蛇蝎 作:西田三郎
■プラトニック
それからも、毎週末の土曜か日曜、藤枝は七瀬と遭い続けた。
それはつまらなく、無味乾燥な毎日のメリハリであり、悦びであり、生き甲斐であった。遊びに行く場所に関しては、藤枝が積極的に提案した。あるときは動物園だったり、ある時は美術館だったり、あるときはフリーマーケットだったりした。七瀬と遭うために、藤枝はそれ以来たくさんの服を買った。化粧品も揃えた。美容院に行く回数も心なしか多くなった。体型にも気をつかうようになった。昼食も油物を控え、夜の十時以降にスナック菓子を食べるようなこともなくなった。外出先では、糖分の入った飲み物も飲まなくなった。
「…なんか、藤枝、最近ちょっと綺麗になったみたい」
会社の同僚にそう言われるようになった。
会社の同僚には七瀬のことは話さなかった。話してしまうと、七瀬との関係の価値が薄れてしまうような気がした。同僚達から男関係の話はいやというほど聞かされるが…そういった話と自分と七瀬との話には明確な温度差があるように感じた。
意味無く、根拠無く舞い上がってしまうのはいけない、と自分には常々言い聞かせている。
しかし、それでも幸せで楽しいことは事実だった。
控えめで優しく、押しつけがましさなど微塵も感じさせない七瀬は自分にとってこの上なくぴったりな相手だと思う。七瀬はいつも、藤枝の話を一方的に聞くばかりだった。どんなにくだらなく、どうでもいい話でも七瀬はそれをさも興味深そうに聞いてくれる。決して七瀬からなにか目新しい話題を提供してくれるわけではなかったが、それだけで藤枝はたとえようもなく幸せだった。
七瀬と居ると、この時間がいつまでも続いてくれればいいのに、といつも思った。
週も中頃、水曜日くらいになると、藤枝の頭はすこしずつ七瀬のことで一杯になり、金曜日の午後などは本当に七瀬のことしか考えられなくなった。
具体的な理由はわからない。しかし、全身全霊で、七瀬を求めている自分がいた。
そのまま3ヶ月が過ぎた。
毎週末ごとの、七瀬とのデートの日々は、そのまま続いていた。
藤枝は幸せだったが、同時に漠然とした不安を感じ始めていた。
七瀬はこれまで一度も、藤枝に肉体的な接触を求めることがなかった。キスはおろか、手さえ握ろうとしない。まるで一昔前の10代の少年少女ような“清い交際”が、依然として続いている。
だからといって不満があるわけではない。いや、と言えば嘘になるだろうか。
藤枝も、七瀬にそういうことを求める隙を与えていない訳ではない。もう子どもじゃないのだ。
デートの途中、わざと人気のない公園や、路地を通ったりもした。会話の途中に“友人の話”として、わざときわどい話題…友人が彼氏の部屋で妙なことを求められた、とか…を、あくまで下品にならないように、それも酒の入ったときにそれとなく織り交ぜもしたりした。服装にも気を使った。七瀬と遭うときはいつも、会社では絶対につけない、胸を高く持ち上げるブラジャーをした。藤枝は決して胸が無いほうではなかったが、それをさらに魅力的に見せる努力をした。躰にぴったりフィットしたカットソーも着た。かといって下品な感じに見られてはいけないので、そう見えないような配慮も怠らなかった。だから短すぎるスカートは履かなかった。かといって、体型を隠すようなスカートも履かなかった。自分の少し広い腰つきは自分ではあまり好きではなかったが、それは男性的には魅力があるものらしいので、下品にならないくらいにそれをアピールするようなスカートを履いた。また、スカートよりもパンツのほうがそれを明確にアピールできることもわかっているので、何回かにいっぺんはパンツでデートに行くことにした。
しかし、七瀬は一向に藤枝を求めようとしなかった。
どこかに遊びに行って、食事をして、お茶を飲んで、改札で別れる。
そんな週末が続いた。美術館に行ったり、動物園に居たりする間は本当に胸が躍って、まるで十代の少女のように楽しめた。しかし、いざ時間が来て、七瀬を改札で見送るときには、そうではいられなかった。
いつも下半身が熱くなって、下着が少し濡れるのを感じた。
そのことを感じるたびに、いつもたとえようもない恥ずかしさを感じて、赤面した。
あたしは、何を求めているんだろう?
あたしはそんなに、いやらしい女だったんだろうか?
