愛の這ったあと
ある寝取られ男の記憶の系譜

作:西田三郎




■5 『女はわたしの妻だという。そしてわたしがろくでなしだと言う』


  部屋に戻るとその見知らぬ女は、まだベッドの上で泣いていた。
  いつの間にか、少し小さめのTシャツだけを着ている。裸でいたときよりも、張り出した胸の圧迫感が高まっていた。わたしは自動的に……さっき駅でわたしを気遣ってくれたミニスカートの女子大生の胸を思い出した。あれより攻撃的な乳だった。そして、シャツの丈は短すぎた。なんとか下半身が隠れて、横すわりになった脚がベッドに投げ出されていた。肉が適度についた、長くて、健康的な脚だった。
 
  それを見てわたしは、やはり少し欲情した。やはり、どうかしているのだろうか?

 「……ホントなんでしょ……」女が俺を見て言った。
  髪をかきあげたのか、今度は女の両目が見えた。ぱっちりとした、大きな目だった。さっきより少し、賢そうな顔に見えた。分厚い唇さえなければ、上品な顔立ちの美人だろう。
  「……何か?」自分の声はかなり疲れていた。
  「……あのヒトの奥さんとようちゃん、ヤッたんでしょ?」
  「いや、知らない。というか、あの男なんか、会ったこともない。それに………」

 “俺は君のことも知らない。一体わたしの本物の妻はどこに行ったんだ?”という、今の状況の自分からしてみれば言葉にしてもまったく問題のない至極まっとうな台詞を、わたしはすんでのところでぐっと飲み込んだ。そしてそのまま、妻……だと言っている女が座っているベッドに腰をかけた。
 
  「……いや、ほんとうに知らない。あの男が誰なのかも……」
  「え………あの人は………」女がぽかん、と口を空けた。厚い唇のせいで、ぽかんと開けると一気に痴呆的な表情になる。その顔はなかなか新鮮で魅力的だった「………あの人は……近所の人だよ」
  「えっ????」
  「ほら」女がベッドから膝で立ち上がり、窓を指差した。
  伸び上がったせいで、女の豊かな尻と、いまだ濡れたままの内腿が見えた。ぴくん、とまた股間が反応する。 
  まあ、それはいいとして、女が指差す方向を見た。
  がらんとした空き地ばかりの町内のだいぶ向こうに、緑色の屋根の2階建が見えた。
  家から、500メートルも離れていない。確かに………今はあの趣味の悪い色の車がその家の前に停まっていた。この距離で、あの男はわざわざ車を使ってやってきたのか?……わたしは呆れた。
 
  「……あの家に住んでる?あいつが?」
  「……よーちゃん、おかしいよ」女がぷっと頬をふくらまして、唇を尖らした。この見知らぬ女のことが、好きになりそうだった。「まだ、とぼけるの?……あの人の奥さんとヤったんでしょ?……あの人の奥さんだけじゃないよね。ほかでも、いっぱい、外で浮気しまくってるよね?」
  「……俺が?」まさに、マヌケの顔そのものだったことだろう。「……冗談だろ?……ってか………」
  (そもそもあんたは、俺の女房じゃないじゃないか)俺は心の中だけでそうつぶやいた。でもやはり、口にしなかった。そのころには、もはやわたしはわたし自身の頭を疑い始めていた。
  「……そうでしょ?……これまでだってそうだったじゃん……ついにこういうことになっちゃった、ってことでしょ?……ねえ、わたしの何が不満なの?……」
 
  わたしは女を見た。
  肩までの髪はくしゃくしゃに乱れていた。あの男に激しく乱されたのだろう。目は泣きすぎて、少し腫れていた。声はかすれていた。泣いているせいだろうか、あの男とこのベッドで……いま、わたしと一緒に座っているこのベッドではげしく楽しみすぎて、泣き声を張り上げすぎたせいだろうか。この家がまるごと揺れるような、あの獣じみた声を。ヘネシーグレイのTシャツの布を強引に持ち上げる、女の豊かな二つの胸が息づいている。その上に、こぼれた涙が数個のしみを作っていた。涙のしみだろうか?それともその類の液のしみなのだろうか……頭がごちゃごちゃになっていく……今、考えるべきことと、そうではないことの優先順位がまったくつかない……この女は、自分のことをわたしの妻だという。そしてわたしが、妻である自分をずっと裏切ってきた、という。
  外で幾人もの女と、わたしが不適切な関係を続け、彼女の心を傷つけ続けてきた、という。
 
  頭はますます混乱してきた。一度、落ち着いて真っ白に清算する必要がある。
  そうしようとしていたら、不意に女が言った。

「わたしのこと、愛してるの?
 
