愛の這ったあと
ある寝取られ男の記憶の系譜

作:西田三郎




■3  『家に帰ると、知らない男女が寝室でセックスをしていた』



  ここからはまあ、よくある話だ。いやというほどありふれた話。
  ドアを静かに開けると、2階の寝室から、信じられないくらい野太い女の声が家中に響きわたっていた。

 「んっっっっああああっっ!!そっ、そこ、そこっ……そこ、良すぎ……だ、だめえっっっ!!」

  ギシギシベッドが揺れる音がする。家全体が揺れてるようにさえ感じられた。
  ぺっちん、ぺっちん、とやわらかい肉がぶつかりあう音。
  絶え間ない嗚咽。ほとんど泣き声みたいな声だ。
 
  「どうりゃ!そうりゃっ!うらっ!!ほらっっ!!」

 いかにも頭の悪そうな男の声がした。いちいち掛け声をかけながら、突くタイプなんだろう。
  そのリズムに合わせて、ほとんど擦り切れてさえいる女の声が応える

 「んあっ!!………めちゃ………いい……ああああっだめっっ!!………そこっっ!!

  俺は玄関に棒立ちになったまま、思わず笑ってしまった。
  苦笑いとか、自嘲の笑いとか、そういうものではなく、ほんとうに可笑しくて笑っていた。まるでコントみたいな状況だとしか思えなかった。俺はこっそり靴を脱ぐと、玄関に置いてあったビニール傘を手に、2階に続く階段をしのび足で登った。

  「うりゃっ!!どうじゃっ!!ほれっっ!!おうらっっ!!」
  「あうっっ!!んはっっ!!だめっっ!!もうだめっっ!!」

 いやあしかし、これが妻の声とは思えない。

  ……傘を手に階段を静かに登りながら、わたしは首を傾げた。相変わらず、妻の名前は思い出せないが、いくらなんでも、妻はわたしとのセックスで、あんなふうに野獣じみた悶え声を出したことはない。いや、名前が思い出せないついでに、セックスのときの妻の様子も思い出せない状態になってるんだろうか……?どうも腑に落ちなかった。階段を上がりきると、寝室のドアはしっかり閉じられているのに、妻と……見知らぬ間男の声は廊下中に響き渡っていた。というか、廊下全体が揺れていた。明かり取りの天窓のガラスも震えていた。
  いや、大げさに言ってるんじゃない。ほんとうにそうだったんだ。

 ドアの前まで来て、ノブに手を掛ける。

  「ほうれっっ!!イケや!!イカんかい!!」はじめて男が人間らしい言葉を発した。関西系らしい「……何回イくんじゃ!!ほら、とっととまたイキさらせこの淫売!!
  「……もうっっ!!もうっっ!!もうっっ許してっ…絶対、絶対ムリっっ!!!んあああっっ!!」

  息も絶え絶えの……俺の知ってる妻の声よりずっとハスキーなその声が応える。
  絶好のタイミングだったので、俺は傘を手に、“バーーーーーン!!”とドアを開けた。
  頭の中で、“バーーーーン!!”と効果音が鳴り響いた。

 「はうっっ??」

 まず目に入ってきたのは、緩んだ吹き出物だらけの汚いケツだった。男はベッドの上で、膝立ちになってわたしにケツを向けていた。わたしの場所からは、その前で這いつくばって男に尻を差し出している妻の顔は見えない。
  ビクッと……その女の……いや、あれはわたしの妻のはずだ……肩が震えた。しかし、わたしにはその女がどうも自分の妻には見えなかった。

 男がずるり、と妻の尻の間から陰茎を引き抜いてわたしにふりかえった。
  ケツ以上に、醜い顔がわたしを見る。生白い肌をした、頭の薄い男だった。口がぱっくりと開き、たるんだ顎にさらに深い層が刻まれる。腫れぼったい目はかっと見開かれ、だらしなく垂れ下がった分厚いくちびるには涎のしずくが見えた。

 「……あ……あっ??」

 男の下半身もこっちに向いた。
  そこに……反り返り、赤黒く充血した陰茎が見える。亀頭は丸く、白い粘液でぬらぬらと光っていた。
  わたしは、男の浅ましく大きく膨張し、反り返っている陰茎を凝視してしまった。ところどころ白髪がまじった陰毛は、半透明の粘液でぐっしょりと濡れ、まるでもずくのように固まっていた。 
  男は慌てている。いや、それは痛いくらいにわかった。でも、陰茎はびくん、びくん、と律動を繰り返し、先端から透明な液を滴らせていた。
 
