2×2 作:西田三郎
■そもそも
あの日、公園で初めての性交を果たして以来、直紀と千晴はまるで取り憑かれたようにお互いの躰を求めた。
人気が無く、潜り込めそうで、声が漏れ無そうな空間を見つけたら、決まって二人はそこにしけ込み、お互いの躰をいじり合った。階段の下、公衆便所の個室、ガレージ、体育用具室、工事現場…およそ考え得る全ての人気のない場所で、二人はキスをして、躰をまさぐり、可能であるならそのまま性交に至った。
学校で二人の関係を知る者はなかった。学校では、二人は相変わらずウサギ小屋の掃除で顔を合わせるだけだった。直接口を効くこともない。一緒にウサギの世話をしているときでさえ、お互い口を効くことはなかった。二人が口を効くのは下校のときだけ。しかしその時間のほとんどはお互いの躰を触りあったりセックスしたりすることに費やしていたので、それほどたくさんの話をしたわけでもない。はじめて口を効いたあの日、お互いのことをいろいろ話したが、それ以来はそれほど話す話題も無くなっていた。
千晴はそれ以上のことを求めなかったし、直紀もそれ以上のものは欲しくもなかった。
恋愛というものが一般的にどういうものなのかは直紀にはよくわからなかった。同級生にも何組かカップルを作っているものも居たが、それらと自分たちを比べて考えてみたこともない。今の千晴との関係が恋愛と呼べるものなのかどうかも、それもよく判らない。頭で考えてもさっぱり判らないが、千晴と二人でする様々な行為が、快感をもたらし、その間は全てを忘れることができるということは確かだった。
そんな状態が3ヶ月続いた。
その日の下校時も、二人はシケ込むのに絶好の場所を見つけた。昨年取り壊されたビルの跡地に作られた無人駐車場の奥に、人1人入り込むのがやっとの建物の隙間があった。もともと人通りの少ない場所である上、ちょうどその建物の隙間を軽のバンが塞ぎ、死角を作っている。車体全体に下手くそな極彩色の花や虹のペインティングが施された不気味な車だったが、その時の二人には些細な問題だった。
狭い路地の中で、千晴は壁に手を付き、腰を突き出して直紀を迎え入れた。
直紀は立ったままの姿勢で、激しく千晴を突き上げた。
千晴はいつものように、手の甲を噛んで必死に声を堪えていた。
思えば、いつもこんな態勢で性交しているような気がする。
充分なスペースがない場所で性交しようとすると、どうしてもこういう態勢になってしまうのだ。二人はまだホテルなどに行くには歳が若すぎるし、お互いの家に上がり込むことも出来ないので、まともな場所でセックスしたことがない。それどころか、性交するときはいつもこのように半分服を着たままだ。直紀も千晴も、お互いの全裸の姿を見たことがない。
立ちバックでの半裸性交、それが二人のセックスの全てだった。
射精する寸前、慌てて陰茎を千晴から抜くと、地面に向かってしたたかに出した。
しばらく二人は剥き出しになった下半身を仕舞う気力もなく、肩で息をしていた。
やがて、千晴が口を開いた。
「…ねえ…赤ちゃん堕ろすのって、いくらかかんのかな…?」
「え?」直紀は思わず顔を上げた。
「うん、知ってる?…堕胎にいくらお金かかんのか」
「何…」直紀はズボンも上げずに立ちつくした。「何だって?」
「…先月から、ないんだ。生理が」千晴が下着を上げながら言う。その声に抑揚は無かった。
「…あの…何言ってんだ?」
「妊娠したんじゃないかな」
直紀の目の前が、一瞬暗くなった。
「…妊娠?」
「…そう、妊娠」
「…だって…」直紀は思わず千晴に詰め寄っていた。「…だって、ずっと、ちゃんと、外に出してたじゃないか!」
千晴は直紀を振り返って言った。冷たい目だった。
「だって1回目、中に出したじゃん」
「でも、3ヶ月も前だろ?」直紀はあんぐりと口を開いた。
「…そんで、先々週も中で出したじゃん」
「…でも、あの時は中で出していいっていったじゃないか!」
「…あたしだって機械じゃないんだからさ、計算どおりにいかないこともあんのよ。学校で習わなかった?…コンドームしてたって、カンペキじゃないんだから」
「…おい、待てよ!そんなのアリかよ!」
「…あたしのせいだって言うの?…あんただって、あたしにあんなに出して、気持ち良かったんでしょ。それで、文句言えるわけ?」
