どちらへお掛けですか
作:西田三郎
■月曜の朝、午前3時 10分
「いきなりでした……あたし、何も考えられなくなって……」薫の声は、だんだん消え入りそうになってゆく「……それで……あたし……」
薫が黙ってしまったので、おれは頭の中で電話の向こうにいる少女のことを、あれこれ想像し始めた。
声が小さいことから、おれの頭の中では、薫はとても小柄な少女になった。小柄で、今にもポキンと折れてしまいそうな華奢な躰を持つ美少女。顔は瓜実型 で、肌は抜けるように白い。切れ長な瞳に、小振りな鼻にうすい唇。顎は小さく、顔の輪郭を見事に締めている。そして、髪は肩くらいまでで、これは必須であ るが、その髪はつややかな黒色でなくてはならない。断じて脱色などしていてはいけない。いかん。それではいかんのだ。そんな少女が……縫いぐるみなどのある小さな暗い自室で、布団を頭から被って小声で話している。
今は深夜の3時前。当然パジャマか何かを着ているのだろうが、おれの頭の中で薫は、セーラー服を着ていた。
あまりにも不自然なのはわかっているが、妄想なのだから構わない。
カラーが濃紺の、白いセーラー服。カラーと同じ色のスカートは、完璧なプリーツを保っている。そして、丈は膝より7センチほど上。いつもは紺色の靴下を脹ら脛の中程までしっかりと引き上げて履いているが、今は裸足……。
「……それで……あたし……その場で、動けなくなっちゃって……そのまま」
「……ええと」妄想が中断した。「それは何で? 怖かったんですか? 脅されたとか?」
「……いえ……そうじゃなくて……」薫がごくんと唾を飲み込む音が聞こえた「なんだか……」
「なんだか?」
「なんだか、本気で抵抗したり、イヤだって言ったら、その人を傷つけてしまいそうで……」
「はあ」本気でため息が出た「それで?」
「……」それで、そのまま、ベッドの上に押し倒されました…」
たぶん薫は…今、そのベッドの上から、おれと電話で話ているのだ。
「……それでも、抵抗しなかった?」
「……はい」声が微かに震えていた。
「……それから、相手の人はどうしたんです?」出来るだけ焦りを悟られぬよう、落ち着いた声を出す。「何を、されました?」
「……あの……その……」薫はおずおずと話を続ける「脱がされました……」
「どこまで?」
「……あの……」しばらく沈黙。「ぜんぶ………」
「全部?」
おれの頭の中ではそのシーンが鮮明に際限される。ベッドの下の絨毯に散らばる、薫のセーラー服、紺の靴下の片方。肌着と、シンプルなブラジャー。そして ブラジャーと対ではない、白いパンツ。少女がそれらを身に付けた時には、よもやそれらが他者の手によって剥がされるなどとは夢にも思っていなかっただろ う。そしてベッドの上では、小柄で華奢な少女が、左の靴下だけの全裸で横たわっている。彼女は胸を庇うように腕で隠して、腰をよじり、見下ろす三十男の淫 靡な視線から逃れようと羞恥に震えている。怯えた目で男を見上げる少女。しかし男の視線はその哀願を許すはずもない。
「……それで……」
「はい、それで?」いかん、焦りすぎては、いかん。
「……あの、手を……」
「手?あなたの手?」
「……はい…その…………あたしの手を………その人が……ズボンの前に……」
「押しつけられた?」
「……はい……」
またもおれの頭で妄想が展開する。全裸に剥かれ、真っ赤な顔できつく目を閉じる少女の、細い手首を掴む男の脂ぎった手。「えっ?」と戸惑う少女をよそ に、その男はぎんぎんに張りつめた自らの股間へその手を導き、こすりつける。狼狽する少女。生まれてはじめて触れる、確かな情欲の感触。ズボン越しにも はっきりと、男のその部分が脈打っているのがわかる。
「……あたし、びっくりしちゃって………」
「判ります」判りすぎるほど、判る。なんせ、できるだけ鮮明に妄想しているのだから。
