蛇蝎 作:西田三郎


■あたしとしたくないの?



 「七瀬さん…あたしと…したくないの?
 土曜の夜。何回か来た居酒屋。
 酷く酔っぱらっていた。ビールとワインと、日本酒をチャンポンで飲んだせいだった。それでも、藤枝は自分の口から出た自分の言葉に驚いた。思ったより、大きな声だった。しかし一度口から出た言葉はもう引っ込めることはできない。
 藤枝はひどく後悔しながら、上目遣いに七瀬の顔を盗み見た。
 七瀬は、遠慮がちに笑っていた。見た目には、いつもと変わりない。ただ、戸惑いを感じているのは明らかだった。その雰囲気を感じ取り、藤枝の後悔はさらにつのった。
 「…え…あの…ええと」七瀬は藤枝と目を合わせず、はにかんだような笑顔でなにか言葉を探しているようだった。
 藤枝の後悔は変わらなかったが、同時に苛立ちも感じた。今、あたしはべろべろだ。酔ったときにこんなことを言うなんて最低な気もするけれど、ここまで酔ってないとなかなか言えないことでもあるような気もする。今、ここで言うべきなんじゃないだろうか?今言わないと、これからもずっと言えないような気がする。
 「あたし、そんなに…魅力ない?
 「…そんな…そんなこと、ないよ」七瀬は下を向いている。
 「あたしたち、もう、つき合って3ヶ月になるよね?」
 「…う…うん」
 藤枝はテーブルの上の、包帯を巻いた七瀬の手に、自分の手を重ねた。
 重ねて、逃がさないつもりだった。
 「…なんで、したがらないの?」ちょっと言い方が下品だったろうか。いや、構いはしない。「ねえ、なんで?したくないの?
 「…あの…」必死で言葉を選んでいた様子の七瀬も、ついに観念し、唇を舐めてから、用心深く言葉を発しはじめた。「…いいかい…したくない訳じゃ、ないんだ」
 「…じゃあ、なんで?」藤枝は七瀬の目をまっすぐに見た。
 「…したいと…思ってるよ。でも…僕は…」
 「…僕は…何?」ちょっと結論を急ぎすぎだろうか?
 「…君に、嫌われたくないんだ…
 「…え?」
 どういうことだろうか?あたしに、嫌われる?何で?何か体に欠陥があるのだろうか?体に大きな火傷があるとか?もしくは、機能に問題がある?勃起しないとか?いや、あたしは何を考えているんだろう、と藤枝は頭を振った。それとも、何か変態的な嗜好がるとか?…ますます、何を考えてるんだろう?やはり、欲求不満が溜まってるんだろうか?
 「…それ、どういう事…?」
 「…」七瀬は答えなかった。じっと黙ったまま、包帯をした自分の左手に重ねられた藤枝の手を見ていた。
 藤枝は突然、泣きそうになった。泣きそうになった、と思ったら、もう泣いていた。
 子どものような泣き声が出た。
 涙はいくら堪えても収まらなかった。
 「…ねえ、いまから、店出て、ホテル行こう」藤枝は言った。
 「…え…」七瀬が言った。
 「…もう、なんでもいいから、ホテル行こうよ…
 「…」
 七瀬は黙っていた。涙を流す藤枝を、悲しげな目で見つめている。
 「…ひとつだけ、約束してくれる?」七瀬が言った。
 「…何?」
 「…言っとこかないと、いけないことがあるんだ。…大事な話なんだ」
 「…」
 「…それを聞いても、嫌いにならないって約束してくれる?」七瀬は自分の左手に重ねられた藤枝の手の平の上に、さらに自分の右手を重ねた。
 「…ならないよ、なるわけ、ないじゃん」藤枝は笑った。
 二人は10分後、勘定を済まして居酒屋を出た。

 
 

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