わるいおまわりさん
作:西田三郎

 

「第12話」

■人生のうちで、限られた量

 その日あたしが事情徴収を途中でばっくれたことに関して、お母さんはまた涙を流しながら怒り狂った。まあ予想はできたことだ。満面の笑みで迎え入れられるだろうなんてことを期待してたわけではない。
 
  しかしそれ以上に母が大声で泣き喚いたのは、あの警部補さんの話によると……三島をあたしをレして罪に問うことは、法的にはかなり難しい……というかほとんど可能性ゼロに近い、ということだった。多分、あたしが正直に話しすぎたか、それとも大げさに語るべきところをふつうに喋ってしまったか……もしくは警部補さんが頭の中で思い描く“ひどい話”のレベルにあたしの話が追いつかなかったか……そんなところなんだろうと思う。

 お母さんは泣いて、泣いて、泣いて、泣きまくった。

 涙であれだけの水分を失ったんだから、あたしはお母さんがあくる日にはミイラになってしまうのではないかと本気で心配になった。人間というものが、あそこまで涙を流せるという事じたいが、あたしにとってはものすごい驚異だった……同然だが、あたしはそれでも泣けない。
 
  あたしがどうかしているんだろうか?お母さんがどうかしているんだろうか?

 “あんたは悔しくないの……?……それで悔しくないの?………

 お母さんがあたしに何度も同じことを繰り返す。
  どうなんだろう?
  お母さんは、あの日の午後、三島がどんな目に遭ったのか知らない。

  多分、そのことに関してはあたしと……あの速水というわるいお巡りさんと……三島の3人しか知らないのだろう。それであたしの気分が良くなったか……?
  実をいうと……それほどでもない。

 確かにあのデジカメに収められていたなさけない三島の姿を見たときは……あたしは大いに笑った。ざまあ見ろ、とさえ思ったことは事実だ。
  でもそれは、その瞬間、そんなふうに感じただけの話であって……あれからしばらく立つけど、そのことを思い出すあたしの心が晴れ晴れするかといえば……決してそんなことはない。逆に、三島のことを気の毒に思うかといえば……やっぱりそれも、そんなことはない。

 
あたしはそれに関しては何も感じることができない。
  さらに、その前に三島にされたひどいことに関しても、だ。

 すべては思い出になってしまった。
  なんの感情も刺激しない、単なる記憶のひとつとしての思い出。だから、あたしはこうして今、ふつうに朝起きて、ご飯を食べ、学校に行き、帰ってきてはまた ご飯を食べ、お風呂に入ってから、ちょっと勉強して、テレビをみたりしてから、また布団に入ることができる。
  他の人がどうなのかは知らないが……だからこそ、あたしはこうしてふつうに毎日の生活をこなしていくことができているような気がする。
  あの二日間から、ずっと離れたところにあるこの毎日の生活を。

  三島にはあれから会っていない。
  三島もあの辛い、恥ずかしい体験を乗り切って、上手くやっているだろうか?
  また誰か新しい女の子をみつけて……たとえば、そのためにあたしと別れる必要があったあたしよりおっぱいの大きいあの娘とかと……もしくは他の誰かと……うまくやっているだろうか?
  あの植物園の裏の“おさわりスペース”には、別の誰かとシケ込んだりしたのだろうか?それともまた別のどこかに、そういうことをするに相応しい場所を見つけたのだろうか?
  まあ……そうであろうとなかろうと、あたしには何の関係もないことなのだが。

 あれからあっという間に3ヶ月が過ぎて、半年が過ぎて、1年が過ぎて……さらにずっとずっと時間が過ぎた。

 あたしは高校を卒業して、大学に進学し、あたらしい彼氏も出来た。
 
  三島のことはすっかり忘れていたが……ふとある日、速見のことを思い出した。

 というのも、テレビのニュースでこんな事件を見たからだ。

 “都内の現職警察官が、顔見知りの女子高校生と違法な薬物を 使用し、わいせつな行為をしたとして、本日、警視庁に逮捕されました。逮捕されたのは、警視庁●●署捜査二課勤務の●●元巡査部長36歳。……調べにより ますと●●容疑者は、出会い系サイトで知り合った都内在住の女子高校生を未成年と知りながら都内のラブホテルに連れ込み、わいせつな行為をした疑い。その 際に違法な薬物を使用し、女子高生が両親に相談したことから事件が発覚……本日、警視庁に逮捕されました。警察は●●容疑者から薬物の入手経路などについて、厳しく追求していく方針です………”

