痴漢環境論

作:西田三郎


■6■『痴漢環境』を楽しむ

 大学に入って2年生になっても、やはり朝は満員電車に揺られなければならない。
 高校1年生のときに身につけた『痴漢環境論』にもとづく意識的な幽体離脱は、大いにわたしの役に立った。
 そして20歳を超える頃には……わたしはそうした環境を楽しめるようになるまでに進歩していた。
 
 あれは2年生の前期試験の少し前だったと思う。
 いつものようにわたしは満員電車の中で、“浮いて”いた。
 その頃にはもうi-podを持っていたので、バッハのインベンションを聞きながら、肉体は完全に置き去りにして、心は相変わらず宙に浮かせていた。平穏な心で、わたしを邪魔するものは何もない。

 その頃には彼氏もいて、初体験も1年生のときに済ませていた。
 かといって、満員電車における『痴漢環境論』に基づくこの瞑想は、少しも変わらなかった。わたしに彼氏がいようがいまいが、痴漢たちは情け容赦なくわたしの身体に群がってくる。
 わたし自身は彼のことを愛していたし、二人で過ごす時間を持てること、それにキスをしたりセックスをしたりすることには、人並みにしあわせに感じていた。
 痴漢のほうから見れば、どういう感じなんだろう?

 女子高生ではなくなったわたしは、もう制服を着ていない。
 わたしはお尻と脚のラインに自信をつけていたので、スリムなジーンズやミニスカート、ショートパンツを履くことが多かった。そういう、脚の露出が痴漢た ちを惹きつけていたのだろうか……?いや、別にそういうわけではないだろう。セックスやキスやおっぱいを好きな人に触られる喜びをすでに知っていたわたし は、自分でも気づかないうちに、そういうふうに性的に開放された雰囲気を身につけていて、それに痴漢たちが反応したんだろうか……?いや、それも違う気が する。
 
 べつに、痴漢たちはわたしという個人に対して興味を惹かれているわけではない。
 たまたま乗り込んだ電車の中に、うまい具合に、身近に女がいたから、触るだけの話だ。
 彼らには意思はない。風に草木がそよぐように、海の底で海藻が
水流に揺られるように……目の前のこと、身の回りのことに自然に反応し、手を伸ばして『女』(つまり、女ならば誰でもいいのだ)に触れるだけだ。

 それがわたしのように、満員電車の人混みの中で“浮く”ことでありとあらゆる感覚を遮断し、痴漢に好きにさせている女であれば、なおさらだろう。彼らにしてみればわたしは“いいカモ”なのかも知れない。
 でも、わたしにしてみれば彼らは単なる『環境』の一部に過ぎない。

 その日はとても暑い日で、わたしは薄いTシャツ1枚に下はタイトなジーンズ、脚にはサンダルという姿だった。
 真夏の満員電車は特に息苦しく、人々の汗の香りや肌の滑りの中に身体を押し込まれているというのは、誰にとっても非常に不快な状況である。しかしわたしは高校生のときに身につけた“浮く”という対処法でその日もあらゆる不快感をシャットダウンしていた。
 
 しばらくすると……いつものように、わたしの肉体を取り囲み、その場にくぎ付けにしている『環境』……人混みの中から、手が伸びてきて、お尻に触れた。
 『ああ、今朝もごくろうさま』
 バッハの旋律の合間に、わたしはその手の気配に何の感情も込めず、心の中だけであいさつをした。
 手はしばらくわたしのジーンズに包まれたお尻……自分で言うのもなんだが、かわいくていいお尻だ……を遠慮がちに撫でまわしていた。
 布の上からお尻の肉の感触を楽しむと、中心の縫い目に合わせて指を這わせ、なんとか“俺、あんたに痴漢してるんだぜ”と、自らの存在をアピールしてくる。

 ウケるんですけど。たかが『環境』のクセに。

 何の抵抗もないことを悟ると、手は大胆に前に回ってきて、ジーンズの上から股間に触れはじめた。
 わたしの肉体は人混みに戒められていたし、大した抵抗はできない。しかしわたしの精神はバッハのインベンションとともに“浮い”た数十センチ上空から、その様を見下ろしているだけ。弄られる股間の感覚は今、肉体だけが感じており、わたしの精神には届けられていない。
 
 これまでにも何回もあったことだった。わたしは空中から、ぼんやりその様を眺めていた。
 と、男の手がわたしのジーンズのホックにかかる。
 ベルトをしていなかったので、簡単にホックが外され、ジッパーが下された。

 “おお?”と上空のわたしは感嘆する。
 ジーンズをはいているときにここまで大胆に攻めてきた痴漢ははじめてだった。

 男の手が、全開になったジーンズの前から忍び込んでくる。まるで海の底に住んでいる名も知らない不気味な生き物が、巣穴に潜り込むように。そして、ローライズジーンズ用のユニクロ製安物パンツの上から、わたしの入り口あたりをぐいぐいと押してくる。
 いやあ、なんてせっかちなんだ。わたしの精神が肉体に留まったままだったとしたら、痛みしか感じなかっただろう。それでも、男たちはそういう刺激を与えることで、無条件に女の身体から快感を引き出せると思っている。アホ極まりない。

 と、今度は後ろから手が伸びてきた。

 その手が、Tシャツの上からおっぱいを鷲掴みにする。
 激しい力で、ワイヤーブラの上から揉みあげられた。
 こういうことはよくある……一人目の痴漢に無抵抗でいると、第二、第三の痴漢が湧いてくるのだ。

