お母さんなんて呼ばなくていいのよ 作:西田三郎
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■あの女の仕業
学校から帰ってきたら、あの女の姿は見あたらなかった。居間はきれいに片づいている。隅々までが磨き上げられ、塵 一つ見あたらない。
あの女の仕業だった。毎日、この調子だ。
英治はため息をついて、居間に鞄を置いて、何か飲もうと、キッチンの冷蔵庫に向かった。
冷蔵庫を開ける。ジャムや、牛乳や、味噌や、タッパーに入った様々な食材…すべてが整理整頓され、冷蔵庫内壁に対して垂直に、もしくは平 行に並べてある。
父の好きな銘柄のビールも、しっかり6缶揃えてあった。一糸乱れぬ整列ぶりだった。
英治は苦々しくそれらを見て、麦茶の入ったボトルを出すと、冷蔵庫のドアを閉めた。
ボトルを手にコップを探す。探す必要はなかった。いつも同じ場所に、きちんとコップは並べられている。コップをテーブルに置き、麦茶を注いだ。
テーブルの表面はまるで鏡のようである。
このボトルの麦茶だって、英治が手に取る時はいつも満タンだった。
冷蔵庫に氷がないこともなければ、トイレットペーパーが切れているようなこともない。ゴミ箱が一杯なんてこともない…。
すべて、すべて、すべて、あの女の仕業だった。
麦茶を飲み干して流しに置くと、鞄を肩に洗面所に向かった。
何もかもが面白くない。あの女がこの家にやってきてから、ずっとそうだ。
なんでこんな事になってしまったんだろう?英治は頭をひねりながら、洗面所のドアを開けた。
「わっ!」
洗面所は風呂の脱衣所と一緒になっている。そこに、父の後妻、一重が立っていた。
風呂上がりだった。
一糸まとわぬ、全裸だった。
肩までの濡れた髪の水分をバスタオルで吸い取っていた一重は、少し首を傾げてドアを開けた英治の正面を向いていた。
英治は思わず、その場に棒立ちになった。
長身の白い肢体の全体に、水滴が浮いていた。華奢な体つきだが、その全体のシルエットは楽器のチェロに似ている。肩幅は狭いが、腰つきは 豊かだった。太くも細くもない太股の下に、まっすぐな臑が伸びている。裸足の左右の足指は、バスマットの上で交差していた。右手の肘で押し つぶされた乳房は乳輪さえ見えなかったが、たとえようもない柔らかさが見て取れた。
左の乳房の登頂にある乳輪ははっきりと見えた。500円玉くらいの大きさで、色は薄い。冷たいシャワーを浴びたのか、先端は固さを 帯びていた。
一重が、英治を見上げた。
一重が英治を認識するまで、数秒の間があった。
一重の目の色は薄く、どこか遠くを見ているようだった。
「きゃっ!」一重が胸を両腕で隠し、バスタオルを躰の前に垂らした。
「ごめん!」英治は洗面所のドアを閉めて、逃げるようにその場を離れようとした。
「いいのよ…ごめんね」ドアの向こうから声がした。かなり動揺している。「…ごめんね、こんな時間にお風呂に入ってて…びっくりした?」
英治は一重が遠慮がちな声でそう言うのに答えず、洗面所を離れて階段を登った。
全くだ!何でこんな時間に風呂に入ってんだよ!
腹立たしかった。イライラした。しかしものすごい早さで心臓が脈打っていることに気づいた。
目の前に何度も一重の裸身が浮かび上がってきた。消し去ろうとすればするほど、一瞬見た一重の肢体の残像は鮮明になってくるようだった。
逃げるように自分の部屋に飛び込む。
唖然とした。
朝学校に出かける時は自分でもあきれるくらいに散らかっていた部屋が、綺麗に片づいている。
足の踏み場も無かった床には、塵ひとつない。床に脱ぎ散らかしていた衣服は、すっかり姿をけしていた。ベッドのシーツはまるでホテルのように皺などまっ たくみられず張りつめている。勉強机の上には寸分の狂いもなくノートやプリントが積み上げられ、本棚の本は本の版型ごとにぴったりと並べられいる。
英治はうんざりするほど小ぎれいに片づいた自分の部屋で、立ちすくんでいた。
これもすべて、あの女の仕業である。
自分の男の息子が家に帰ってくるのを待ちかまえて、風呂から上がり、全裸の躰を見せつけるようなあの女の仕業だ。
はっとして、英治はベッドの下を覗いた。ベッドの下に隠していた「BOM」や「スーパー写真塾」が、雑誌ごとにきっちりと 並べられている。
昨晩自分がそこに放り込んだ時点とは、全く違う風景だった。
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