 当然、●●巡査部長は速見とは全くの別人で、女子高生は全くあたし知らない子だ。
  でもあたしは……速水のことが気になって仕方がなかった。

 そんなわけで……あたしはほんとうに何年ぶりかで、あの警察署を訪れた。

  当然ひとりでだ。
  警察署というところは、何年かぶりに訪れてもまったく変わらない。

 カウンターまで行くと、数年前に訪れたときとは違うおばさんがカウンターに座っていた。人は違ったけど、おばさんが着ている制服も、事務的で面倒くさそうな態度も、威圧的な物言いも全く同じだった。

  「……速水?捜査一課の速水?……その人に、あなた、何の用なの?」
  「え、その……ええっと……別に、これといった用はないんですけど……その……」

 「あら?」

 あたしがまごまごしていると、置くの廊下から声がした。
  振り返ると、あの時あたしに事情徴収をした、警部補さんが立っていた。

  どういうわけか、その日警部補さんは私服だった。髪型も、数年前とくらべるとずっとおしゃれになっていたし、着ているうすいベージュのスーツもなかなか素 敵だった。……ひょっとすると……もう警部補さんじゃなくて、ずっと上の役職に昇進したのかも知れない。

  「……前に……確か、ここに来たことあるよね?」警部補(なのかどうかわからないけれども)さんは言った「……ええっと……随分前じゃなかったっけ……あ、そうそう、お母さんと一緒に、お話をうかがったことあったよね………元気?
  「あ、あ……どうも」あたしはどぎまぎしてしまった。
 
  警察官という人種がどういう人種なのかはわからない。そしてその誰もが、このように人並みはずれた記憶力を有しているのかどうかもわからない。しかし、彼女はあたしの顔を覚えていた。よっぽど有能な人なのだろう。多分、今はもう“警部補さん”じゃないはずだ。

 「……どうしたの?今日はなんか用?」
  「………あ、あの…………」
  「捜査一課の、速見さんに会いに来たんですって」受付のおばさんが言う。
  「速見さん?」一瞬で、(元)警部補さんの顔が曇った「………え?速水さんに……何の用?」
  「あ、あ……あの……その、別にこれと言った用があるって訳じゃないんですけど……」
 
  (元)警部補さんはしばらく自分の足元を見ていた。
  スーツに合わせた、落ち着いたデザインの、ブラウンのパンプスだった。

 「………ああ速水さんね。捜査一課の速水さん………」と、(元)警部補さんは顔を上げた「彼、警察辞めたんだ……ちょうど、去年の今頃だったかなあ……」
  「え?」あたしも顔を上げた。「ほ、本当ですか………な、なんで?
  「え?………なんで?」(元)警部補さんの視線が、わずかに泳ぐのをあたしは見逃さなかった。「………いやその……なんでって……まあその、“一身上の都合”で……かな」
  「はあ…………」
  「で、速見さんに………何の用?」

  (元)警部補さんの目が、用心深くあたしの目を覗き込むのがわかった。
  あたしは目を背けて……そのまま下を向いた。

 「そ、それじゃあ……わたしもちょっと用事があるから……」(元)警部補さんはそう言ってあたしの脇をすり抜けた「……まあ、元気でね
  「……はあ………」あたしが答えるまでもなく、彼女はそそくさと廊下の奥に消えていった。

 あたしはそのまま、警察署を出て道路に出た。
  なるほど……一身上の都合……まあそうだろう。人生いろいろある。

  少なくとも、速見は“わるいおまわりさん”としてつるし上げられることは無かったようだ……表向きには。

  泣こうかと思ったが、やめた。

  人生で流すことのできる涙の量が決まっているとするのなら……今は別にどうしても泣かなければならない時ではない。泣くのはやめにした。

  このまま、あの植物園の裏に一人で行って見ようか、とも思った。
   あのまま植物園の工事が、放ったらかしになっていれば……の話だけど。
  
  でも、それもまたなんだか……ぴんとこないのでやめにすることにした。(了)

2006.2.20



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