愛の這ったあと
ある寝取られ男の記憶の系譜作:西田三郎
■8 『わたしのセックスフレンドだというその女に会った』
「けだもの!マジけだもの!!」
そう言いながら女は狭いボックス席で美しい、少し筋肉質な長い脚を窮屈そうに曲げて……とても美しい脚だったが非常にだらしなくもあった……けらけらと電話口とまったく同じ調子で笑い転げた。
「あんた、いっぺんマジで医者にいったほうがいいんじゃない?……いやホント、完全にあんたはセックス中毒!絶対そうだって!!!……なんなの?子供のころ、近所のおじさんににやーらしいいたずらとかされた記憶とかトラウマとか、そーいうのない?………きゃはは!!!」
妻のことと同じく、そのことに関してはまったく記憶がない。たぶん、女の邪推だろう。わたしは調子を合わせて大笑いしていた。女は8杯目の生ビールを、わたしは2杯目の生ビールにかかっていた。 ひとしきり笑った後、女はくしゃくしゃにパーマを当てた長い前髪を挙げて、タバコをくわえ、火をつけた。目の周りの黒いシャドウが、女の狂気じみた……決して大げさに言ってるんじゃない……まなざしをさらに危険なものに見せた。鼻筋は通っていて、薄い唇。少し骨ばった雰囲気だが、女は相当な美人だった。でもその顔のつくりの美しさや、身体の美しさ……女の身長は軽く170を越えていて、その四肢はのびやかで、生き生きとしている……を、彼女自身は意思のすべてを賭けて、全力で否定しているようだった。いまどきめずらしい派手なスパイラル風の髪に、赤いフェイクレザーのジャケット。ボロ雑巾のようにカットオフされたデニムのショートパンツ。長い脚は、皮膚病のようなぞっとするグロテスクな柄のタイツに包まれていた。両足には重そうなエンジニアブーツ。そして顔は目の周りを真っ黒に塗った気狂いピエロのようなメイク。これほど美しい女でも、ここまで気合を入れて自分の魅力を否定していれば、街を歩いても声をかけてくる男はそうそういないだろう。そのために、わざとこんな過激ないでたちをしているのだろうか?……そういうことも、充分にあり得る。
1時間前、この居酒屋……『きたむら』で出会ったとき、わたしは椅子の上でくねくねしながら大笑いで手を振っているのが“誰”なのか、ということよりもむしろ“何”なのか、という点において戸惑った。
この女が、俺のセックスフレンドだって……?……冗談じゃないぜ!!
しかし、気を取り直して女と向かい合って座り、落ち着いて女の話に耳を傾けた。いや、女はべろべろに酔っ払っていて、ほとんど話すことは意味をなしていなかった。酔っ払っているせいなのか、それとも単に女がもともと頭がおかしいのか、どっちなのかはわからない。だから、女の話に耳を傾けるふりをしながら、女のことをじっくりと観察した。女のしゃべり方は下品きわまりないものだった。目は斜視なのか、左右がどこか別々の方向を向いている。わたしに対してしゃべっているのか、単に大声で独り言を言っているのかもわからない。しかし、女の前にいるとほっと安心した。
なぜなら、女は自分自身の狂気に囚われていて、わたしの狂気は放っておかれるから。
そう思うと、ひどく安らいだ。そして女が、とても美しい女であることにゆっくりと気づいていった。もちろん、ビールの酔いのせいもあるかも知れないが。
女に軽口を利く余裕も出てきた。
「ねえ」わたしは言った。酔ったふりをして。「おれのどこがいいの?」
「ちんぽ」女は答えた。「それ以外あんた、なんか取り得あんの?」キャハハ、と女が笑う。
「ちんぽ以外では、どこが気に入ったの?なんでおれと、セックスしてみようと思ったの?……」なにせ、こちらには記憶がない。「……服着てたら、ちんぽが大きいかどうかわかんないじゃん」
