青ひげ
作:西田三郎
「第5話」
■ グリグリ
「あっ……」ちょん、と青山の棒がわたしの肩甲骨の間に触れる。
「ちょっとだけ、ほんのちょっと痛いかも知れませんけど、我慢してくださいね」青山の声はまるで遠くの、高いところから聞こえてくるようだった。
「……んっ……いっ………」ぐぐぐ……。
丸く尖った棒の先が、左の肩甲骨の輪郭をなぞるように滑っていく。
わたしは机に突っ伏したまま、ぎゅっと目を閉じた。
な、なんだか知らないけど、青山は棒の先で何か重要なポイントを探しているらしい。
さ、さ、探してるって……実に、本当に、妙な気分だった。
「くっ……」思わずぴくん、と肩を震わせてしまった。
青山の持つ棒の先が、肩甲骨の下あたりの一極に触れたのだ。
かすかな痛みが背中全体をかけめぐり……な、なんだか知らないけれどもその痛みは痺れになって、わたしのおっぱいのあたりまで広がっていった。
「ここですか?……ああ、ここですね〜」クリクリと棒の先を動かす青山。「んんっ……くっ……ちょ、ちょっと……ちょっと痛い……」
痺れのせいで思わず背中を逃がそうとする。
と青山の手が自然に伸びてきて、わたしの左脇腹をそっと押さえた。「あっ……」ぞくり、と別の感覚が躰を襲う。
「だめですよ。動いちゃ……動くと痛いですよ。じっとしててください」
何なの。これはかなりヘンだ。
今、このオフィスはわたしと青山のふたりきり。
で、青山はわたしの背中に何かを押し当て、しかも脇腹を押さえつけている。こ、これってかなりマズくない……?いや、ぜんぜんマズくないはずだ。そういうことをいやらしいと考えるわたしのほうがいやらしいのだ。「こことかどうですか?……ええっと……このへん」
青山の棒の先が、肩甲骨のポイントを外れて、背骨の方に移動した。
「えっ……その………」“もっとそのへん……”と言いかけた言葉を慌てて飲み込んだ。
しかし、狼狽するヒマさえ与えず……今度は青山の棒が脊椎の関節のうちのどれかを捉える。
ビリビリビリッ……と背骨に電流が流れる。「あっ……うっ………くっ………」
「大丈夫ですか?……けっこう痺れるでしょう。このへん?」
「……んんんっ……そ、そこ……そこ結構やばいかも」
「……ああ、このへんですね……ほら、ここでしょう……?」
「ひっ……あっ、うっ……くううっ………」一体……会社の中でどんな声だしてんだわたし。
ってか、一体この会話は何?
これって……端から聞くとまるでその…………いきなり、青山の棒の先がわたしの腰の少し右上あたりを強く押した。
「い、い、痛いっ………うううっ!!!」
一瞬、目の前が白くなる。押された背中の右側とは反対の左腕全体に、じーんと痺れが広がり……まったく感覚がなくなった。頬の筋肉がひきつり、耳の中がゆっくり暖かくなる……痛いんだか気持ちいいんだか、今となってはぜんぜんわからならい。「ここでしょう?……このへんね〜……この季節、女性は冷房で身体が冷えますからね〜……単に肩や腰が凝るっていうわけじゃないんですよ……筋肉の凝りは、内臓が弱っていることの現われなんです。あれですか?……川辺さん。ちゃんとご飯とかって食べてますか?」
「な、なに?……何、ごはんって………」わたしは息も絶え絶えだった。
「ご飯ですよ、ご飯。白いご飯」青山が暢気な調子で言う「……ご飯を食べないとだめですよ。ご飯は躰に熱を与えますからね〜……あんまり食べてないでしょ、ご飯。」
そ、そ、そういえば……確かに最近、家でご飯を炊くことは少ない。つい面倒くさくて……って、一体わたしはなんでこんな奴の講釈をマジメに聞いてるんだ。
何なの?こいつ?医者でもプロの鍼灸師でも指圧師でもないクセに。「あっ……うっ………くっ………」
また棒の先が背骨を這い上がっていく。
どこかをぐりぐりと責められているときは、そりゃあもう頭がくらくらするくらい激しい感覚に襲われるのだけど……それよりもこうやって、背中の中のどこかのポイントを探すように棒の先が背中を這っている時間のほうが、ずっといかがわしかった。
さ、さ、探されてる……
そう思うだけで、なぜか机の下でつま先を踏ん張り、脹脛の筋肉がパンパンに貼るのを感じる。おかしい、ぜったいこれはおかしいわ。
こんなことしてちゃいけない、一気に背を起こそうとしたときに、青山の棒が左の腎臓の下あたりのポイントを突いた。「くうううっ!!!!」
おもわず机の上に突っ伏した頭がパソコンのキーボードに当たる。
「だ、大丈夫ですか?……そんなに痛かったですか……?」
「痛い……すっごく痛いそこ……だ、だ、だめだよ」
「ここが痛いということは、川辺さん相当……身体に“冷え”が溜まっています。さっきも言いましたように、身体の冷えは恐ろしいんですよ。たんに肩こりや腰痛の原因となるだけではなく、眼精疲労や偏頭痛、さらには生理不順の原因にも………」
せ、生理不順って……。得々と青山のホントなんだかウソなんだかよくわからない講釈は続いた。その間も彼は棒の先を使ってわたしの背中のいたるところを突きまくることをやめない。わたしの爪が空しくデスクマットの上を掻く。
な、なんなのこれ。なんでわたしこんなことになってんの?「……ほら、身体全体があったかくなってきたでしょう?……言いましたよね、痛いのは最初だけだって……だんだん眠くなってきません?」
「あ、……てか……も、もうやめて………許して……」ちょっと待ってよ。だからなんでこんな……なんというかやらしい受け答えになっちゃうのよ。それでも現に……青山に言われたとおりにわたしの全身はぽかぽかと暖かくなり……次にまるで覆いをかけられるような眠気が襲ってきた。ま、まずい……ほんとにまずい、このままじゃ……。
「もういい!!……もういいから!!」
わたしは最後の力を振り絞って椅子から立ち上がった。
立ち上がると同時に立ちくらみが襲ってきて、またへなへなと椅子に座り込んでしまう。「……大丈夫ですか?」青山が心配そうに……本当に心から心配そうにわたしの顔を覗き込んでいた。「……すみません、ちょっと僕、張り切りすぎちゃいましたかねえ?」
「んん………」思いっきり横っ面を張ってやりたくなった。しかし……彼はわたしに何もいやらしいことはしていない。
わたしの背中に、マッサージを施しただけだ。「あ、ありがとう……な、なんか身体が軽くなったよ……青山君、マッサージ上手いね………」
自分のブラウスの胸が大きく息づいているのに気づき、慌てて猫背になってそれを隠した。
「……こんなんで良かったらいつでも言ってください。タダですから」青山は笑顔を見せると、そのままあの“マッサージ棒”を手に、自分の席に戻っていった。
わたしは慌てて自分の机を片付けると、青山に“お先に”も言わずオフィスを飛び出した。そのまま駆け足で女子トイレに駆け込んだ濡れてたかって?……ええ、濡れてたよ。文句ある?
<つづく>
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