先生、この冷たいのなんですか

作:西田三郎
「第6話」

■シク、シク

 もうそろそろ……駅が見えてきてもいい頃だ。
 しかし前方は吹雪に遮られて見えない。
 ほんとうにこのまま歩いていけばちゃんと駅につくのか?
 もしついたとしても、この地獄のような沈黙心を凍らすような質問攻めに終わりは来るのか?
 おれはいつしか歩調を速めていた。
 靴の中のつま先は、感覚を失いどこか雲の上を歩いているような気さえしてくる。
 ああ、駅よ。今すぐおれの目の前に現れてくれ。

 「それから先生、いつもあたしにするときは後ろからですよね」悠が追い討ちをかける。「あれは、何でですか。ひょっとして……あたしの顔を見るのがイヤなんですか?」 
 「……そんな馬鹿なこと言うなよ」
 「だって……いつも後ろからじゃないですか」
 
 確かにそうだ。いやもう、言い訳なんかしない。その通り。わたくしはバック好きでございますですよ。

 
 おれがバックが好きなのな何故だろうか?
 いや、別に他の体位が出来ないから、という訳ではない。

 確かに初体験ではかなり苦労した……初めてのことなのでということで正常位で挑戦しようとした……しかし、何度も苦労した結果、結局果たすことができなかった。
 ……そんな訳で19歳の頃、初体験は後背位で済ませた。
 それがおれのバック好きの原体験なのだろうか?

 もしくは……悠が言うように、目隠しや手首縛りと後背位は無関係ではないのかも知れない。
 バックから女を責めると……確かに女の顔を拝まずに済む……しかしだからと言って、おれはセックスの際、女の顔を見るのが怖いのだろうか?

 “こんなの……こんなのやです……あたし……”
 そう言ったのは悠だったか、それとも別の女だったろうか?
 とにかくその時は、女を強引に裏返し、腰を持ち上げて這いつくばらせた。
 “こんな風にされるの、はじめて?”上擦った声で、おれが聞く。
 “だって…………んっっっ!!!”
 おれは一気に突き入れた。すばらしい締め付けだった……その悠だか、他の女だかは。
 

 「……それに、なんであたしのお尻の穴、いつも触るんです?
 「………え……」一瞬、目の前が真っ白になった。
 
 これが世に言う“ホワイト・アウト”か?
 しかしおれはその場に都合よくぶっ倒れることができなかった。

 「ねえ……あれだけは本当に理解できません。気持ちわるいんです。すごく」
 「………」
 
 尻の穴をまさぐると、ぴくん、と悠の尻が跳ねるのが面白かった。
 ただそれだけだ。
 “……やっ…やだ!!……そんなとこ触んないでください!!
 いつも悠は面白いように狼狽する。その狼狽におれはますます欲情を掻き立てられ、さらに悠のその恥ずかしい部分を指でなぞる……念のために言うが、その部分に指や、まして性器などを挿入したことはない。
 しかしそれを続けていると……みるみる悠の腰は大人しくなっていき………最後にはしっかりとおれの陰茎をくわえ込んだ前の入り口を、激しく締め付けてくるのだ
 つまり……おれは悠が、そうされることを望んでいるものとばかり考えていた。

 すべては違ったのか?……それでも未だにおれは腑に落ちない。

 サク、サク。

 悠を見た。相変わらず無言のまま雪を踏みしめている。
 ぼんやりではあるが、前方に駅らしい建物が見えてきた。
 このまま二人で電車に乗るのだろうか?……車内は暖かく、この雪道に比べればまるで天国だろう。しかし悠のこのだんまりと時折挟み込まれるフェイントのような質問攻めはまだまだ続くのか……?

 おれは背後を見た。二つの足跡が延々と続いているだけだ。

 「先生……」悠が言った「聞いていいですか
 「……いいよ」これ以上、どんな質問をされても屁とも思うまい。おれは勝手にそう考えていた。
 
 またしばらく無言が続く。と、悠が立ち止まった。

 「……あの、先生……あたしのこと、好きなんですか?
 
 おれも立ち止まる。そしてマフラーと毛糸の帽子でほとんどを覆い隠された悠の顔を見た。目は少し充血していたが、この寒風のせいだろう。おれはしばらくその目を見ていた。

 「もちろん、好きだよ……当たり前じゃないか」
 おれはいつものように……口先だけでその言葉を吐き出した。
 それが悠の目にどう映っていたのかはわからない。

 悠は立ち止まったまま、微動だにしなかった。

 「……電車には一人で乗ってください……あたしはここで」と悠。
 「ここでって……え、おい!ちょっと待てよ!!」

 くるりと悠が踵を返して駆け出す。
 振り返れば、ほんのすぐそばの前方に駅があったが……おれは悠の後を追って駆け出した。

 悠の脚は思いのほか早かった。やはり若さのせいだろうか?
 吹雪の向こうに、どんどん悠のダッフルコートの背中が小さくなっていく。おれは必死で追った。しかし……俺も年だな。ついには悠の背中は吹雪の向こうにかき消され、見えなくなってしまった。

 おれは息が切れ、新雪の中に座り込んだ。

 はあ、はあ。

 相変わらず吹雪の勢いは止まず、駅から降りてやってくる人もな居なければ、向こうからこっちに向かってくる人影も見えない。

 はあ、はあ。

 ふと見ると、これまでおれたちの歩いてきた足跡とは別に、新しい一組の足跡が雪道に刻み込まれている。
 ……そうだ、これは悠の足跡だ。
 おれはさらに一息ついてから、重い腰を上げた。
 この足跡を辿っていけば、いつかは逃げ去った悠に追いつく筈だ。

 サク、サク。

 おれはもときた雪道を歩き始めた。
 激しい吹雪だ……この悠が残した足跡が埋め尽くされる前に、何とか悠に追いつかなくては。おれは何も余計なことを考えず……新雪を踏みしめ続けた。
 悠の足跡が消えてしまったら……ほんとうにおれはどこに居るのか、どこに向かっているのか、さっぱり判らなくなってしまうだろう。
 おれは休まず、ひたすら足跡を追い続けた。

 昨年の暮れの話だ……なんとかおれは、生きのびて年を越した(了)

2006.1.5

<つづく>


 感想などありましたらお気軽にどうぞ。読んで本気汁出します(笑)

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