愛無き世界に In a World Without Love
〜中国自動車道中1少女手錠放置死事件〜
第二章「手錠の男」
妄想:西田三郎■2004/12/06 (月) 第二章〜手錠の男〜 17
「Oie!尾木。それはちょっと違うぜ!」※この物語は、実話をもとにしたフィクションです。7割8分くらいまでが妄想です。
第一章で挙げました、宮淑子:著「黙りこくる少女たち〜教室の中の「性」と「聖」〜」(講談社刊)の中に、著者の宮淑子さんと、元教師で教育評論家である尾木直樹氏のこんなやりとりがあります。
【尾木さん】「まずね、教師達のセクハラ事件は90%以上が対象が生徒だったり、子どもでしょう。(…中略…)それがなぜ教師は生徒に向かうのかというと、それは『教師』だからなんですよ。二〇代、三〇代の女性のほうが魅力的だったり、性的に上手だったり、罪にならなないかもしれないのに、なぜ危険を冒してまで生徒や子どもを相手にするのか不思議でしょう、それは教師性が根底にあるからです」
【宮さん】「教師の性犯罪というふうに冠をつけると、周りから『教師』とわざわざつける意味があるのかと言われるのですが」
【尾木さん】「それは『教師』とつけなければいけないんです。それをつけないで、メディアも裁判所も教師のセクハラ事件を一般論で論じてしまうから、いつまでたっても教師の性犯罪の本質が見えてこないんです。一般的に教職に就く人って子どもが好きなんです。子どもへの愛着が強いという意味では、多少ロリコン的なタイプの人が教職に就くんです」わたしはこのようなネットの片隅より、尾木氏に異論を投げかけたいと思います。
いえ、仰ることは合っているのです。破廉恥先生たちが同年代の女性よりも生徒たちへ向かい、ともすればそれを暴力や権力という強制力を以て成就させようとするのは、その人間のパーソナリティが大きく“教師性(便利な言葉ですね。以後使います)”に支配されているからに他なりません。
しかし、氏は「ロリコン」という性的嗜好を、わたしが前回挙げたような「ペドフェリア」と混同されているように思われます。
破廉恥先生たちは、子どもが好きで、子どもに対しての愛着が強いのではありません。
先生達自身が、“子ども”なのです。
<つづく>
■2004/12/07 (火) 第二章 〜手錠の男〜 18
「“性犯罪通信”から(前)」※この物語は、実話をもとにしたフィクションです。7割3分くらいまでが妄想です。
セクハラ元教諭を刑事告訴へ 京都府立高の女子生徒
京都市内の京都府立高校で、当時担任だった男性教諭(49)から抱きついてキスをされるなどのわいせつな行為を受けたとして、女子生徒(17)が7日にも、強制わいせつ容疑でこの元教諭を京都府警に告訴する。府教委は3月に懲戒免職処分にしたが、女子生徒は事実解明を求めて刑事告訴に踏み切る。代理人の弁護士は「担任の立場を悪用しており、このような行為を許せば、教師と2人きりで指導を受けられなくなる。京都でも教師のセクハラが問題になっており、刑事事件に発展することを認識するべきだ」と話している。
告訴状などによると、元教諭は3月17日午後、高校内の準備室で、担任をしていた女子生徒と進路について話をしていた際、抱きついてキスをし、驚いて無抵抗になった女子生徒の胸を触るなどした。元教諭は担任になって以降、女子生徒を食事にしつこく誘い、この日は「誰にも言ったらあかん」と口止めして解放した、としている。 …以下略(京都新聞)
[2004年 4月7日9時0分更新]
非常にわかりやすい例です。
この先生にしてみると、自らの性的アプローチが、女生徒に受け入れられなかったことが災難なのであり、恐らくそのことに対する悪意の自覚は全くないでしょう。つまり、この先生は、49にもなって、自分が17歳の女生徒にとって性愛の対象足り得ると信じて疑わず、やや積極的アプローチで女生徒に迫ってみただけなのですね。抵抗されるなどとは、まさかその後に刑事告発されるなんて、夢にも思わなかった。先生は成熟した49歳の男子であるという自覚のもと、女生徒との年齢差に欲情を感じつつも苦悩した訳ではない。即行動している。
つまりこの先生の心は17歳なのであり、そこに大人としての自覚はハナクソほどもないのです。
<つづく>
■2004/12/08 (水) 第二章 〜手錠の男〜 19
「“性犯罪通信”から(後)」
※この物語は、実話をもとにしたフィクションです。7割3分くらいまでが妄想です。もうひとつ判りやすい一例を。
「金沢大教授セクハラで停職 指導学生の体触る」
金沢大(林雄二郎学長)は8日、大学院自然科学研究科の50代の男性教授が、出張先ホテルの自室に指導する女子学生を呼び入れ、体を触るセクハラ(性的嫌がらせ)をしたとして、この教授を停職3カ月の懲戒処分にしたと発表した。
教授は事実を認め「学生に迷惑を掛け、大変申し訳なく<B/>思っている」と話しているという。
金沢大によると、教授は2003年6月、打ち合わせを口実に女子学生を呼び入れ、<B>性的な言葉をかけ上半身を触った。女子学生は抵抗して部屋の外に逃げた。
同年9月、学生が学内のセクハラ相談員に訴え、調査委員会が調べていた。女子学生は「先生に来いと言われたら行かざるを得ないという認識があった」と話したという。発覚した同教授のセクハラは、この1回だけだった。(共同通信)
[2004年 3月8日13時18分更新]女子大生と大学教授の男女関係…別に有り得ない恋愛の形ではありません。
合意の元に行われているなら、教授の家庭は崩壊するかも知れませんが、別に違法行為でも何でもない。ここに表れているのは、自分がまだ20代前半の女性の性愛対象になり得ると信じて疑わない教授の思い上がりです。
対象は二十歳を超えた女性ですので、教授の性的感情はロリコンと誹られる類のものではない。しかし、この教授の何が異常かといいますと、相手の女学生が自らのアプローチを拒む可能性を少しも考えていなかったところ。
まさに“教師性”がこの破廉恥行為の元凶です。
しかし、教授には59歳の男性としての自覚があったか?
あるはずもありません。
教授の頭の中では、自分は常に10代前半であり、性欲のままに行動しても許される少年だからです。
かつてマッカーサーは“日本人の精神年齢は12歳の少年並みである”と評価しましたが…確かに日本人男性のセクシャリティは性の喜びを知った少年期初期以降、着実に成長させていくことは難しいようです。<つづく>
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