わるいおまわりさん
作:西田三郎

 

「第1話」

■警察に行ったわけ

 あたしはほんとうはどうでも良かったんだけど、お母さんがどうしても、というから仕方なくついていくことにした。

 お母さんは昨日からずっと泣き止まない……人間、死ぬまでにいったいどれくらいの涙を流すことができるのかはわからないが、もしその一生分の量が決まっているとするのなら……今後の人生でお母さんがどれくらい泣く事ができるか、心配になってくるほどだ。

 警察署に行くまでのバスの中でも、お母さんは泣き止まなかった。
  あたしはとっても恥ずかしかった……バスの乗客のほとんどはあたしたちを見ている。あたしはもしこの用事が午前中までに終わったらそのまま午後から学校へ行こうかな、なんて……かなり甘いことを考えていたので、学校の制服姿だった。

 おんおん泣くお母さんに連れられた、制服姿の高校生……いやもう、それだけで乗り合わせた乗客のみなさんにとってはかなり面白い見世物ではないだろうか。
 
  どんな風に思われてんだろう?あたしたち。

 例えば……あたしが妊娠して、これから産婦人科に子供を堕ろしに行く最中だとか?
  もしくは……あたしが万引きか何か、不良行為をやらかして家庭裁判所にでも行く最中だとか?
  それ以外では……そうだな、あたしの家族のうちの誰かが死んで、あたしとお母さん二人で警察に身元確認に行く最中だとか?

 最後の仮説をもし乗客の誰かが立てていたとするなら……あたしはとても冷たい女の子だと思われたに違いない。だって、少しも泣いていないどころか、泣きじゃくるお母さんをいかにもウザそうに扱ってたから。まあ……お母さんはあたしのことを本気で心配してくれていたんだと思うから、そんな風に邪険に扱ったことは今思えばとっても悪いことをしたと思わざるをえない。
 
  しかし、当時あたしはまだ16だったし……そんなお母さんの気持ちなんて理解できるはずもなかった。

 あ、そうそう、あたしたちが向かっていたのは警察署だったから、もしバスの中に最後の仮説を立てた乗客がいたなら、その人が警察署前で降りていったあたしたちを見た時、“ああ、なるほどね”ってな感じで納得していたかもしれない。
  それから彼・もしくは彼女は家に帰って……家族や恋人にこんな風に話をする。
 
  “今日、制服姿の女の子が、おんおん泣いてるお母さんといっしょに、警察署の前で降りていったんだよ……家族の誰かが死んだのかなあ?……だとすると気の毒だけど……いや、ひょっとしてあの女の子が何か悪いことでもして、自首するところだったのかも知れないなあ……いやまてよ、ひょっとすると……”云々。

 とにかくあたしたちは警察署の前でバスを降りた。

 警察署の玄関前には、長い棒っ切れを持って防弾チョッキを着た若いお巡りさんが、まるで蝋人形みたいに立っている。あたしたち母娘を見ても、特に表情に変化はない。多分、お巡りさんにしてみると、こんなのは見慣れた風景なんだろうな。

 お母さんがティッシュペーパーでチーンと鼻を噛んで、曇り空を見上げた。
  何事かをぶつぶつ、ぶつぶつと呟きながら、警察署に足を踏み入れる気合を貯めている様子だった。

  「……お母さん、大丈夫?」あたしは言った。
  「……あんたこそ、大丈夫なの?」お母さんが泣きはらした目であたしを見て言う。「……ほんとに……ほんとにいいんだね?
  「……てか、それはおかあさんがどうしてもって言うから……」と、あたしはそこまで言って口を噤んだ。お母さんがあたしをとても怖い顔で睨んだからだ。
  「……これから、いろいろ聞かれるからね。わかってるね、警察の方が聞かれることに、正直に答えるんだよ」
  「……はあ……」あたしはため息をつかざるを得なかった。
 
  ああもう、本当はどうでもいいんだけどなあ……。

 お母さんが意を決して玄関に向かって歩き出したので、あたしもその後に続いた。

玄関前に立っているお巡りさんはそれまでまるで蝋人形みたいに固まっていたので、なんでこんなところに本物のお巡りさんが立っている必要があるんだろう、ほんものの蝋人形でもいいのに、なんて思っていた。でも、お母さんとあたしがその脇を通りすぎる瞬間に、深く目礼したので少し驚いた。
  なるほど……あたしは思った。やっぱりあそこに立っているのは人形じゃだめなんだ。
  警察署の受付ロビーには数人の人が居た。
  ほとんどの人がそうだと思うけど、私くらいの歳で、それまで品行法性にやっていれば、警察署を訪れるのなんかこれがはじめてだ。その印象はテレビなんかで見るものとはかなり違っていた。区役所や市役所のロビーとほとんど変わらない。でも、カウンターの中に居る女の人たちは、役所のそれとは違っていて、少し歳を食っているように見えた。
 
  母がゆっくりとカウンター内の、ブルーの制服を着た、なんだか虫歯の痛みでも堪えているかのような顔をしたパーマのおばさんに声を掛ける。

 「……あの………すいません、ちょっとお尋ねしたいんですが……」
  「は??」そのおばさんの声は大きかった。加えてかなり威圧的な感じがした。
  「その……あの……いたずらされまして………」
  「………いたずら?」ひときわ大きな声だった「……あなたがですか?」
 
  あたしは後ろで見ていたが、思わず噴き出しそうになった。

 「……いえっ……その、そ そんな、とんでもない……あの、その娘が………」
 
  そういってお母さんはあたしの方を省みた。その怖い顔のおばさんがあたしを睨むように見る。あたしは思わず、一歩ほど後じさりをした。

 「……そのつまり……」おばさんが急に声を落とす「……娘さんが?
  「………ええ」母も同じくらい声のトーンを落とした。
  「……性的な……いたずらを受けた、と………」おばさんは“性的な”という部分をひときわ小さな声で呟く「……そういうことですね?
  「……はい……」ここでまた母は……一生分の涙のひとしずくを落とした。

 「それでは……」おばさんがあたしを見ながら言う。なんだか哀れむような、無理に同情を搾り出してるような目で「……生活安全課窓口の方に回っていただけますか?……この窓口の、4番です


 

<つづく>

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