さんも、全然あたしとその人のことは心配してなかったみたいで…… しょっちゅうわたしたちを二人きりにして家を空けました……その間に、あたしがどんなことをされているかも知らずに……」
「はい……」とにかく聞き役に徹した。
薫はだんだん、落ち着いた口調になってゆく。
「………れで、その日、その人はいつものようにあたしをベッドの上で裸にすると……自分も……その……ズボンを脱いで……あの……」
「性器を露出されたわけですね」
「……はい……それで“これまでのお返しをしてよ”って言って、あたしにそれを舐めろっていうんです。あたしが、そん なのいやって言っても “大丈夫、きれいに洗ってあるから” とか、全然見当違いのことを言って……あたしはベッドに横 になったまま、その人が諦めるのを待ったんですけど……全然仕舞ってくれないんですよ。それを。」
「はあ、それで、遂に」
「ええ……自分でも……ほんとに自分でも信じられないんですけど、あたし、その人の言うとおりにしました。今でも信じられません。ほんと に……信じられないんだけど……いつの間にか、その人のあれを口に含んでいました……ねえ、やっぱり、あたし、ヘンでしょう? お かしいですよね?」
「いいえ、あなたはまともです」
心の中でおれは、少なくともその変態家庭教師と、このおれよりは、と条件をつけた「どうぞ、続けてくださ い」
「ありがとうございます……あたしが…それを口に含むと……その人はあたしにいろいろと注文しました…まるで、なんか…自転車の乗り方 を教えるみたいに……ああしろ、とか、こんな風にしろ、とか……いろいろ」
「具体的には?」
「……そんな……それは恥ずかしくて言えません」薫が口をつぐんだ。
「…失礼しました。そのまま続けてください」
「……あたし…そんなこと、もちろんしたことがなかったし、何もわからないから、その人の言われるとおりにしました……あとから考え ると、そのときのあたしはおかしかったんじゃないの? と思えるようなことまで……」
「はあ」これに関しては、こちらで想像するしかないようだ。
「すると……なんか、その人のそれが……口の中でもっと……もっともっと大きくなってきて……突然、弾けたんです、それが」
「弾けた……つまり、射精したというわけですね、あなたの口の中で」
「……はい」
「で、どうしたんですか」おれの喉はからからに乾いていた。嗄れ声が出た「それを、どうしたんですか」
「……あの……」薫は沈黙した。声が震えていた「飲み込みました…ぜんぶ」
「なんですって?」魂から出た声だった。頭がくらくらした。
「……あの……やっぱり、あたし、ヘンでしょうか? ヘンですよね。そんな風になるなんて。でも……あたしの口の中で出したあ とも……その人のあれはぜんぜん元気で……あの、その、まだ、固い状態のままだったんです。あたし、それくらいの知識は あったので……その、男の人が……出しちゃうと、その後は……元気がなくなって萎んじゃうって思ってたんですけど……なんか、全然 元気で……ほんとなんです」
「それは、時と場合に依りますね」
おれはめまいを覚えながら言った。
「……それに……あたしも何だか、その日は自分のからだを弄くり回されてなくて、その人のを……口でしただけなのに……」
“口 でした”という表現が何ともいかがわしかった。いや、全てがいかがわしかった。
「……それだけなのに……なんか、自分だけで濡れちゃって……しゃがんだ踵に、 あたしのその部分が、くっついてるんです。信じられないほど、そこが熱く、びしょびしょになってて……それ で……」
受話器から薫の言葉が流れ出る。詰まることもなく、吐き出すように。自分ではどうしようもない、とでもいうように。 人がかわったように、薫は饒舌になった。
「はい、言って下さい。この際、ぜんぶ」
「……ほんとに、あたし頭がおかしくて、バカだと思うんですけど、言っちゃったんです……その人に。“挿れて”って……ほんとうに、自分でも信じられません」
「……」おれはもう、相槌さえ打てなかった。
「……そしたら、その人、お尻を向けてよつん這いになれって……あたし、もちろんはじめてだったし、はじめてでそんな格 好、いやだって言ったんです。でも、その人が、はじめての時は、その姿勢のほうが挿れやすいし、痛くないよっ ていうから……そういうものなのかなあ、って思って、言われるとおりに4つんばいになりました……それで、4つん這いに なったらなったで、上半身をもっと沈めて、とか、お尻を高く挙げて、とか、ダンスのレッスンみたいにいろいろ 言うんです……なんだかあたし、催眠術に掛かったみたいになって……気が付いたら、シーツに顔を埋めて、お尻を思い切り……高く挙げ てました……バカでしょ、あたし……」
「……いえ」おれは辛うじてそれだけ言った。
「……そのまま、どきどきしながら待ってたら、ちょん、とその人の……あれが触れて……あたし、飛び上がりそうになりまし た。で、それがぐううっと……押しつけられて……なかなか入んないんですよ、それが。その人、あたしのお尻に爪 を立てて……“もっと力を抜いて”とか“リラックスして”とか、いろいろ言うんです…でも、リラックスなんて、できる わけないですよね。はじめてなのに。だから……そのまま……そのまま挿れてって……その人に言いました。痛くてもいい から、そのまま、って……」
「……」おれは黙っていた。
電話の向こうで、薫は静かに泣いている。
