無き世界に In a World Without Love
〜中国自動車道中1少女手錠放置死事件〜

第一章「許され
ざる者」

妄想:西田三郎

■2004/10/24 (日) 第一章〜許されざる者 16 

「活動電話」

※この物語は、実話をもとにしたフィクションです。9割8分くらいまでが妄想です。

 「うん、ノノちゃんは、よう“活動”しとったよ。多分、(小学校)5年の、おわりくらいやから、うちら(ノノ子ちゃんを含む小学校時代の仲良しグループ7人)中でも、一番やっとったんちゃうかな。はじめは電話して、ヤラしいおっさんからかうのがおもろいし、みんなでふざけ半分で電話するくらいやけど、(2001年の)6月くらいから、“活動”するようになった。おっさんらとカラオケ行ったり、ごはん食べたり、マンション泊まりに行ったりしてた。…どんな人らかって?さあ。ふつうのサラリーマンとか、大学生とかとちゃうか。お金?…2万円とか、そのへん。けっこうおいしいで。うちらテレクラではいつも、年齢は15歳って誤魔化してたけど、実際会うと、おっさんらは喜ぶで。なんでって、電話で言うてたんよりも若いんやもん。…でも、やっぱり知らん人と一人で会いにいくのん怖いやん?そやから、“活動”で知り会うた人に会いに行くときは、絶対2人か3人で行くことにしてた。でも、ノノちゃんは一人で会いに行ったりしてた。うちらも何回か、『一人で会いに行ったら危ないよ。ぜったい行ったらあかん』ってノノちゃんに言うたんやけどな、ぜんぜん聞かへんかった。ノノちゃんが死んだ前の日の晩も、うちと、ノノちゃんと、もう一人の友達とで、テレクラで知り合うた若い男のマンションに泊まりに行った。それであくる日(25日)の朝、夜明けくらいに、JR吹田の駅で解散した。その晩やで。ノノちゃんが死んだのは。うち、今でも信じられへんわ」
 
 と語るのは、ノノ子たんが生前大の仲良しだったお友だち、木下ひろえタン(仮名:当時12歳)。
 まだ中学1年生でしたが、肩まで伸ばした髪の色はまっキンキンで、生え際だけが黒く、プリンのようでした
 まあ大阪では、そこら中に居るふつうの子供です。
 
 実際、ノノ子たんは中学校でソフトボールをやりながら、好きな男子にドキドキの告白をしたりしながら、明るく笑いながら、“活動電話”に勤しんでいたのです。
 この件の発覚により、ノノ子たんは世間の同情票を一気に失うことになります。

<つづく>




■2004/10/26 (火)第一章〜許されざる者 17 

「ロード・トゥ・パーディション…一週間前」

※この物語は、実話をもとにしたフィクションです。8割2分くらいまでが妄想です。

 そんな気の滅入る公団住まいのノノ子たんとお友達の7人組は、だいたい5年生くらいのお赤飯を炊いたあたりから、たまに無断外泊を重ねるようになりました。ノノ子たんがヨドガワ区の施設に入所してからもその交流は続き、彼女らはコンビニ前やJRスイタ駅前(阪急スイタ駅、という報道もあり)などにたむろしたり、“活動電話”をしたりして朝帰りを続けていたのですね。

 まあ、盗んだバイクで走り出したり、アベックの車を襲撃したり、交番に火炎瓶を投げ込んだりしていた訳ではありません。大阪の街に石を投げれば必ずその類の子らに当たるような、普通の子ども達です。
 ド田舎に居住されている読者の皆さんに想像していただくのは少し難しいかも知れませんが、大阪市内では山から熊や猪が降りてきて人を襲わない分、夜の街は明るくて安全なのです。
 
 ノノ子たんが死に至った道程も、そんなありふれた日常の延長線上にありました。
 
■ノノ子たんの足取り

■2001年7月16日
学校にて通信簿。「あーうっとしー。成績悪かったから、おかんに怒られるわー」と友人らにこぼす。
16時半頃、入所していた施設から「歯医者さんにいくわー」と言い残して外出。そのまま戻らず
22時半、入所施設が大阪府警ヨドガワ署に保護願い

■2001年7月17日
父・テルオさんが19時ごろ、自宅近くでノノ子たん発見。
テルオさんより入所施設に「うちのクソガキ、見つけましたわ。しばらく自宅で過ごします」と電話。

■2001年7月18日・19日
ノノ子たん「体調がむっちゃわるいわー。だるー」という理由で学校お休み。19日は学校1学期の終業式。

■2001年7月20日
夏休み開始。ノノ子たん、そのまま自宅に一旦戻る。

<つづく>






■2004/10/25 (月)  第一章〜許されざる者 18 「風景」

※この物語は、実話をもとにしたフィクションです。8割2分くらいまでが妄想です。

 ノノ子たんは同時に、家出常習者でもありました。
 
 施設に入っているときでさえ、無断外泊を繰り返しています。

 それに同道したのは、前回上げたひろえたんを含む、転校する前の小学校時代のお友達6人組
 ノノ子たんを含む彼女らは皆、東ヨド川区●光の公営住宅、もしくはその近辺に居住していました。

 その公営住宅は築50年は余裕でいってる、年期の入ったものです。
 元々は白壁だったのでしょうが、50年分の風雨がそれをまだらにドス黒く染めています。
 そんな4階建ての建物がぱらぱらと並び、バルコニーのないそれらの窓の内側にはパッチやステテコなどがブラ下がっているのが見えます。中央には背の高い給水塔があり、建物と建物の間には、鉄棒とかジャングルジムなどが申し訳程度に設置された埃っぽい広場。すぐ歩けば淀川の堤防で、それを登って河原に目をやればなかなかのよい眺めです。

 しかし振り返って公営住宅に目をやると…なんだかブルーな気分

 …なんといいますか、ショボンとして活気がないのですね。そんなふうに思うのは、わたくしがノノ子たんの事件を頭に置いて、その風景を見ているからでしょうか?
 
 事件のほぼ5ヶ月後発売の「新潮45」11月号に掲載された中尾幸司さんのルポ『修羅の家』(「殺ったのはおまえだ/修羅となりし者たち、宿命の9事件」新潮45編集部 編 新潮文庫 に“高速道路で轢死した少女が夢見た「家族の情景」”と改題して収録) にも、さらに2年後に発売された、ルポライター 宮淑子さんの手による『黙りこくる少女たち/教室の中の「性」と「聖」』(2003年7月発売 講談社)にも、その公団の風景の描写があります。
 先の中尾さんの描写では、ややブンガク入っててこってり風味であり、後の宮さんの方はいささかアッサリし過ぎているのですが、わたくしの目には、ちょうどその中間くらいの風景に映りました。
 
 確かに、12〜13歳の少女たちには、いささかシンケ臭い風景でしょう。
 20分もウロウロすれば、もはや見るべきものはなにも無くなってしまいました。

<つづく>



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