詳しいことは知りませんが
作:西田三郎■地上への帰還
気がついたけど、まだ目隠しをされてソファに座っていた。
服はちゃんと着てて、肩にコートが掛けられている。
不思議とボタンが飛んだはずのブラウスも、元に戻ってるみたい(誰かがまた針仕事してつけたのかね?)
あれ、と思ったけど、とりあえずホッとした。
少なくとも、死んではいない。おかしくもなってないみたいだ。
でも同時に、これが夢じゃないんだってことは思い知った。
脚にはちゃんとパンプスが履かされていて、それ越しに柔らかい絨毯の感触を感じた。
そのソファの座り心地から、あたしは今、最初に通されたあの待合室みたいなところに居ることがわかった。
誰か居るのだろうか?
あたしは一瞬目隠しを外そうとして手を顔に持っていったけど、咳払いを聞いて凍り付いた。
「目が覚めたようですね」
あのおじいさんの声だった。
「…あ、あの」あたしはどんな挨拶をしたものか判らずに、言葉に詰まった。
「夕べはお疲れさまでした。今朝の5時です」
「…あの…」そうか、朝になったんだな。あたしはずっと眠ってのかな「…目隠し、外していいですか?」
「まだ、だめです」おじいさんは落ち着き払っていった「もう少し、我慢していただけますか」
「…はい、あの……」
「仕事は、終わりです。これから、あなたを元の場所にお送りします。」
「…あの、どうも…」少しほっとした。「でも…」
「報酬は、お別れするときにお払いします」
「あ、あの…どうも」
そういえば…あたしは肩に掛けられていたコートの内ポケットに手を伸ばした。確かに、昨日おじいさんから受け取った封筒の手触りを感じた。ますますこれは、夢じゃないんだって実感できた。
それからおじいさんに手を引かれて、またカートに乗った。
大きなハッチをくぐり、長い長い地下道を戻って、またおじいさんに手を引かれて、車に乗った。
その間あたしは無言だった。質問する気もなくなるほど、疲れてたのかな。
「出してくれ」
「はい」今度の運転手は返事をした。
車はまたそのままエレベータに乗って、スロープを登って地上へ出た…そのときあたしははじめて、目隠しを取りたくて取りたくて仕方が無くなった。この車は今、陽の当たる世界を走ってるんだ…と思えば思うほど、目隠しをとってこの真っ暗闇から出ていきたかった。なんでだろうね、その時まで、ぜんぜん平気だったのに。
あたしが落ち着かない様子なのに気付いたのか、隣に座ったおじいさんが言った。
「何か、飲まれますか?」
「え…でも」あたしは素直に言った「何か、混ぜてあるんですか、今日も」
「…」おじいさんは暫く黙った。どんな表情をしてたんだろうか。苦笑い?怒ってる?それとも昨日見たような、無表情のままだろうか。「今日は、何も混ぜてませんよ」
「…じゃあ」
おじいさんはあたしの手に、来たときと同じようなストローを刺したジュース缶を手渡した。
あたしはそれを一口飲んで、人心地がついた。またグレープ味だった。
あたしたちはそのまま暫く黙っていた。沈黙が、ひりひりとあたしに刺さってくるみたいだった。
来たときときよりもずっと、帰り道は長く感じたね。
しらふだったからかな?
