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ハードコアな夜
作:西田三郎

「第1話」

■15分前
 
 それは電柱の影から人の家をこっそり盗み見るのに、ぴったりの夜だった。

 思っていたよりいい家だ。
 そのの窓から漏れる光がとても暖かく見えた。
 早くあの光とぬくもりの中に仲間入りしたいけど、約束の時間までまだ15分ほどある。
 15分!この木枯らしの中では永遠のように思える時間だった。
 
 おれはナップサックを開けると、すでに読み古してぼろぼろになっている“段取り”を取りだした。
 台本といっても、50枚ほどのA4コピー紙をペーパークリップで留めたものである。
 それを1週間前にもらってから、それこそ暗記するほど読み尽くしている。
 また家の灯りを見て、それから腕時計を見る。家も、腕時計の針が指す時刻も、まったく変化なし。
 おそろしいほど体感時間が長くなっている。
 あと15分!時間厳守が“奥さん”の注文とはいえ、それにしても長かった。
 
 と、自転車でパトロール中の制服警官が通りかかった。

 やばい、と思った。
 いや、やばいことなどなにもない筈だ。
 おれは何も悪いことなどしていない。しようともしていない。していないが、これからしようとしていることを理解できるまともな人間はどこにも居ないだろう。だいたい、手に抱えていたナップサックの中を見られたらどうなるのだ。これは、言い逃れができない。
 悪いことに…警察官はおれに興味を引かれたらしく、しばらく行ったことろで自転車を停めると、胡散臭げにおれのほうを見た。
 
 「………」おれは思わず、視線を足元に落としてしまった。
 人間やっぱり、心にやましいところがあると視線を落としてしまうものなんだな。夜中に警官に見られて視線を足元に落とすような男が、どれほど怪しく見えるか、想像がつきそうなもんだが。
 警官は自転車を降り、ストッパーを掛けると、肩につけた懐中電灯を手に、こちらに近づいてきた。
 おれはますます小さくなり、無意味に足踏みをし、時計を見た。
 おれの顔に、懐中電灯の明かりが当てられる。
 眩しかったし…その眩しさは警官のおれに対する猜疑心の現れだった。
 
 「何してんの?」警官は言った。金属的にカン高い声だった。懐中電灯の光のせいで、警官の顔は見えない。「え??」
 「…え?」おれは光から目を背けながら言った「……あの……その」
 警官が懐中電灯を消した。
 街頭の水銀灯のやさしい光に照らされ、警官の顔が見えた。
 40代くらいのやせ形で…警官にしてかなり貧相なほうだろう…眉毛が殆どなく、一重瞼にうすい唇、低い鼻……何というかその…酷薄というのを絵に描いたような爬虫類ヅラだった。
 いろんな警官が居るのだろうが、こんなタイミングで最も出逢いたくないタイプの男だ。
 「ほら、あんた。聞いてんだけど」警官は言った「何してんの?ここで?」
 「え……あの………その………」おれはまごまごした。いかにも怪しげだったろう。
 気が付くと、おれは抱えていたナップサックを、子猫でも抱きしめるかのようにひしと抱いていた。
 「………」警官の目がナップサックに止まる。
 「………あ。あの。友達と、その、待ち合わせしてまして。ええ。」
 「…はあ」警官がナップサックを見たまま言った。
 
 これはピンチだ。警官にナップサックを開けろと言われたら、これ以上最悪なことはあるまい。…いやまてよ。たしかこういう街頭の職務質問というものは、正規の手続きを踏んだ警察の捜査活動には当たらないので、職務質問された者はそれに応えねばならない義務はないはずなのだ。拒否の意志を示すこともできるし、たとえそれで交番などに同行を求められた際にも、それさえ拒否できる。おれが右手にデバ包丁を、左手に金槌をむき出して持って立ってでもしない限り、警察にはおれのプライバシーに踏み込む権利はないはずなのだ………と、正確かどうかもわからない法知識で頭の中をぐるぐるかきまわしていると、警官が信じられないことを言った。
 
 「そのバッグに、スキーマスクとか入ってない?ホラ、目出し帽とか。あと、ロープとか、手錠とか、ガムテープとか、ナイフとか、そんなもん入ってない?」
 
 心臓が口から飛び出す…というよりは、肛門から漏らしてしまいそうだった。
 「あ……え???」おれは警官の顔を見た。
 肉を一文字にカミソリで切った傷のような警官の口の端が、ぴくっと痙攣した。
 つまり、警官はおれに……ぞっとするような笑みを投げかけてきたのだ。
 おれの頭が真っ白になり、喉がカラカラに乾き、吐き戻しそうなほど緊張しているのをよそに……警官はおれに対する興味を失ったようだった。警官が懐中電灯を肩に取り付けながら言った。
 「冗談、冗談」警官はおれに背を向けて、停めてある自転車の方に歩いていった「寒いね。おやすみ」
 
 そのまま警官は自転車を漕ぎ漕ぎ、行ってしまった。
 
 ……気が付くと、凍えるような寒さの中で、おれは背中にびっしょり汗を掻いていた。
 スキーマスクにロープに手錠に目出し帽にガムテープ……それにナイフ?
 それらの全ては、おれのナップサックに入っていた。あの警官は霊能者かなんかか??
 警官が唯一透視できなかったのは…このクリップでとめられた“段取り”と、おれの頭の中に記憶されたその内容だけだ。
 
 出世するよ、あんた。とおれは角を曲がりつつあった警官の後ろ姿に思った。
 多分、あんたはその鋭い洞察力で、いつか大事件を解決するだろう。
 
 と、我にかえって、時計を見る。
 15分は瞬く間に過ぎていた。
 死ぬほどのスリルだったが、いい時間つぶしにはなった……。
 おれは“奥さん”の家に向かって、足を踏み出した。
 

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