「……それで、そのまま、手を頭の上で、押さえつけられたんです……」少し薫は早口になった。「両手を、一緒に……」
脂ぎった男の手が、少女の細い両手首を、頭の上で押さえつけている。いまだ体毛をいただいていない、少女の脇と、熟れていない乳房が、残忍ににも男の目に晒される。少女は顔を背けて唇を噛む。
「……あたし、今もそうなんですけど、胸とか全然ないから恥ずかしくて……」
「はあ」そういう問題じゃないだろう、と思ったが言わなかった。
頭の中でひとつ情報が更新される。薫の乳房は、殆どその膨らみを見受けられないくらい、小さい。まるで少年のように薄い胸板に、かすかに色づいた乳頭が、恥ずかしげに二つぽつんと立っている。
「……それで…その人……」また薫が言葉に詰まった「そのまま………」
「そのまま?」
「……そのまま、あたしの胸にキスしました……そのまま、舌で……」
「はあ、なるほど………」何が“なるほど”だ、と思いながら、相槌をうつ。
生まれてはじめて、乳首を他人の舌で弄ばれる少女。男がそれを吸い、舌で転がし、甘噛みする。少女はあまりに強すぎる刺激と、その行為自体のいかがわし さに、寒気を感じる。少女の体中に鳥肌が立つが…男が自分の乳首を吸う淫靡な音と、激しい感覚の洪水の中で少しずつその輪郭を露わにする未知の刺激が、少 女の内に眠っていた官能をすこしずつ擽りはじめる。
「……それで……それで……」薫の声も、すこし潤んできた。
「……それで?」
「……あ……あたし……あたしもう……」
「……もう?」
「……それ以上は恥ずかしくて言えません…」それだけ言うと、薫は電話口で泣きはじめた。
おれは無言で、薫が落ち着くのを待った。
薫はクスン、クスンと鼻をならして、そのまま鳴き続けた。
ここに智恵と忍耐が必要である。おれはひたすら待った…。自分のパジャマのズボンに手を突っ込んで、呆れるほど張りつめている自分の亀頭を戯れに弄りながら。先走りの液が、パンツの中を濡らしていた。しかし、おれは呼吸を乱すことも、せっかちに先を急ぐこともなく、薫が泣くに任せた。
「……すみません、あたし……なんか……ちょっと、ヘンで……」やっと薫が言葉を発した。「……すみません、ほんとに……泣いちゃって……」
「…いいえ、構いませんよ」わたしはかなり満足してますから、とおれは心の中で言った。
「……それからのことは……ちょっと……今、言えません。ほんとに…ほんとにヘンなことされたので……あたし……」
「今日は無理に仰らなくて結構ですよ」心には思ってもないことを言う。「……あなたの気持ちが、整理できてからでも、ぜんぜん構いませんので」
「……ほんとですか?」薫がすがるような声で言う。
「……ええ」おれは自分がマズイことを言ってしまったことに、遅まきながら気付いた「ほ、本当です」
「……じゃあ、今夜は、もう切ります」
「……はい」馬鹿だ。おれは馬鹿だ「…また、明日にでも電話して下さい。24時間、いつでも対応してますので」
「ありがとうございます……こんなへんな話聞いていただいて……」
「いえ、少しでも楽になりましたか?」
「……はい。ほんとうに、ありがとうございます」
「……どういたしまして」
「お休みなさい」
「お休みなさい」
電話は切れた。
ああ、とおれは思った。失敗だ。大失敗じゃないか、ええ?
なんで電話を切らせたのだ? 明日また薫から電話が掛かってくるという保証があるのか? いや、それ以上に、明日も薫がこの電話番号に「間違って掛けてくる」という確率は、一体、何パーセントなんだ?
おれは自分を呪った。自分の浅はかさを呪った。
……しかし、パンツの中では収まりのつかない張りつめた性器が、解放を待ちわびている。
仕方なくおれは、先ほど思い描いた薫の体験の映像をできるだけ鮮明に頭の中で鮮明に映像化し、薫の消え入りそうな声と、鳴き声を思い出しながら、2回も抜いた。
死ぬほど良かった。
NEXT/BACK TOP