  わたしは傘を……先のほうを上にして、握り締めている。
  しばらく、反り返ったまま、男の呼吸に合わせてゆれる男の陰茎と、無言でにらめっこを続けた。

  あまりにも男の陰茎を凝視していたので、女は……いや、わたしの妻は……その隙にシーツをかぶって猫のように丸まってしまった。男の陰茎の向こうに、シーツに包まった肉の塊が……わたしの妻だ……シーツの中で妻は、ガタガタと震えている。

  「………あ………う………」男が何か言おうとした。
  「あんたは……」自分の声が、金属的に軋んでいた。「……あんたは誰だ?」
  「は??」男はさらに分厚い唇を垂れ下げて言う「な、何だって?

  男の視線は……わたし自身しばらくその存在を忘れていたが……わたしの手の中にある、傘の先端を見ていた。見る見る、張り詰めていた陰茎がしぼんでいく。花が枯れていく様子を、高速再生しているようだった。というのは、少し比喩が美しすぎるかもしれない……ナスが腐って干からびていくのを高速再生しているようだった、に言い換えよう。

  「……あんたは誰だ。ここで何してる。いや、何してるかはわかるけど、おれが聞きたいのはつまり……あんたが誰か、で、そのあんたがわたしの妻と、わたしの家で、わたしの、いやわたしたちの寝室で何をしてるのか、ってことだ……さあ」わたしは傘の先を男に突き出した「答えてもらおうか。あんたは一体誰だ?」
  「……マジで言ってんのか?……ええ?……おれが誰かだって??」男は青くなりながら、信じられない、という顔つきでわたしに言った「……おれのことを知らないだって??よくそんなことが言えたもんだな!!」
 
  男は標準語でそう言い放った。セックスのときだけ、関西弁になるタイプのようだった。

 一瞬、気圧されてしまった。男は……全裸で、ダブついた腹としぼんた陰茎をさらけ出し、ベッドで膝立ち、というこれ以上ないというくらい情けない姿で……わたしに大して抗議口調でモノを言っている。わたしはそこではじめて怒りを感じた。と同時に、男の様子があまりにも可笑しくて笑いそうになった。と同時に、本気でこのまま、この傘で男の目をエグッてやろうかとさえ思った。

  「……よくもまあとぼけられたもんだな!!このスケコマシ野郎が!!」男が叫んだ。
  「はあ?」こんなに理不尽な話はない。コマされているのはわたしの妻だ「何言ってんだ?」
  「……気持ちがわかっただろ??これであんたにも、わたしの気持ちがわかっただろ??ああん?どうだ?………どんな気がする??ええ??テメエの女房をヤられて、どんな気がする???」

 男はあまりに興奮しすぎたのか、今はもうすでにだらしなく垂れ下がった陰茎を、みっともない腹とともにぶんぶん揺すりながら、わけのわからないことをほざいてくる。まるで、わたしの傘に対抗して、チンコを振り回すことで牽制しているようにさえ思えた。
 
  それにしてもわけがわからない。
  わたしの頭は激しく混乱していた。……が、とにかくまあ、この男は頭がいかれている。でなければ、わたしが悪い夢を見ているかのどっちかだ。夢の中なら、わたしはどうするか?とりあえず面倒くさいことは脇にうっちゃっておいて、先に進む。まあ、夢の中だろうと外だろうと、わたしの行動にはそんなに変わりはないが。

 わたしは傘を手にしたまま、前に踏み出した。男がビクッと身体を緊張させる。だらしない腹がぶよん、と揺れて、陰茎がぶらん、と横に振られた。わたしはそのままベッドに上がると、男を脇に突き飛ばした。

 「わあっ」

 男はドスン、とベッドから床に落ちる。大股を開いて。ちらりと見ると、毛に覆われた男の肛門が……その周りをびっしりと覆った毛さえ、白濁した液にまみれて絡まっているのが見えた。思わず目をそむけた。
  そして、傘をベッドの上に投げ出すと、ガタガタと震えているシーツの塊をむんずと掴み、一気に引き剥がした。

 その下に現れたのは……なんとまあ、どういうことだ。
  わたしの妻ではなかった。

 

 

 

 

 

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