痴漢環境論
作:西田三郎
■2■当然の権利であるかのように人の尻を揉む男たち
最初に述べたように、わたしがこの境地に至ったのは、まだ高校1年生、16歳のときだ。
それまでにも、わたしは中高一貫の私立学校に通っていたので、満員電車との付き合いに関してはその時点でもう4年目、という結構なベテランだった。
もちろん……わたしは中学部1年生だったときから、通学時間中の痴漢の洗礼を受けていた。
わたしは(今でもそうだが)大人しい女の子だった。
はっきり言って、あまり人付き合いがうまい方ではない。
基本的に、他人の前で自己主張するのが苦手なのだ。
なぜわたしがこんな性格になってしまったのか、といえば親の育て方とか、幼児期のトラウマとか話し出すといろいろあるのだが、そんなのを読まされるのも面倒くさいだろうし、わたしも語るのは面倒くさいのでここでは省略する。
だから……とにかく中学校の三年間は……毎朝のように群がってくる痴漢たちに、好きにさせておくしかなかった。
……激しい屈辱感と、怒りと、恐怖に、じっと唇を噛んで耐えながら……。
というか、まず最初に理解できなかったのは、痴漢の連中はなぜ、見も知らぬ女性の身体を触りたがるのか、ということである。
満員電車に乗り始めたころには、いくら幼かったとはいえ、わたしが男性の眼から充分に性的な対象として見られる可能性がある、ということくらいは意識していた。
しかし、彼らは見るだけではなく、触ってくるのである。
生れて始めて遭ったのは、普通に(というのもヘンだが)スカートの上からお尻を触ってくる痴漢だった。
あの、満員電車の中で、身動きが取れない状態で、誰かの手が自分のお尻に押し付けられており、それが『明確な意志を持って』動き始めたときの戦慄は、今でも忘れられない。
というか、その顔も知らない相手の『意志』が何なのか、いったい何が目的なのか、それがさっぱり理解できないのが、本当に恐ろしかったのを覚えている。
その手は……まだ芯があってふくらみも充分じゃなかったわたしの“こどものお尻”をスカートの上からベタベタと触り続けた……まるで、固い肉をもみほぐそうとでもするように……。
当然、わたしも抵抗した。腰を振って、相手の手から逃れようとした。
当時はそういう抵抗が、よけい痴漢の亢奮を煽るものである、ということは知らなかった。
いや、ふつうは誰だって知らない。
いきなり他人に勝手に自分の身体を触られて、不快に感じない人はいないだろう。
すると、その瞬間に、痴漢はわたしのお尻から手を放した……え、諦めてくれたんだ……よかった……と思ったその瞬間、いきなりスカートの布地越しに、手ではない別のものが押し付けられてきた。
それは、何枚かの布越しだったけれども、わたしのお尻の割れ目にぴったりと収まるように、はっきりと存在していた。それが何であるのか……理解するまで、1分はかかったと思う。
男性器が、性的に亢奮すると、勃起状態になることは小学校から受けている性教育の授業で知っていた。
いや、実を言うとまあ、それ以前から兄が隠し持っていたエロ本の類をこっそり盗み読みしていたので、そこがどういうときにそうなるのか、ということはなんとなく頭ではわかっている気がした。
しかし、当たり前だが布地越しとはいえ、男性の性器の存在を自分の身体で感じたのはこれが初めてである。
何なの、いったい。
当時13歳だったわたしは思った。
いったい、この人、何をどうしたいの。
ってか、この人、わたしのお尻を触って、こんなふうになっちゃった、ってことをわたしに知ってほしいの?
なんで?
なんでそんなこと、わたしが知らなきゃなんないの?
なんとか13歳なりに理性的に物事を整理しようとしたが、どうもうまく物事がまとまらない。
男は縦に、横に、腰を動かし、わたしのお尻にそれを擦り付けてきた。
それがお尻の上でびくびくっ、と息づくたびに、わたしは背中に氷を入れられたみたいな寒気を感じた。
男は次の駅で降りていった……混乱するわたしを電車に残したまま。
屈辱だった。悲しかった。あまりにもおぞましかった。
わたしは、涙こそ出さなかったが、その場に崩れ落ちてしまいそうなくらい、真っ暗な気持になった。
この世にはおぞましい人々がいて、その人たちは好き勝手に他人の身体を触ることを、まるで当然の権利でもあるかのように思っているのだ。
これまで住んでいた世界、わたしが13年間を暮らしてきたこの世界は、当時のわたしにとって……そりゃ、天国で毎日が超ハッピー、ってわけじゃなかった が……それなりに美しく、正しく、公明正大で、他人がいやがることをわざわざ他人にするような人間は……子ども社会では幼さゆえにそういう子たちもいるけ れど……社会のほうから排除され、ルールを守って正しく生きているわたしたちは、そうした被害から何かに守られているものだ、というふに、当時のわたしは 考えていた。
それが、間違いだったのだ。
そんなものは、現実ではなかのだ。
13歳のわたしは悲しくなった。とても心細くなった。
わたしたちは、誰にも守られていない。
その時点で悟ったのは、そんなことだった。
心の底から、寒気を覚えて、わたしは学校の最寄駅のホームで立ち尽くしていた。
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