車がゆっくりと減速して、停まった。
「目隠しを外していいですよ」おじいさんが言った。
目隠しを外す…まだ薄暗くて、始発直後の駅前は人の姿もなかった。目にはやさしい光だったけど、最初は暗さに目が慣れていたせいで、はじめは何もはっき り見えなかった。やがて目が明るさにゆっくり慣れて…運転席に座ってる運転手の後頭部が見えた。禿げ上がった頭だった。来たときとは違う人だった。
隣を見ると、おじいさんが茶封筒を手に持って、あの無表情な顔で座っていた。
「どうぞ、お確かめください」と、おじいさんがあたしに茶封筒を手渡す。「約束の残り25万です」
「どうも…」あたしは封筒を受け取ると、中を一応改めた。正確には数えなかったけど、ちゃんと万札が入っている。「どうも、ありがとうございます」「…あ、あの…ひとつだけ…」あたしは言った「ひとつだけ、聞いていいですか?」
「はい、何か?」おじいさんは眉一つ動かさなかった。
「あ…あれは…」あたしも慎重に言葉を選んだ。「昨日の、あれは、…いったい何なんですか?」
「………何か?あれに名前が必要ですか?」おじいさんは言った「あなたは、あれに、触ったでしょう?あれに触って、肌でそれを感じた。そうですね?」
「……」
「……それでは、不十分ですか」……つまり、やっぱり聞くなって事みたいだった。
「……………………いいえ」
「………………因みに、いちおう警告しておきます。…………あなたがもし昨日のことをどなたかにお話しになったら………………………」おじいさんが言った。
「殺されるんですか?あたし?」あたしはその先を聞くのが怖くって、おじいさんの言葉を遮った。おじいさんの口からそれを聞くのが怖かったから、自分で言った。
「いえ」おじいさんの口の端が歪んだ。つまりあれは……彼にとっての笑顔だったんだろうか「……あなたは、頭がおかしくなったか、それともうそつきだと思われると思います」
「…でも……」あたしはそう言いながら、おじいさんの言うとおりなんだろうな、と思った。
「それに…」おじいさんが続けた「あなたは全てを見ていない。ずっと目隠しをしていただいてましたからね。あなたは、聞いて、匂いを嗅いで、触れて、味わっただけ。何も見ていないのです」
あたしはおじいさんの目を見た。真っ黒の瞳で…何か生命力ってものをこれっぽちも感じられない瞳だった。あたしはぞっとした…まだ、ゆうべあたしが触れた“何か”のほうが…ずっと生き物らしかった。
「それでは、さようなら。お疲れさまでした」あたし側のドアロックが外れた。
「さようなら」言って、あたしは車を降りた。
日が昇りはじめていたけど、外はとても寒かった。
でも、その冷気を肌で感じて…あたしは地上に帰ってきたことを実感した。
なんていうか…地上に、陽の当たる場所にまた立てたことが、とても嬉しかった。この目でもう一度ものを見ることができて、とても嬉しかった。あの待合室 の中で、訳知り女と一緒に居るのではないことが、とても嬉しかった。あの奇妙なアナウンスと、暗いジャズが聞こえてこないところに居るのが嬉しかった。そ して、この瞬間、躰をあの“何か”に浸していないことが、とても嬉しかった。あたしの躰に絡みつくような、あの何十人もの視線の中に居ないことが、とても 嬉しかった…上手く言えないけど。
あたしが見送る中、おじいさんが乗る黒い車は駅前広場をゆっくりと出ていった。
そしてずっと遠くで、ウインカーを出して右折し、見えなくなった。
…これが、去年のクリスマスの思い出。あとでこの話をもってきてくれた友達の友達の友達の友達あたりを辿って何かを知ろうとしたけど…みんな、曖昧にしか知らないのね。ああいう地下都市が日本国中にあって、そこを知ってるほんの一握りの人達だけが、地下に潜って…そこでしか出来ないことや、そこでしか見られない余興を、愉しんでるんだってさ。それ以上は、判んなかった。あたしも面倒くさくなって、知りたくなくなっちゃったんだけど。
まあ…あたしはその体張って稼いだお金のおかげで、ぬくぬく年を越せて、楽しいお正月を過ごせたってわけ。そんだけ。
…ああ、やっぱりぜーんぜん信じてないね。その顔は。
おじいさんの言ったとおりだな。
あんたもあたしのこと、うそつきだと思うんだ。それとも頭がおかしいって思う?
まあいいや。結構面白い話でしょ?
あれから1年か…おじいさん、元気かな。
最初に電話したあの電話番号?うん、まだ持ってるよ。
あれから一回だけ電話してみたけど、通じなかったけどね。
でも、もうすぐクリスマスでしょ。ひょっとして直前になって掛けてみると、また繋がるかも知んない。
わかんないけどね。多分、地下の人達も、誰かひとりは、女の子が必要になるんだろうしさ。
電話が繋がったら今年も地下に行くかって…?
さあ。
当日になんないと、判んないよ。
(了)
2003.12.20
感想などありましたらお気軽にどうぞ。読んで本気汁出します(笑)
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