蛇蝎 作:西田三郎
■蛇蝎
15分くらい歩いて、まず目についたラブホテルに入った。適当な当たり障りのないラブホテルだった。正直言って藤枝にしてみれば数年ぶりのラブホテルなので、部屋に入るまでは少しどきどきした。七瀬はずっと憂鬱そうにして黙っていた。これから何かを七瀬から告白されねばならない。それがどんなことであろうと、藤枝は自分の気持ちが変わらないであろうと信じていた。
部屋に入っても、七瀬は無言だった。藤枝も、何となく声を掛け辛かった。
藤枝はベッドに腰掛けて、七瀬はその正面のソファに腰掛けた。
七瀬はそのままで包帯を巻いた自分の手を見ていた。藤枝も黙っていると、やがて七瀬が意を決したように口を開いた。
「…ほんとうに、僕のことを嫌わないで欲しい」
「…嫌わないよ。嫌わないって言ってるでしょ」
七瀬がまた自分の手を見て、ゆっくりと左手の包帯を解きはじめた。
包帯がすべて床に落ちて、七瀬が藤枝に自分の左手を見せた。
「あっ…」思わず藤枝は、口を覆った。
左手の第二間接から先が無かった。傷口はすっかりふさがり、肉が引きつれた感じで癒着している。まるではじめから指が無かったかのように、きれいになくなっていた。
「…どうしたの…」藤枝が言った。
七瀬は藤枝の足下に視線を落とすと、がっくりと肩を落としていた。
「…わからない?」
藤枝が頷いたのを見ると、七瀬は立ち上がって上着を脱ぎはじめた。薄いブルーのシャツを脱ぎ、その下に来ていたTシャツを脱ぐ。そして、七瀬は藤枝に背中を見せた。
「…きゃっ…」思わず小さな悲鳴が出た。藤枝は目を見開いて、七瀬の背中を見た。
七瀬の背中では、牡丹の花に彩られ、アオダイショウが紫の舌をのぞかせていた。彫り物はズボンに隠された臀部まで続き、さらに両肩にも至っていた。
「…そ…それは…」藤枝は自分の声が震えていることに気づいた。喉がカラカラになった。「…それは…何?…」
「…僕のこと…嫌いになったろ?」七瀬が後ろを向いたまま言った。「…そうじゃないかい」
「…あの…その…」藤枝はかすれた声で言った。「…その…つまり…あの…七瀬さん…あの…ヤ…」
「ヤクザかって…?」七瀬が藤枝に振り向いた。七瀬の優しいまなざしは変わらない。しかし何故か、藤枝はすくみ上がった。「…違うよ。今はもう、ヤクザじゃない」
「…ってことは…」
「…ヤクザは、やめたんだ。二年前にね。…馬鹿だったよ。この入れ墨も、19のときに入れたんだ。本当に、馬鹿だったよ」
「…」
「…そうだよ。僕はヤクザだった。最低の人間だった。でも、今は違う。それで昔やってた酷いことが許されるなんて思ってないけど…でも、今は違うんだ。ちゃんとした会社で、ちゃんと働いてる。」
「…」
「…でも…イヤだろ、こんな男とつきあっていくのは…」七瀬はそう言うと、ソファに腰掛け、自嘲的に笑った。「…もう、別れよう」
気が付くと、藤枝は七瀬に飛びついていた。考えてした行動ではなかった。きがつくと、藤枝は、七瀬の胸に顔を埋めていた。
「…別れたくない」
「え…」七瀬が戸惑った声で言った。「…だって」
「しよう…」藤枝は七瀬の顔を見上げた。「ね、しよう…」
「…本当に、僕のこと嫌いにならない?」
「…うん…」
七瀬が藤枝を抱きしめた。藤枝はまた泣いていた。しばらくそうしていた。先のことなど、全く考えられなかった。このように抱き合っている時間が、そのような算段よりもずっと大切なことのように思えた。
「じゃあ、するよ…?」七瀬が、低い声で言った。すこしだけ荒い吐息を感じた。
「うん…」言おうか言うまいか迷ったが、酔いも助けて藤枝はなんとかそれを言葉にした
「好きにして…」
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