「大きいなんて言ってないって。何勘違いしてんの?何調子乗ってんの?」また、キャハハ、と笑う女。「……あんたのちんぽ、可愛いの。かわいくてかわいくて、しょうがないの。あんたと一緒」
「小さいってことか?」ちょっとムカっときた。つくづくアホらしいとは思うが。
「そうじゃないでしょ!!」女がまた大笑いする。「男ってアホだよね。ほんっとアホ。小さいとか大きいとか、ほんっっっとそんなことばっか。中学生から70越したじーさんまで、みーーーんなおんなじこと言うんだもん。笑っちゃうよね」
「交友範囲が広いな……」
「あんたに言われたかないよ。女となれば見境なしのクセして。ってか、穴があったら入れずにおれない、って感じ〜???」
女はけらけらと笑いながら、エメラルドグリーンの上に銀色の藤壺がぎっしりと乗ったような細工をしたネイルの指先でわたしの鼻をつん、とつついた。魔法にかけられたような気分だった。
「ところで……カワイイ、ってどういう意味?サイズじゃないっ、ってどういうこと?」
「素直だもん」
「素直?」これは意外な答えだった。なぜなら、自分の性格はわかっているつもりだったから。
「そうだよ。ちょっとさわったら、すぐ固くなって、ギンギンになっちゃうんだもん。メチャクチャ素直だよ。だいたい男の人その人の性格って、ちんぽに出るんだよね。ひねくれて屁理屈の多いやつのちんぽは、いざってときになんだかんだいって役に立たなかったりする。怒りっぽいやつのちんぽは、ムダに固い。なにがしたいのかよくわかんない、何を言いたいんだかよくわかんない男のちんぽは、ビミョーな固さだったりする。その点、あんたのちんぽは素直でかわいげがあるよ」
「そういう……もんかな」なかなか、聞き応えのある話だった。
「……そういうもんだって!」女は自信たっぷりだ。「それで、それにひっついてるあんたは、ちんぽの性格そのままに、素直でかわいい。だからセックスしようと思ったんだよ」
「おれの本体は、ちんぽにくっついてるのか」
「そうだよ」その頃には、わたしもすでに6杯目のビールにかかっていた。素面ならぜったいカンに触るであろう、女の怪鳥のようなけたたましい笑い声が、妙に心地よかった。そうか。なるほど。わたしはそういう男だったのか。わたしの中にあった自己像に対するこだわりは、どこかになりを潜めていた。自分のちんぽのように、快楽に素直で、肉欲に敏感な、かわいらしい男、それでいいじゃないか。とても愉快な気分になってきた。
「で、あたしのかわいいちんぽちゃんは元気?」女がどこを見てるかわからない目を近づけてきて、言った「……今日はだいぶ飲んでるみたいだけど、だいじょうぶ?」
「どーだかね」酔ったわたしは正直だった。
「何?またどっかでムダ撃ちしてきたのお〜?」女が、ぷっと膨れた。少女のようでかわいい。
「ああ、さっき嫁さんに3発ぶち込んできたよ」
「ええーーーっ??」さすがの女も、たまげたようだ。「マジ??仕事じゃなかったの???」
「ああ、家で妻と」そう、妻だという女と。「ハメまくってきたっての!!!ひいひいよがり狂ってやがったぜ!!まったくわが嫁ながら、最低の女だよな。3発とも中出しだっての!!!ざまあねえぜ!!!」
「さいっってーーー!!!」女は笑い転げた「おめでとう!!!お父さん!!!」
「サンキュー!!!」
ジョッキが割れんばかりの乾杯をして、その後何杯かずつ飲んで、女と店を出た。
もちろん、ラブホテルを目指した。
べろんべろんの状態で嗅ぐ、ラブホテル街の石鹸の匂いは妙に清潔だった。
適当なホテルを選んで入った。しまった。また、この女も、名前を聞いておくのを忘れた。まあ、いいか。
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