痴漢環境論
作:西田三郎
■7■ F子が痴漢にパンツを盗まれた話
大学時代につきあっていた彼氏とは、4年生の中ごろに分かれた。
卒業してからOLになって(会社の仕事の内容は詳しく書かない。どうせ読んでいる人も興味ないだろうから)4年の間は、彼氏ができたり、分かれたりの繰り返しで、今これを思い出している段階では、彼氏はいない。 直近に付き合っていた男とは、半年前に別れた。
男というものがどういう生き物なのか、26年間生きてきたが、わたしは正直言ってぜんぜんよくわからない。
いや、これまでにも何人かの男と付き合って、デートをしたりセックスをしたりしたけど、男と時間をともにする、ということはその他の物事よりもずっと、すばらしくてステキなことで、それを得るために必死にならなければならないことなのだろうか?
これを読んでいるのが女性なら、なんとなく気持ちをわかってもらえると思う。
たとえばあなたがわたしと同じ、30歳を4年後に控えたOLで、合コンに余念がないようなタイプの同僚をシラケた目で見つめているようなタイプなら。
あるいは、これを読んでいるのが男性の場合はどうだろうか。俺らもてめえら女のことがよくわかんねえよ、と思われるだけだろうか。しかし、男性も男性 で、それほど生涯の伴侶……とはいかないまでも、気軽につきあえる恋人を見つけるために合コンに奔走する友人に対して、あまり共感できない、というタイプ の人間もいるはずだ。
とくに、最近、わたしたち女と、あなたたち男は、妙な距離感を保っていると思う。
合コンに奔走する人間を冷たい目線で見ているもの同士、という意味だが。
言っておくけど、こんなこと言ってるからって、単にテメエ、ブスなんだろ。ブスのやっかみだろーが!ボケ!と勝手に思い込まないでいただきたい。自分で 言うのも何だけど、わたしはキレイな方だと思う。実際、会社が終わってからキャバクラで働いている同僚のC子よりも、ずっときれいで、背も高いし、脚も長 いし、スタイルもいい。服のセンスも悪くないと思う。まあちょっと地味なほうかも知れないけれど、それなりにヘアスタイルにも気をつかってるし、いつもき れいな靴を履くようにしている。
職場はではキャバ嬢C子と事務のF子を覗いて、すべて男性だが、おそらく課長以下、数名の男性社員は、何か機会があればわたしとセックスしたい、と考えているに違いない。
いや、自意識過剰ではない。
わたしの胸元や、お尻や、しゃがんだときの腰に、毎日視線を感じる。
とはいえ、同じような視線はC子にも、F子にも向けられている。
C子はその視線を楽しんでさえいる。23歳のF子は、あまり気づいていないようだ。
そういうスキのあるところが、F子がC子より男性社員ウケがいい理由なのかも知れない。
F子は……どこか頭のねじが一本抜けたような子で、いつもぼんやりしている。
仕事のミスも多いし、言うことも素っ頓狂でピンボケなことが多い。特に美人というわけではないが、グラマーでおっぱいもお尻も大きい。たまに行われる会社での飲み会では、酔っぱらってわけのわからなないことを言いだすこともある。
そういうF子を、“かわいい”と思っている男性社員は多いようだ。
会社の中で男性ウケがいいのは、いつもギンギンにフェロモンを発散しているC子でもなく、公平な目で見て一番きれいでスタイルのいい(引かないでほしい)わたしでもなく、ドン臭く、ピンボケで、おっぱいとお尻が大きく、頭のねじが外れているF子なのだ。
こういうことも、理屈では説明しにくい。
別段そのことに自尊心を傷つけられるわけでも、理不尽を感じるわけでもないが、これもまた、現代社会を生きるわたしたち現代人が適応しなければならない『環境』である。
ところで、わたしたち3人はいつも、会社の休憩室でお弁当を食べる。
C子はいつもサンドイッチで済ますことが多い。わたしは自分で作ったお弁当で、F子はコンビニで買ってくる「麻婆茄子丼」とか「かき揚げ天丼」とか「ボリュームかつ丼」とかを食べる。食べるものにも、なんとなく性格とキャラクターが現れている。
いつものように3人で会話をしながら食事をしていると、突然、F子が会話の流れを断ち切って、ボソっとつぶやいた。