「…そしたら、その人がだんだん入ってきました。あんな痛み、感じたのははじめてでした……よく、はじめての時はからだがまっぷたつになったみ たいに痛い、なんて聞きますけど……そんな感じでは全然なかったです……なんていうか……その……赤ちゃんを産んでいる感じでした……産んだこと ないけど…多分、それくらい痛いんだろうなって思いました……もう、声も出ません。あたしが、歯を食いしばってそれに耐えてると……その 人、言いました…“前後に動け”って。そんなの無理、ぜったい無理、死んじゃうて言ったんです。でも、その人の方から……そ の……前後に動き始めました。あんまり痛くって……あたし……その痛みから逃れるために、いつの間にかあたしも前後に動いていま した。でも、その人は痛いように痛いようにしてるのか……そんなあたしを見てコーフンしたのか……わざと意地悪に動くんです。それ で言うんです“腰を上げて”なんて……」
「……」
「…それから、その人……右手を……あたしの前に……左手を、あたしの後ろに当てて……」
「……?」
「それから、前に回した手で…ク……ク……クリトリスを…」そこまで言って薫は鼻をすすり上げた「後に回し た指で………お尻の穴を……」
「はあ」そういえば、パジャマの中に入れたおれの手は、まだ固くなった肉棒を握っていた。そしていつの間にか、それを激しく擦っていた。当然、その振動 は声にも伝わっていただろう。「それで、どうなりました?」
「……ぜんぜん、気持ちよくなんて、なれませんでした。だって……それの何倍も、何倍も痛くて……でも、あたし、ぐっ と堪えて……なんとか意識を、……その……ク……クリト……リスと……お尻の穴の方に集 中させようって、必死でした。……すみません……あたしの事、いやらしい子だって思うでしょう?」
「いえ、全然思いませんよ」おれの声はますます震えた「……それで?」
「……それで……そんなあたしの気持ちなんか、ぜんぜんお構いなしに……その人が、またあたしに、いろいろ言うんです。やだ、そん なとこ、触んないでってあたしが言うと……“こっちも好きでしょ? 隠さなくていいよ”って……そのほかにも、“いやらしいなあ” とか“まだ子どものくせに”とか何とか、いろいろ言われました……あたし、なんだか……頭の中がぼおっと熱くなっちゃっ て……その、なんていうか、髪の中が…」
「髪の中?」聞き慣れない言葉に、肉棒を扱くおれの手も止まった。
「……そうです。髪の中が…とても熱くなっちゃって」薫はまた言葉に詰まった。長い沈黙だった。何やら、これから言うことは、これま でのことよりも薫にとってずっと恥かしくて、いかがわしいことらしい。おれは全く展開を予想できずに、薫の言葉を待った。「…… あの……髪を後で束ねてた輪ゴムを……自分で取っちゃったんです」
「……は?」おれは混乱した「つまり、その……あなたは髪を、後ろで束ねていた。そして、それを……自分で解いた……と?」
「……はい」薫は口ごもった。「……今思い出しても、それが死にたいくらいに恥ずかしいんです」
「……はあ」
おれは感心していた。その恥ずかしさはおれにはさっぱり理解できない。
しかし、それこそが薫が少女たる所以なのだ。
そして、薫のような少女たちが、おれたち男の心を惹きつけて止まない理由そのものなのだ。
「うっ……」そう思った途端、おれは射精した。
「……あの、どうしました?大丈夫ですか?」薫が心配そうに聞く。
「あ……いや、はいはい、大丈夫です」おれは何とか答えた。
「それ以来……その人は、毎週のように、あたしとしようとします。あたしは、なぜかそれを断りきれません。別に……そんな、一緒にお買い物したり、映画に 行ったり、街を歩いたりしたいってわけじゃないけど……だいたい、歳も倍以上離れてるわけだし……大っぴらにそんなことはできないし、 別にしたくもないけど……なんだか、あたし、その人にからだばかり求められている感じがするんです。そういうのって……なんだ か……すごく不健全というか、悲しいような気がして…たまに……ごくたまに……一緒にホテルなんかに泊まった日の朝、マクドナルドに行って、朝 のセットをおごってもらったりもするけど……」
「はあ……」“もう充分不健全だよ”とおれは思った。
「ご免なさい……なんだか、長い話になっちゃって……それで……」薫は咳払いをした「それで……あたし……どうすればいいでしょうか?」
おれの頭の中では空きチャンネルに合わせたテレビのような、砂嵐が吹き荒れていた。つまり、まるっきりの白紙だったのだ。そして今夜は、もう考えられる 状態ではなかった。
「……わかりません」おれは言った。「わたしには、わかりません」
「え……」薫が言った。小さな声だった「……そうですか」
「……すみません。力になれません。わたしでは」おれは正直に言った。泣きそうだった「すみません……わたしは、わたし自身が何をしたいのかわからないくらい、ダメな大人なんです……すみません」
「……いえ」しばらくの沈黙のあと、薫は言った。「……あの、そりゃそうですよね。自分で考えます。ありがとうございました、あたしの話を聞い てくれて」
「……」おれはそれ以上なにも言えなかった。
「……おかげで、すっきりしました。もう切ります。お休みなさい」
「…お休みなさい」
「あの……」薫が囁くように続ける。
「え?」
「おたがい、何をどうしたいのか、わかるといいですね」
電話は切れた。そしてもう鳴らなかった。
おれは少しだけ泣いて、煙草を吸って、トイレに行ってから寝た。
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