終電ガール
作:西田三郎■終電ガール2号引退
その晩、満はそのまま、家には戻らなかった。
着替えたあと、家に帰る気になれず、駅周辺の街を朝まであてもなくぶらぶらと歩いた。朝日も久しぶりに見た。
家に帰ると、母は激怒した。泣いてさえいた。それまでにも満が金曜日、非常に遅く帰宅するのを心配していた母だった。目の前で母親に泣かれるというのはかなり辛いものであるということを、満は知った。昨日、今日と、はじめて知ることが多い二日間だな、とも思った。
母は満の首筋に出来たキスマークについては何も言わなかった。実際、気づかなかったのかも知れない。しかし2人の姉は気づいたらしく、母の居ないところで、満は姉たちにねちっこく責められた。満を非難しながら……二人の姉は内心でそれを面白がっているようにも思えた。
母親は一も二もなく満の塾通いを止めさせ、家庭教師をつけた。
家庭教師は近所に住む、満の姉が卒業した附属高校を卒業し、今はエスカレータ式に大学に通っている20歳の男。これと言って面白みのない、子供っぽい男だった。少なくとも満にはそう見えた。彼が語って聞かせる“楽しい大学生活”の様子を聞きながら、恐らくこの男は童貞なんだろうな、と心の中で思ったりもした。
姉のセーラー服は、クリーニングに出してもきれいになりそうにないので、桐東さんから借りたパンティと一緒に、近所の公園に捨てた。これまでも姉は自分 の衣装ケースからかつての制服が消えていることに気が付かなかったのだから、これからも気づくことはあるまい、と思った。
事実、姉は今に至って、そのことに気づいていない。
満は童貞の家庭教師のおかげ(?)で、希望していた付属高校に合格した。
母親は泣いて悦び、合格発表に日は母や姉たちとささやかなパーティーをした。
高校に進学してから、満の生活は好調だった。
成績は良かったし、中学時代に引き続いてバスケ部でも活躍した。
もともと美少年だったので女生徒にもモテた。
満に交際を迫る女生徒は跡を絶たなかったが、その中で満がガールフレンドとして選んだのは、制服に押し込んだ胸だけが少し窮屈そうに目立つ、ほっそりとした少女だった。
…制服と言えば、満の通う高校では、あの姉と同じセーラー服はとうの昔に現役を退き、ガールフレンドも白いブラウスとスカートを着ている。
あのセーラー服への郷愁を感じることはなかったが、時折、ガールフレンドと一緒に下校する時に、ふと頭の中で彼女があのセーラー服を着ているところを想 像する。…また、ごくまれにではあるが…想像の中のガールフレンドは、前髪をピンで留めていたり、もしくは赤いセルロイドの眼鏡を掛けていたりする。
そんな想像が頭をよぎった時はいつも、満は強い罪悪感に襲われた。
鏡の中にだけ存在したあの少女や、桐東さんと会うことはもう二度とないだろう。
事実、満はあれっきり塾通いを止めてしまったので、桐東さんと顔を合わせることは無かった。
ひょっとすると今も…あの痴漢ごっこの小遣い稼ぎを続けているのかも知れない。
しかしある日曜日、ガールフレンドと繁華街までデートに出かけたときのことだった。
二人が乗った車両の隅にに、“石川”が乗っていたのだ。
はじめて満がセーラー服を着て電車に乗ったときの、桐東さんのお客だったあの男だ
あの日、ズボンの前を濡らして家に帰ってから、彼はどのような言い訳をしたのだろう?
まあ、石川は妻と、3人の子供達に囲まれ平和この上ない様子だったので、さほど問題にはならなかったようだ。
…そんなことを考えているうちに、石川の顔が満の方に向いた。
あわてて目を逸らそうとしたが、目が合ってしまう。
しかし石川は満に興味を示さず、また目線を自分の子供達の方に戻した。
石川は満に気づかなかったのだろう。
「どうしたの…?」ガールフレンドが心配そうに満の顔を覗き込む。
「…なんでもないよ」と満は答えた。
そして、電車の窓に映る自分の姿を見た。そりゃ気づかないよな、と満は思った。
成長した今の自分の姿から、あの少女の面影はきれいに消え失せていたからだ。
満はガールフレンドの手を握りしめた。
ほんものの少女だけが持つ、みずみずしく、柔らかい手だった。(了)
2004.9.29
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