ノルウェイの鮭
作:西田三郎

「第1話」

■この曲なんだっけ?

 場末の商店街の定食屋に入って、惰性でおまかせ定食を注文した。
 定食が出てくるまでの間、開け放した出入り口から垂れ流しのインストゥルメンタルに耳を傾けていた。耳を傾けていたっていうほどでもない。自動的に耳に入ってきたと言ってもいい。聞き覚えのある曲だった。しかし、曲のタイトルを思い出せない。なんとなく、思い出してはいけないような気がした。思い出すと同時に、それに付随するなにか哀しい思い出も一緒に帰ってきそうだったからだ。
 しかし音楽は流れ続けて、僕の耳に入ってくる。
 原曲が判らないくらいにソフトに、というか稚拙にアレンジされたその調べ。
 ああ、この曲のタイトルなんだっけ?
 「お待ちどうさん」定食屋の主人の奥さんだろうか、信じられないくらい年老いたお婆さんが定食を持ってきてくれた。
 おまかせ定食にしたのだから、出てきたものに対して文句を言う権利は僕にはない。
 しかし出てきたものを見て驚いた。
 昆布の佃煮と、薄いみそ汁、冗談みたいに大盛りのご飯に、メインはが一切れ。
 一体これはなんだ。僕は昼飯を食べに来たんだが…これではまるで朝食だ。
 はっきりいって営業マンとして一日中、寸暇を惜しんでかけずり回っている身としては、昼飯の時間だけが日常のささやかなオアシスなのだ。それなのに、なんだこれは。なんなんだこの貧相なラインナップは。しかし、「おまかせ定食」を注文してお任せしたのは他ならぬ僕なのだから…やっぱり文句を言うわけにはいかない。
 仕方なく箸をつけることにした。
 みそ汁をひとすする…思った通り、まるでぬるい湯のように味がない。
 耳に入ってくるこの曲のアレンジと同じく、その味は例えようもなく空疎だった。
 ご飯を一口ほおばり、鮭に箸をつける。思った通り、小骨が多い。
 「ノルウェイ産ですわ
 「へ?」僕は顔を上げた。
 「その鮭」婆さんが店の奧にちん、と招き猫のように座ったまま言う「ノルウェイ産だす」
 「はあ」何と相づちを打っていいのかわからない。
 僕以外にたった一人いた客も、払いを済ませて出ていってしまった。
 僕は婆さんと二人っきりで…味のないおまかせ定食をつつくより他はなくなった。
 ノルウェイ産…まあ、そりゃ結構なことだ。今時食べられる鮭の殆どはノルウェイ産なのだろう。普段、僕等はそれを意識することは余りない。しかし、僕等の食卓には世界各地からよせ集められた生き物や、野菜たちのなれの果てが並ぶ。そして僕等はそれを食する。食卓につくということはつまり、世界と向き合うことだ。などと、ろくでもないことを考えていないと、定食の味のなさがますます身に染みてくる。
 ノルウェイ…ノルウェイ…確か、ヨーロッパの北の端っこにあるんだっけな。
 ノルウェイといえば、鮭だ。もしくは海賊。
 それ以上何も連想できない。
 近所のスゥエーデンなら、フリーセックスとか、新薬の産地だとか、ABBAだとか、いろいろ連想できるのだが…。
 と、その時、商店街に延々と流れ続けるふぬけた曲の正体が分かった。
 ああ、そうだ。これは確か、ビートルズの「ノルウェイの森」だ。はっきり言ってその原曲の原形を留めていないが、まるで鼻歌のような軽いメロディ、そうそう。間違いない。これは「ノルウェイの森」。「ノルウェイの森」と言えば、村上春樹だな。といっても、どんな話だったかはっきり覚えてないが。…そういえば、この前階段から落ちて死んだ作家の中島らもが、何かのエッセイで書いてたな。この曲はギターで弾くのがとても簡単で、しかも聞いているほうには“とても複雑なテクニックを駆使しているバカテク・ギタリスト”に見せることができるって。とはいっても、僕はギターは弾かないけど。
 「ノルウェイの森」と「ノルウェイ産の鮭」と「ギター」…思いもよらず、思い出の要素が集まってしまった。たまにこういうことがある。美しくも、楽しくもない思い出。とても人に聞かせられないような思い出。できたら思い出したくはない思い出。
 日頃こうやって、忙しく毎日を過ごしている限りでは、今日のことや、すぐ明日のこと、月末までにしなければならないことに溺れて、思い出などに浸っている暇はない。忙しいのは好きではないけれども、…いやな思い出を抱えている者からしてみれば、それが好都合であることもある。
 
 鮭も、味のないみそ汁も、親の敵みたいに味付けの濃い佃煮も、大盛りのご飯も、まんべんなく片づいている。うむ。これでよし。僕は思い出からずっと遠い時間に生きて、ちゃんとご飯を食べている。すなわち、思い出から生き残って、そしてさらにまだ生きようとしているわけだ。なかなか健全でいいじゃないか。
 
 「…あー」出し抜けに、婆さんが声を出した。
 「は?」僕は思わず婆さんを見上げた。単なる欠伸だった。
 
 もうそろそろ、おまかせ定食も片づきつつある。
 調子外れの「ノルウェイの森」のメロディーは、まだ延々と続いている。
 それは僕に、みどりが最後の日々を過ごした、あの山の中のキチガイ病院を思い出させる。
 中島らものギターに関するエッセイは、のヘタクソなギターの音色を。
 そして、定食のメイン、ノルウェイ産の鮭はミドリを。
 
 僕は定食を平らげて、払いを済まして店を出た。
 まだ「ノルウェイの森」が流れている。僕の気を狂わせるつもりだろうか?
 気が付くと、僕は爪楊枝を銜えていた。
 爪楊枝を銜えて、思い出す物語だろうか…?いや、爪楊枝を銜えて思い出すに相応しい物語である。
 道行く人に、「なあ、いま掛かってるの“ノルウェイの森”ですやんね?」と聞いてみたい衝動にとらわれたが……僕はどうも、人に迷惑を掛けてまで自分のセンチメンタルに耽溺することができない。
 
 げっぷが出た。
 

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