「あたし……今日、電車で痴漢にパンツ取られちゃったんですよね……」
「ぶほっ」わたしは飲みかけていたサントリーの伊右衛門でむせた。
「はああ??」C子がポカン、と口を開く。
「みなさんは……そういうことありません?なんか……電車で痴漢に触られてるうちに、なんか、ダメだ、ダメだ、抵抗しよう、抵抗しよう、声出そう、やめて ください、って言おう、っておもってるけど、なんか、タイミングがつかめなくて、そのまま、痴漢がエスカレートしてきて、なんか、いまさら『やめて』とか いうと、へんな感じになりそうで、いつのまにか、どんどんエスカレートしてきて、パンツの中に手が入ってきたり、それから、ブラジャー外されたり、それから、 なんか、ええと………」
オチも着地点のないC子の話は、その調子で続いた。
「ありえないよ!」とC子がF子の話をさえぎってわたしに言う「痴漢なんて、超キモいだけじゃん!」
「え、あ、うん。そう。そうよね」わたしはとたんに居心地が悪くなった。
「サイテーだよね。あたしもさあ、ほとんど、一週間に2〜3回は触ってくる奴いるんだよね!スカートとかさ、ちょっと短いときとか、なんか、3人ほどオッ サンの手が入ってきてさ!あたしのスカートの中で、痴漢同士の手がケンカしてやんの。全員の靴、カカトで踏んでやったっつーの!……それからさ、ときどき いない?ブラジャーのホック外そうとする奴!……何考えてんだろーねえ?……この前なんかいきなりスカート、上にグワッと上げられて、パンストをズ バッ!っと一気に下されちゃってさあ……おもっきし、肘でドスっと後ろの奴突いたら、『ウグッ』ってうずくまってやんの!……キャハハハハ!……それか ら……」
C子の武勇伝じみた“痴漢話”はその調子で延々と続いた。
「みなさんは、痴漢で感じちゃったことありませんかあ?」
また空気をまったく読まずに、C子が発言した。
今度はむせなかったが、わたしは急に喉がカラカラに乾くのを感じ、伊右衛門茶で喉を潤した。
「あるわけないっしょ!」C子が無理矢理笑い顔を作りながら言う。「イヤだけど感じちゃう……みたいな?……ないない、ぜんぜんない。絶対ありえないって!ねえ?」
「う、うん」いきなり話を振られて、とりあえず頷いておく。
「えー……そうですかあ?」とC子「じゃああたし、おかしいのかなあ」
「え……つまり……」わたしは、恐る恐る、言葉を選んで話した。「Fちゃん、あんたは感じちゃった、ってこと?」
「というか、なんか、ボーっとしてるうちに、なんか、パンツに手を入れられちゃって、それで、ぐいぐい、ぐいぐいされてるうちに、頭がボーっとしちゃっ て、知らないうちに、パンツ降ろされてて、あっ、と思ったら、片足持ち上げられてて、足首からパンツ抜かれちゃって……そのまま、かわりばんこにもう片足 も上げられちゃって、その足首からもパンツ取られちゃって、それで、その人、あたしのパンツを自分のポケットに入れちゃったんですよね〜……それから……前から 触ってきて、なんか、ボーっとしてるのが、だんだんボーっとしてるのから、くらくらに変わってきて、そのまま……」
「あ、あたし、タバコ吸ってくるわ」
C子はこの状況にいたたまれなくなったらしく、席を立って退散した。
C子の背中を見送ってから、わたしはF子に訪ねる。
「ということは……今日……ノーパンなの?」
「えー……やだあ」突然、C子が頬を赤らめた。「そんなわけないじゃないですか〜……ちゃんとコンビニでパンツ買って、駅のトイレで履いてきましたよ〜会社でノーパンなんて、ヘンタイじゃないですか〜……あたし、そんなヘンタイな女の子に見えますか〜……やだな〜……」
「そ、そうよね」わたしは答えた。「あ、あたりまえだよね」
「えへへ」そう言ってC子はニキビの跡が残る頬をポリポリと掻くしぐさをした。
こういう女が、うちの会社という小さな宇宙の中では、一番モテる女だったりする。
しかしまあ……『環境』への『適応』にも、いろんな形がある。
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