痴漢環境論

作:西田三郎



■3■第一の確信 〜痴漢は自分のやっていることを犯罪だと自覚していない〜


 二年生になり、三年生になった。
 それにともなって、わたしの身体もどんどんそれなりに発育していく。
 これはまあ、男女共に共通の感覚だと思うが、それは誇らしくもあり、同時にとても気恥ずかしいことだった。
 たとえば、おっぱいが大きくなるということには、身体的にも肉体的にも多少の痛みを伴う。
 大きなおっぱいは男性にとって魅力的なものである、ということは充分に知っているし、たとえばかなり胸が発達した同級生がいたりすると、『うらやましい!』とか言ってみたりするけれど、それと同じ発達が自分の身体に起きれば、戸惑いを隠せない。
 おい、ちょっと待ってよ。待ってってば……と思ううちに、おっぱいはひとりでに大きくなっていく。
 お尻だってそうだ。はっきり言って、お尻はあまり大きくなってほしくない。少なくともわたしはそうだった……でも、一年生の頃にはほとんど男の子みたいだったお尻もどんどん丸みを帯び、柔らかくなっていく。

 ちなみに、実際クラスメイトたちの中にはすでに彼氏を作り、そのうちの何名かは……セックスや、それに至るまでのさまざまな課程……舌を入れてのキス や、ネッキングや、お互いの性器を触りあったり、とかいろいろ……の経験をすでに済ませており、クラスでそのことが話題になることもあった。

 どこまでがほんとうで、どこがらがハッタリなのかはわからなかったけれど、みんなそういうことには興味があったのだ。
 
 少なくとも恋愛感情を抱いている相手に……自分の身体を触られることは、それなりに嬉しいことだろう。
 それでこそ、発育し甲斐があるというものだ。

 しかしわたしには、彼氏がいなかった。男友達もいなかった。
 別に痴漢に遭っていたことが原因というわけではない。
 さっきも言ったが、わたしは生まれつき引っ込み思案で大人しい性格だ。

 だから友達がクスクス笑いとともに語る性体験については、人並みに憧憬を抱いていた。
 いっそのことはっきり書くが、オナニーを覚えたのは小学校五年生くらいのときから。
 いろいろな妄想をしながら四〜五年間、人並みにパンツの中を弄ってきたきたけど、やはり年齢が上がり、身近な友人たちが「実体験」としてこういうことを話題にしはじめると、それなりに『性』に対する思いは、リアルなものになってくる。
 
 成長していく身体と、胸の中で高まっていく『性』への関心。

 そして、か毎朝の通学電車の痴漢たちはまるで……それを確認するかのようにわたしの身体を弄り続けた。

 もちろん屈辱的で、理不尽で、情けなかったのは言うまでもない。
 それよりももっとわたしの胸をムカつかせたのは……彼らの手つきだった。

“ほうほう、だいぶんおっぱいにも揉みがいがでてきたな”
“お尻のほうも、もうすっかり女になったじゃねーか”
“ふーん、こんなパンツ、履くようになったんだね”
“うなじもかなり、色っぽくなったじゃないか”
“彼氏いるの?彼氏にちゃと触ってもらってる?”

 ……毎朝わたしの身体に手を伸ばしてくる痴漢たちが、実際にこんなことを言ってきたわけではない。
  しかし、スカートの上から、時にはスカートの中に入り込んでパンツの布越しに……あるいは、ブラウスを持ち上げている乳房に触れる手のひらから……痴漢たちが伝えてくるのはそんなメッセージである。
 わたしには聞こえるのだ。
 これはわたしが狂っている、というわけではない。
 かなりの確率で、痴漢たちはそういうメッセージをわたしに……特に当時のわたしのように発達途上の肉体を持つ女子中高生たちに……手のひらでそんなメッセージを伝えようとする。

 いちばん耐えられなかったのは……前に立った痴漢に、前面からスカートに手を入れられたときだった。
 そういうことも、しょっちゅうある。
 ……そんなときは……どんなにしっかりと太ももを閉じても……足の間に指を割り込まされて……あの部分を触られる。上手くそこは防げたとしても……パンツの上から、前面の膨らみを捏ねられる。

“いやあ……”

 そんなとき、わたしはいつも目を閉じて……痴漢の指からその男の意思が自分の頭に入ってこないように……必死で心をOFF状態にしようと頑張った。触られ ている感触よりも……もうその頃には、触られる、ということ自体への不快感に、身体が慣れてしまっていたのかもしれない……男の意思が指を伝ってわたしの 身体に染みこみ、脳に伝わってくるのを必死にシャットダウンしようとした……。
 
 “ほら、ここ。毎日自分で触ってんだろ?”
 “だから、こんなに身体がエッチに成長してんだろ?”
 “人に触られるのと、自分で触るのとどっちがいい?”
 “彼氏はいるの?……彼氏はこんなふうに触ってくれる?”
 “気持ちいいんでしょ?オナニーしてるみたいな気分なんでしょ?”
 “ほら……自分でしてるみたいな気分になってきたでしょ……濡れてきてんじゃない?”

 濡れてない!!
 気持ちよくなんかない!!
 バッカじゃねーの!!
 そんなわけないじゃない!!
 
 心の中で、指から伝わってくる痴漢たちの意思と格闘する。
 それがわたしの通学時間だった。とても消耗した。

 ある日のことだ……もっとひどいことが起こった。
 その痴漢は、後ろから触ってくるタイプの痴漢だった。
 わたしはまた、心に蓋をして……その男が指から伝えてくる意志をしっかり遮断しようと、奮闘していた。
 男はスカートをめくり、パンツの上からわたしのお尻の形や、弾力や、柔らかさを思う存分楽しんでいる。
 と、いきなりその男の手が、パンツの脚の付け根の部分から中に侵入しようとしてきた。

“いやっ!”

 わたしは慌てて、手を後ろに回してそれを退けようとした……それが罠だとは知らずに。
 後ろに回した右手首を、いきなりがしっと掴まれる。
 
“?!”

 ぐいっと引っ張られた先には……先端をぬめらせた熱い肉の塊があった。
 
 “ひっ!!”

 慌てて手を引っ込めようとしたけど、遅かった。
 あっという間にわたしの右手は、その脈打つ肉塊を握らされ……男の両手がその上から覆いかぶさって、わたしの動きを封じた……そして……男の手がわたし の手を握ったまま、激しく上下に動く……そんなに時間はかからなかった……あたしの手の平一杯に、男の熱い精液が飛び散るまでは。

 ……わたしは次の駅で走って降りた。熱く、今や重くさえ感じられる男の精液を握ったまま。
 そして、ホームに据え付けられていた水道の蛇口をひねると……手を一心不乱に洗った。
 洗っても洗っても……その液体の粘性はまるで糊のように強く、わたしの手から離れようとしない。

 気が付くとわたしは、涙を流していた。
 なんで……?……なんでわたし、こんな目に遭わなきゃなんないの……?

 手からなんとか精液を洗い流しても、手の中からあの液の熱さと粘り気は消えなかった。

 放心状態でホームに立って次の電車を待っていると……ホームに貼られたポスターの文言が目に飛び込んでくる。

『痴漢は犯罪です〜チカン、アカン!』

 わたしは愕然とした。
 そうだ……このポスターがすべてを物語っている。
 男たちは……そう、痴漢をする男たちは……ここまで人の気持ちを踏みにじり、ズタズタに引き裂きかねないこの行為を、『犯罪』だとは自覚していないのだ。
 そうに決まっている。だから……わざわざポスターにあんなことが書いてあるのだ。
 フザケた語呂合わせのコピーと一緒に。


 

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