ある土曜日の晩、七瀬と別れたあと、藤枝は頭を冷やしながら、ひとりのワンルームへの道を急いだ。しかし、いくら心で律しても、下半身に帯びた熱は消えなかった。部屋について、シャワーでも浴びて、コーヒーを入れて飲んで、歯を磨いてもそれは消えなかった。
ひとり、明かりを消した部屋で、シーツにくるまる。目を閉じると、下半身の熱だけが、自分を支配している全てになった。
全身が汗ばんだ。ため息ばかりが漏れた。
シーツの中で太股をすり合わせる。そんなことはしてはいけない。
毎晩、自分を律しようとした。
藤枝が自慰を覚えたのは小学校6年生のとき。それが早いのか、遅いのかはわからない。そんな話を人とするわけでもないし、早かろうが遅かろうが、別に悪いことではないはずだ。
しかし、七瀬への思いをそんな行為で消化しようとしている自分が許せなかった。
しかし、寝苦しさと下腹が孕む熱には抗いようもなく、気が付けばいつも藤枝はシーツの中でパジャマの下を脱いでいた。冷たいシーツが、すっかり熱を帯びた太股に心地よい。指が下着の上から、敏感な合わせ目をなぜる。ほのかな快感が広がり、少しの間を置いて空しさや寂しさ、意味のない罪悪感がとろけるように消えていく。
「ん…」
少しだけ、声が出る。部屋には藤枝ひとり。少しくらい声を出したって、誰に迷惑を掛けるわけでもない。下着の上で、かすかに指を振動させてみる。少しずつ高まっていく自分を感じた。
ある程度、自分を高めてから心に七瀬を思い浮かべた。
頭の中で、自分は七瀬にキスをされていた。七瀬の唇を想像して、股間に当てていない左手の指を唇に当ててみる。七瀬がその唇を顎から首筋に這わせるのを思い、指を移動させた。
「んん…」
下着の中に手を入れる。指が自分自身の湿りを感じる。いつも、恥ずかしいくらいにそこは潤んでいた。自分の浅ましさやいやらしさを自覚すると、さらに下半身が熱くなり、潤みも心なしか増すようだった。
自分の恥ずかしい分泌物で下着が汚れるのはいやなので、そのままシーツの中で下着を脱ぐ。
シーツの中で下半身を丸出しにしている自分を思うと、また自虐的な悦びが躰に満ちてくる。
本格的に指を使った。
左手は、七瀬の愛撫を思って、鎖骨をなぜ、乳房を揉み、乳首を捏ねた。
「…あっ…んっ…」
想像の中で、七瀬は優しく、しかし的確に藤枝を愛撫し、追い込んでゆく。
指はあふれ出した体液の中に浸り、その中を泳ぐ。快楽の中枢である陰核へと、指は急いだ。
「…んんんっ…」
腹這いになる。右手の指が敏感な突起を擦り上げ、左手は右の乳房を捏ねあげた。
尻が持ち上がる。とても人には見せられない姿で、藤枝はひとり喘いだ。
枕に口を押しつけて、必死に声を殺す。右手の指はまるで自分以外の意思に支配されたかのように、藤枝を責め立てた。
「あっ…くっ!」
指が熱い液に満たされた体内へと進む。内壁が指を容赦なく締め付け、快楽を求める。
心の中で、七瀬は藤枝の尻を抱え、深々と指を、もしくはもっと存在感のある何かを藤枝に押し込んでくる。想像の中の七瀬は無慈悲に動き始める。それに合わせて、藤枝の指も前後に動いた。
「…あっ…んっ…くっ…んっ…」
空しい喘ぎが、暗い部屋の中に低く響く。藤枝の尻は絶え間なく跳ねた。自分の指の動きとは反対に動いて、ひたすらに浅ましい快楽を求めた。
「…うっ…くっ…んんっ…あっ…はっ…」
尻の動きと、指の動きが併せて速度を増す。手のひらまで悦楽の液が垂れている。
七瀬と知り合う前は、自分で慰めていてもこんなことはなかった。
七瀬の動きを想像する。シーツの中で激しく尻をふりたくる。あまりにも恥知らずに漏れそうになる声を堪えるため、藤枝は枕に顔を埋めた。
「んんんっっっっっ……!!」
頭の中が白くなり、指を包み込んだ肉の壁がきつく指を締め付けた。なお一層、尻が高く持ち上がり、小さく震える。
長い、長い余韻を味わってから、藤枝は枕に深く顔を埋めた。気が遠くなった。
しばらくして、罪悪感と虚無感が襲ってくる。
自分は25。彼氏もいちおう居る。しかし彼氏はあたしを求めてくれない。だからあたしは、こうして毎晩のように自分でオナッている。なんて空しいんだろう?
手のひらを汚す粘液が、藤枝の罪悪感を加速させた。
シャワーにいかなければ。と、理性では思うが、躰が動かない。
少しだけ、眠くなった。まだ余熱を残し、充分に湿り気を帯びた下半身を丸出しにしながら、藤枝は目を閉じた。
自分を慰めているときでさえ、自分を責め立てている七瀬の顔はリアルに思い浮かばない。
目に浮かぶのは、改札ではにかんだように笑って、手を振っている七瀬である。
眠りにつく少し前、七瀬のことを思った。
七瀬が手を振っている。つき合いだして3ヶ月、一向に包帯の取れる気配のない左手を。
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