痴漢環境論
作:西田三郎
■1■ 目を大きく閉じて、浮く、ということ
高校1年生のときだった。
わたしは、毎朝の通学に必ず乗らなければならない満員電車というあの不快な環境に、見事適応する術を身につけた。
どう考えても定員の130パーセントを越えているあのすし詰め感、息苦しさ、他人の吐く息の不快な香り、汗の匂い、ときおり触れる湿った皮膚の 感覚。こ れらはすべて、この大都会で暮らしていくために適応しなければならない『環境』のひとつである。
わたしは当時まだ16歳だったが、それを悟った。何 でも、早いうちに悟っておくと、いいことがあるものだ。
わたしは満員電車の中で、目を閉じる。
そして、呼吸を通常の4分の1くらいの量に減らし、すこし顔を上げる。
そして全身の体重を、周囲の人々の身体に預け、30センチメートルほど“浮 く”。
もちろん、実際に身体を浮かせるわけではない。
意識だけを、浮かせるのだ。
そうすることによって、わたしの肉体は満員電車の閉塞感や不快感から開放される。
けっこうスピリチュアルが入っているような話かもしれないけど、一度でいいから、だまされたと思ってやってみてほしい。
というか、たぶんこれを読んでいる 人の中で、すでにこの方法を実践している人も案外いるのではないだろうか。
現代の都会において、イヤでも慣れなければならないこと、納得できなくても受け入れなければならないことは数多い。排気ガスや、騒音、息苦しい 閉塞感、 朝の歓楽街の腐った食べ物の臭気、マナーのなっていない飼い主に買われた犬が道端に落としていくう んこ。
受験、試験、試験、試験、就職活動、そして毎日の 通勤。ありとあらゆる不快なことに、わたしたちは適応して生きている。
で、わたしがこうした不快なことに対して「慣れる」方法をおぼえることになったきっかけは、満員電車での痴 漢だった。
そりゃあ、わたしにしてみても最初から痴漢に対して平気だったわけではない。
考えてもみてほしい……とくにこれを読んでいるのが男性ならば、考えてみてほしいのだけど……すし詰めの通学電車で動けない状態で、見知らぬ他 人に 身体を勝手に触られるのである……これは、はっきり言って不快というよりも恐 怖に近い。
そして、例えようもない屈辱だ。
なんで、これだけ人がいる中で、よりによって私が??
痴漢に遭ったことのある女性なら誰だってそう感じるはずだ。
わたしが初めて痴漢に遭ったときもそうだった。
どういうこと?
なんで?女子高生で制服着てるから、ってだけの理由で?
ってか、いったいお尻を触って、何がしたいわけ?
当時のわたしは、快速電車に乗って30分のと ころにある、それなりのお嬢さん学校である女子 高に通学していた。
クラスの友達からは何回か『痴漢に遭っちゃった〜』みたいな話を聞いたことがある。『まじキモいよね〜』とか『マジむかつくよね〜』とか、友人 たちはそ のときの気持ちをそういうありきたりな言葉で表現していたが、実際に自分がその被害に遭ってみる、となるとぜんぜん違う。
はっきり言って、あれは恐怖でしかない。
そして屈辱でしかない。
そして、当時は女性専用車両というものは、この世には存在しなかった。
クラスの子たちのなかでそういう『痴漢話』を喜んでしたがる子たちには、自尊心にも人権意識にも意 識の低い、頭のヌルさを感じて仕方が無かった、
だからわたしは、そんな話題に自分から入っていくことは決してなかった。
しかし、いかに朝の電車で気をつけていようと、痴漢の手は雨後の竹の子のようにわたしたちの身体に群がってくる。
そして、わたしたち学生は、よほど勇気 がある子以外は、そうしたわけのわからない男たちに対して、『や めてくださ い』とはっきり意思表明することができない。
『そんなの、“やめてください”っていえば済む話じゃないか』
そんなふうに思われる方々もいるかと思うので、わたしがこの『痴漢環境論』を持つに至った経緯について述べておきたい。
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