終電ガール インテグラル

作:西田三郎


『列車の振動は興奮を誘(いざな)い
  腰髄にまで欲望を忍ばせる』
 
〜アルフォンス・アレ〜

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■第一章 『千春』

 第一話「痴漢はみんなバカに違いない」



   その日も暑い日だった。
 
  これまでに朝の通学電車で痴漢に遭ったことは、それはもう数え切れないくらいだ。
  今朝もまた、どこかのバカが……ターミナル駅を過ぎて数分後、遠慮がちに、千春の尻に手の甲を当ててきた。

 いつものように、舌打ちが出た。

 『ちっ……バカめ

 千春は心の中でその手の持ち主に毒づいた。
  しかしもはや怒りは湧いてこない。何せ、つらい一日の始まりで、今日はまだ火曜日なのだ。
  千春は毎朝、この急行電車に乗り、家から40分の距離の私立中学に通学している。月から金までの授業は、1日7時間ずつ。学校が終わればまた電車に飛び乗 り、自宅の最寄り駅から4つ手前の駅近くにある進学塾に足を運び、そこで少なくとも夜10時まではびっちり勉強する毎日だ。
  千春はまだ2年生になったばかり。
  そんな生活が、少なくともあと2年近く続くのだ。
 
  はじめは……地元の公立の小学校を卒業して、今の中学に電車通学をはじめたときは、毎朝のように千春に群がってくる痴漢に、それなりのショックを受けた。
 
  いったい、このヒトたちは何が楽しくてこんなことをしてくるんだろうか……?

 そこがまず、大きなショックだった。
  人のお尻や、胸や、太腿や……時にはわき腹や二の腕を、同意も得ずに弄り回して、一体何が楽しいのだろう?
 
  時には、痴漢の手がスカートの中に入ってくることもあった。
 
 もともと自己主張の少ない、大人しい性格の千春は、ただただ混乱するだけだった。
  調子づく痴漢たちにとっては、まさに格好の餌食である。

  時に、痴漢は千春のパンツに手を掛けてくることもあった。
  パンツに手を掛け、それをそのまま下に引きずり降ろそうとすることもあった。
  さらにはパンツの中にまで手を侵入させてくることもあった。
 
  そしてそんなとき、痴漢はきまって千春に性的な刺激を与えようとするのだ。
  そこまでする痴漢たちは、自分たちが与える刺激によって、千春が性的に反応することを期待しているようだった。
  戸惑いや拒否感、嫌悪感を抱きつつも、巧みな自分の指使いによって、心ならずも反応してしまう少女。
  破廉恥な行為を強制されながら、幼い官能を掘り出され、屈辱的な快感に身体を震わせる少女。
  そういうのが、痴漢たちは見たいらしい。

 ……バカじゃないの?……

 もはや、千春は今朝のように痴漢にお尻を誰かに撫でられても……今、その手は甲でではなく、いつのまにか裏返り、手のひらで千春の尻の肉 の感触を楽しんでいる……恐怖はおろか、怒りすら感じることすらない。
  ただ、虚脱感と軽蔑を感じるだけだった。

 痴漢たちはどうも、女というものはすべて、しかるべきところにしかるべき刺激を与え続ければ、自動的に快感を催すものであると考えている らしい。

 それは……痴漢だけに限らなかった。
  今付き合っているボーイフレンド……輝にしても、それは同じらしい。

 ああ、こんなときに輝くんのことなんて考えるのは、彼にも悪いし……気が滅入るだけだ。

 千春は実際に頭こそ振らなかったが、心の中でかぶりを振った。
  今、自分の尻を……スカートの上から撫で回している男と、輝くんは何の関係もないんだから……それは、ただ、男であると いうことくらいしか共通点がないんだから……と、浮かんできた妙な考えを蹴りだすように頭から追い払った。

 さて、今朝の痴漢である。

  痴漢なんかするような男は、どれも同じだ。仕掛けてくる手口が違うだけ。

  どういうわけか、千春には痴漢に好まれてしまうような何らかの魅力……と言っていいものかどうかわからないが……があるらしい。
  背が、160センチと、少し高めだからだろうか?……だからと言って、迷惑な話だ。
  それともほんの少し、お尻が大きいからだろうか?……だとしたら、失礼な話だ。
  何かいつも、ぼんやりしているような、この顔立ちのせいだろうか?……だとしたら、まったく腹が立って仕方がない。好きでこんな体型や、顔立ちに生まれつ いたわけではないのだから。

 しかし今朝の痴漢は、少し妙だった。
  痴漢自体がまともな行為ではないのだから、妙もへったくれもないのではあるけど。

 そいつは、千春のプリーツスカートの一本一本の襞を、まるで確認でもするみたいに、指でなぞってくる。その、妙に繊細で、細い指の感覚 に、ふしぎな違和感があった。

 はあ……こういうので、あたしが感じる、とこいつは踏んだわけね。
 
  千春は大きなため息と大げさに肩をすくめる仕草で、後ろの男にありったけの軽蔑のメッセージを送った。
  そして、いつものように、肩越しに男の顔を振り返ろうとした。
 
  この行動で、痴漢のだいたい70%は、千春から顔を背けて、悪戯の手を止める。
  できるだけ、どんな間抜けにも侮蔑と軽蔑と『あんた、何?』の意思が伝わるような表情を作った。
  そこには、いつも……年齢や、職業や、体型や、美醜はともあれ……気の弱そうな、哀れな男の顔がある。人間の姿はしているけども、この地球上で最も惨めで 哀れな生き物に、心からの蔑みを込めて、表情でぶつけてやる。
 
  そうすれば、痴漢たちは一気に現実に戻るらしい。
  自らの与える刺激が、見知らぬ女子中学生に屈辱と辱めと……それとは裏腹の快感を与え、蹂躙しているのだ、という空しい幻想から覚め……それぞれふつうの サラリーマンや、学生や、年金生活者に戻っていくのだ。

 しかし……振り向いた先に、予想していたような男の顔は無かった。

 そこにあったのは……長めの前髪の下で、長い睫毛を伏せている、悲しそうな切れ長の瞳だった。
  ほっそりした輪郭と、鼻筋のとおった形のいい鼻、そして小ぶりで果実の切れ端のように瑞々しい、小さな唇だった。そしてセーラー服のブラウスの襟元につづ く、細く青白い首筋のラインだった。

 それが千春と、『終電ガール』との出会いである。

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