「…でも…出していいっていうから…」
千晴はまた直紀の顔を見た。いつもよりずっと冷たい目つきだった。
「…お金、いくらある?10万あったら足りると思うんだけど」と千晴。なんとなく、その声はため息混じりだった。「…あたし、4万くらいだったらあるけど」
「…冗談じゃないよ!6万なんて金、ないよ!」
「…あのさ、堕胎手術で痛い目にあうのはあたしなんだからさ、もうちょっと、思いやりもってよ」
「…うるさい!あんとき“中で出して!”って言ったのは、君じゃないか!」
千晴が直紀を見る目がますます冷ややかなものになる。千晴はこれみよがしに深いため息を吐いた。
「…あんた、やっぱり、ダメだね」言いながら千晴は直紀から目を背けた。「…女とやる資格なんてないよ。…また、前みたいに男二人にイかされてたら?…どっちかいうと、そっちが趣味なんでしょ」
「…何?」
「…あたしとヤッてるときだってさ、あの時のこと思い出してたんでしょ…ね?…そうでしょ」
気がつくと直紀は千晴の横顔を張っていた。
思わず人に手を挙げたことなど、これまでの直紀の人生にはなかった。そんな自分の行動に驚く間もなく、千晴の拳がずん、と直紀の鳩尾にめり込んだ。思わず息が止まった。まだ上げていなかったズボンが足首でからまり、直紀は前方向に倒れた。
「…セックスも下手で、マゾで、変態のくせに何よ!」千晴が叫んだ「…6万、出しなさいよ!」
「…ねえよ!そんな金!産めよ!産んじまえよ!ほんとうにそれはオレの子なのかよ!このインラン!ヤリマン!変態女!」直紀も喚いていた。
うずくまっていた直紀の顔に、千晴の蹴りが炸裂した。直紀は横倒しに倒れ、さらにその上から千晴の蹴りが降り注ぐ。気が遠くなりかけていた頃、ガレージの方から、バンのスライドドアが開く音がした。はっとして直紀が顔を上げる。
見るからに不潔で奇妙な中年の男女がバンの前に立っていた。
直紀は一瞬、その二人を浮浪者かと思った。千晴もその二人の様子を見て、凍り付いている。
「モメてるみたいやな」だしぬけに、男の方が言った。男がちらりと直紀の方を見る。直紀はズボンを足首まで下げたまま、下半身パンツ一枚で地面にうずくまっていた。「色恋がらみ?…それとも、小耳に挟んだんやけど、お金がらみ?」
直紀も、千晴も、返答できなかった。どう対処していいか、全くわからなかった。
「どうやら」男が女に耳打ちをするように言う。「両方らしいな」
「…」直紀は千晴を見上げた。千晴も明らかに困惑していた。
「金で困ってんねんやったら、ワシら金あるで」男が言った。そしえ無造作にジャケットのポケットに手を突っ込むと、くしゃくしゃの万札を掴みだした。「ほれ」
さらに男は体のあちこちのポケットから、次々と万札を掴みだした。直紀と千晴はあっけにとられてその様子を見ていた。いつのまにか男の手にあるくしゃくしゃの万札は十数枚になっていた。
「…なんなんですか、そのお金」千晴が言った。少し、声に緊張が感じられた。
「…なんですかって、ウチには金の生る木があるんや…なあ?」と男が女に振る。
「まあ、そやな…そんなとこや」女が意味ありげに笑う「まあ、ウチら、自家製の商品で儲けとるんよ。自営業っちゅうとこかな」
直紀と千晴は顔を見合わせた。この夫婦が例えようもなく不審で危険であることに関しては、二人の意見は一致しているようだった。
「…なんやったら、この金、やろか」男が言った。
「…」
「いらんの?」
「…なんで、お金なんてもらえるんですか。何もしてないのに」千晴が言った。
「…そりゃ、まあ、タダでとは言わんけど」男が千晴を好色そうな目で見る。
直紀と千晴はしばらく顔を見合わせていた。直紀は頭が真っ白になっていた。
しかし、決断するのは、いつものように千晴の方が早かった。
「…何をすればいいんです?」
「…そやな…」男が笑い、このときはじめて男の抜けた前歯が見えた。「…とりあえず、わしらのお家までドライブ、そこからパーティー…っちゅうのはどうや?ボロい話やと思うけど。」
直紀は慌てて千晴の方を見た。千晴は振り向きもせず、男達の方へ歩いていった。
直紀はあわてて起きあがると、ズボンを上げ、千晴の後に続いた。
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