どちらへお掛けですか
 
作:西田三郎


■金曜の夜、午後8時

 水曜日に電話を切ってから、おれは死んだように生きた。
 昨日…木曜日の晩は、電話の前に座り込んで、ひたすら薫からの電話を待った。
 掛かってくるはずがなかった。何故なら薫は水曜日に、すべて語り終えたのだから。
 なんとまあ寂しい限りで、あの自殺女からも電話は無かった。ちゃんと死ねたのだろうか? 
 死ねたのなら、おれはひとつ他人にとって良いことをしたことになる。薫の代わりに、あの自殺女を救ったのだ。

 電話が掛かってこないとなると、無性に寂しくなった。
 木曜日の夜は、泣きこそしなかったが、朝方まで眠れなかった。眠ると、薫の夢を見た。

 夢の中で薫は、おれと並んで歩いていた。紺色のカラーのついた、白いセーラー服を着た、小柄で華奢な症状。抜けるように白い肌を持ち、切れ長の瞳で、睫 は長い。小振りな鼻にうすい唇。かたちのいい顎。そして、唇はメンソレータムのリップの味がする。前髪は眉毛の上あたりで短く切りそろえられており…… そして、後ろ髪を結構高い位置でポニーテールにしている。それが、薫にとてもよく似合っていた。
 おれたちは並んでメロドラマみたいな枯れ葉の道を歩いたが……残念なことに何を話したか、ちっとも覚えていない。目が覚めると無償に寂しくなり、人恋しくなった。

 だから、携帯の出会い系サイトを覗いた。
 
 数時間後、おれはある駅の前で、その少女が到着するのを待っていた。名前は香(かおり)という。
 今こっちに向かってるとこ、とさっき電話があった。
 その少女に関しては、おれは何も知らない。薫につていの方が、よく知ってるくらいだ。
 だいたい、今その到着を待っている少女の名前が、ほんとうに“香”であるかすら分からないのだ。
 おれは世界について何も知らない。
 たとえば、薫に関しても、彼女が聞かせてくれた話以上のことを、何も知らないに等しい。
 電話の向こうの少女の名前が“薫”だって、どうやって証明できるんだ?
 “馨”かも知れないし、“芳”かも、“郁”かも知れない。それどころか、全然ちがう別の名前を名乗った、ということもあり得る。彼女が16歳だなんて、 なぜ断言できる? そんなに人のことばを、やすやすと受け入れていいものか? 声が若いだけで、あの自殺女よりポンコツの40過ぎのおばはんが思い出話を しているだけかも知れない。
 いや、そのおばはんがとても作り話が上手で、“薫”も“37歳の家庭教師”も、そして二人の関係も、すべて架空であり、存在しないのかも知れない。
 何だってあり得る。何だって。
 
 そう考えるうちに、何故だかおれの心は晴れ、頭は冴えてきた。

 だから、“香”が駅の改札を出て、目印であるおれの“青い帽子”めがけて駆け寄ってきたとき…彼女がおれの中にあった“薫”のイメージとまったく食い違っていたことなど、さほど気にならなかった。

 香の着ているものは、紺のカラーのついたセーラー服ではなく、紺色のブレザーとブラウスだった。香は背が高く、華奢ではなかった。それどころか、前ボタ ンを外したブレザーの中では、その余りにも大きな胸がブラウスをぴちぴちに伸ばしていた。その下のスカートは短くて、長くて立派な脚が、白く柔らかそうな 太股の中央あたりまで覗いていた。髪の毛も、黒かったが、肩まで垂らしており、ポニーテールにもしていない。どうやら頑固なくせ毛らしいその髪は、ふわふ わと風に揺れた。

 「ごめん、待った?」香はおれに言った「待ったよね?」
 「いや、ぜんぜん」おれは答えた。

 香の顔をまじまじと見た。切れ長の一重瞼も、小振りな鼻も口もなく、美少女とはいい難い。
 しかし、くっきりした二重の垂れ目と、厚めの唇、丸顔の輪郭とふんわりと紅い頬は、なかなかキュートだった。それに、肌は、想像の中の薫よりも白かった。

 なんとなく、その場で抱きしめたくなったが、しなかった。この子となら、結婚してもいいかも、なんて馬鹿なことも考えた。今となっては大笑いだが。
 
 「二万でいいの?」おれは聞いた。
 「うん、いいよ」香は答えた。
 「じゃあさ、それに5000円乗っけるから、いくつかおれの我がまま、聞いてくれる?」
 「え、なあに?」香は首を傾げた。愛らしい仕草だ「あ、縛るとか、そういうのはやだよ」
 「…大丈夫」おれはそう言って香に笑いかけた「……まず、一つ目は、君のこと、“薫”って呼んでいいかな」
 「なにそれ?」香は吹き出した。
 「いいかな?」おれは答えずに、もう一度聞いた。
 「いいよ、べつに」素直な子だった。「あたしは“薫ちゃん”だ」
 「…それと、もひとつ」おれはポケットから髪をまとめる輪ゴムを出し、“香”から“薫”になった少女に手渡した「これで、ポニー・テイルにしてくれる?…悪いけど」
 「えーマジ?」薫はおかしそうに笑った「ポニー・テイルが好きなんだ」
 「うん」おれは頷いた。
 「あとは?なんかある?」屈託なく薫が聞く。輪ゴムを口にくわえて、さっそく多めの髪の毛を後ろで纏めながら。「おもしろいから、もっと言って」
 「じゃあさ、明日の朝、マクドナルドの朝セット食べよう」おれは言った「いいかな?」
 「ぜんぜん、OK」薫が髪を緩いポニー・テイルに纏め終え、屈託泣く言う「どう?似合う?」
 おれはその愛らしい姿に見とれれていた。本当に、これ以上ないほど愛らしかった。

 「とても似合うよ」おれは言った。

 それからファミレスで晩ご飯を食べて、カラオケでお互い5曲ずつ歌って、そのあとラブホテルに入った。
 
 (了)2004.10.27 修正……2014.6.22



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