 それまで、単にわたしを取り囲む“環境”にすぎなかった“普通の乗客”が、第一の痴漢に触発されていきなり痴漢に変貌するのである。人間が善人・常識人 から犯罪者へ変貌するのに、たいしたきっかけや原因は必要ない。これは本当だと思う。何も悪い事なんかしたことがないまじめな中学生が、ドラッグストアで 欲しくもないお菓子を万引きする。ずっと誠実一点張りでやってきた定年間近の公務員が、いきなり道端で女性に抱きつく。傍から見れば大人しく、無害だけが 取り柄のような地味なOLが、会社のお金を使い込む。
 
 罪の匂いのすること、いけないことはまるで万有引力のようなもので、どんな人だってそれに吸い付けられてしまう。だから……後ろからわたしの胸を揉んで いた手が、シャツの中に忍び込んで、ブラジャーのホックを外した頃には、第三、第四の手が『環境』の中から生えてきて、わたしの身体をまさぐっていた。

 あっという間に、ジーンズは太ももあたりまで降ろされ、Tシャツは胸の上までまくり上げられる。

 左の乳房と右の乳房を、それぞれ別の手が捏ね回していた。左の乳房を捏ねる手は時折、乳首をぎゅっ、とつねり、右の乳房を握りつぶすように揉み込む手は、時折、乳首を人差し指でぱちん、ぱちん、とはじいた。
 脇腹にも、お腹にも手が這い回っている。第五、第六の痴漢だろうか。
 
 ここまでくると、これはもう計画的にこの場に集合した痴漢の集団であると考えたほうがいいだろう。
 でもまあ……連中が根っからの痴漢であろうとその場で痴漢に転落した一般市民だろうと……わたしには関係ないことだ。

 パンツの中に……前から二本、後ろから三本……手が入ってきた。
 陰毛を引っ張る指もあれば、入口をなぞろうとする別々の3本の指がぬめりながらぶつかり合う。
 少なくとも2本の指がクリトリスを探り当て、包皮を剥いてその表面に指を這わせた。
 
 もちろん、中空で自分のことを観ているわたしは何も感じない……しかし、驚いたことに、わたしの肉体は……わたしの精神が見下ろすその真下で、自らを蹂 躙する数十本の手の中で、身体をくねらせて、淫らに踊っていた。頬を赤く染めて、唇を半開きにして痴漢たちのなすがままになっている自分の姿は、実にあさまし く……自分でいうのも何だが、かなりいやらしかった。

 やがてパンツが下され、もっとたくさんの手がわたしの下半身に集中する。
 ほとんど、全裸に近い状態だった。さいわい、周り全員が痴漢なので、他の乗客はわたしの有様に気づいていないようだ。
 かくん、という感じでわたしの肉体の膝が折れ、ぽかんとだらしなく開いた口が天井を向いた。
 わたしの肉体が半開きの目で熱っぽく上空にいるわたしを見ていた。
 
 すると、どこからか手が伸びてきて、わたしの肉体の顎をとらえ、強引に引き寄せる。
 30代中半、といった感じの太ったサラリーマンが、わたしの唇に被りついた。
 
 ひえっ。

 わたしの肉体は……その冴えないサラリーマンの唇を、舌を受け入れている。
 じゃあ俺も、という感じで、浪人生っぽいタマってそうな学生風のイケてない男が、そのサラリーマンからわたしの顔を奪うと、キスをした。次はまた別の、少 し見た目はイケてる系のサラリーマンが、わたしの唇を奪う。いったい何人に回されたのかわからないけど、わたしの肉体は少なくとも5〜6の見知らぬ他人の 唇を受け入れていた。その頃には、パンツはもう膝くらいまで降ろされている。
 ぬめる股間の中に数十本の指が、浅瀬に打ち上げられた泥鰌のように絡み合いながら這い回り、その中の一部は、わたしの中に侵入してきた。ときには後ろの穴にも。

 とにかく、次のターミナル駅に着くまでの一〇分間ほど……わたしの肉体は痴漢たちの手や舌……『環境』から伸びてくる無数の触手に蹂躙しつくされた。そして、肉体は勝手にそれを楽しんでいた。
 その感覚を遮断しているわたしの“精神”は、ななめ上数十センチのところでことの次第をすべて見守っていた。
 肉体から精神を追い出す術を身につけていたおかげで……わたしは屈辱感を味わうことはなかった。
 痴漢たちが一斉にわたしの身体から手を引いて、律儀に服を元に戻してくれるのを目にしていても。
 すべて……現実感を伴うことなく、見ていることができた。
 まるで他人事として……ネットでエッチな動画でも観ているような気分で。
 

 その日の晩は、彼氏とお泊りデートだった。
 彼氏とホテルに入る前に、居酒屋で飲んで、わたしも彼も酔いが回ってきたところで、今朝の満員電車でわたしに起こったことの一部始終を、彼氏に聞かせた。
 彼氏は怒り、嫉妬を感じながらすごく興奮したようだ。

 ホテルまであと数メートル、というところにわたしを路地に引っ張り込んで、ジーンズの前を開き、シャツの中に手を突っ込んでホッ クを外し、おっぱいを揉み……「こんなふうにされたのか?こんなふうにされて気持ちよかったのか?」とハアハアいいながら、わたしが語った“痴漢体験”を 再現しよううとした。ホテルでも、大きな姿見のに手をつかされて、どんどん乱され、脱がされ、辱められていく身体を見せつけられながら……そのまま後ろから突き 入れられた。

 超きもちよかったので、わたしも調子に乗って喘ぎまくった。



 

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