  もう一度、女を見た。
  その途方にくれた子供のような表情に、泣きはらした目に、ぽかんと開かれた唇に、わたしは一瞬にして恋に落ちた。いや、「恋に落ちた」なんていう表現はキレイすぎる。あまりにもキレイごとだ。ああ、わたしは女の張り詰めたTシャツの胸に欲情した。その上の数滴の涙(?)の染みに欲情した。乱された長い髪に欲情した。むき出しになっていまだにうっすら上気しているTシャツのすそから伸びる質感のある太股、その脇に左右に投げ出された長い脛に欲情した。少女のように指先を丸めている素足にも。
  そして何よりも、この女の見知らぬ体臭に。
  その体臭が、先ほどまでこのベッドの上でこの女と激しくまぐわっていた、あの頭の薄い腹の出た小男の饐えた体臭と交じり合っているこの空間に。

  「愛しているよ」わたしは言った。そして女を、ベッドに押し倒した。
  「きゃっ!!!

 女の身体に乗っかった感触は、充分にやわらかく、熱く、じっとりと湿っていた。
  わたしの身体を押し返してくるちょうどいい肉の貼りが心地よかった。
  女の顔を見ると、目を見開いて“信じられない……”という顔をしている。

  「ほら」
  「あっ」

 女の左手首を握って、自分のズボンの股間前に導いて、その手のひらをこすりつけさせた。すでにズボンの上からはっきりわかるほど、充分な固さになっているだろう。女の手が、ビクッと反応した。これは、この状況では、完全にいかれている行為だ。それに戸惑っているのだろう。わたしはその戸惑いに、また欲情した。……俺の記憶のなかにある妻に……結婚するずっと前のデートの途中にはじめて、暗がりで同じことをしたときのことを思い出した。ますます固くなって、一瞬頭がクラッとした。

  「愛してるよ。ほら、固いだろ。カッチンカッチンだろ」
  「し、信じらんないっ!!!…………」明らかな嫌悪が、自称“妻”の顔にありありと広がっていく。「な、なに考えてんの??……マジ??………この状況で、この空気で、一体どうするつもりよっっ!!」
  「つ、続きをするんだよ」わたしは出来るだけ下卑た声で言った「……さっき、ちゃんとイけなかったんだろ?……悪かったなあ………邪魔を入れちまって。このままじゃ、収まりがつかねーんじゃないかと思ってさ」
  「バ、バカじゃない?……ホント………頭おかしいんじゃない???………あっ、んんんっ!!!」

  やかましいので、女の顎を掴んで、むさぼるようにその唇に吸い付いた。
  女は最初、イヤイヤをするように顔を左右に振って逃れようとしたが、口の中でなんとか舌を追いかけて、追い詰めて、絡め取って、口の中の唾液を吸い上げた。
  「んんっ……」女の手を掴んでいないほうの左手で、握りつぶすように豊かな乳房を掴んで、こねた。「ぷはっ!!……やっ!!……いやっ……」

 だいぶ女の目つきが熱っぽくなてきたので、女の手首を開放し、神業級のすばやさでズボンのジッパーを下げ、これ以上ないというくらい固くなり、すでに先端を濡らしている陰茎を引きずり出した。そして、また女の左手首を掴まえ、生の肉の上に被せて、握らせた。

 「ひっ………あっ…………」女が、信じられない、と言う顔で自分が握らされた陰茎の状態を見て、次にわたしの顔をぽかんとして見上げる「す、すごい………ど、どうなってんの………」
  「愛してるんだよ。ほら、わかるだろ?……さっき聞いたじゃん。愛してるかって。ほら、愛してるよ」
  「きゃああっ!!」

 女の手を解放して、ほとんど引きちぎらん勢いでTシャツを脱がした。
  丸めたTシャツを部屋の隅に放り投げて……今やまた、わたしの手で全裸に剥かれ、ベッドの上に大の字になった女の身体を見下ろす。また、陰茎がびくん、びくん、と二段階ほど固くなった。
 
  女の身体がベッド上で息づいていた。見上げる目には、軽蔑と嫌悪と興奮が入り混じっていた。
 「最っ…………低…………」

 女が言った。ますます興奮を煽れらて、わたしは女の身体に飛び込んだ。

 

 

 

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