義父と暮らせば
作:西田三郎
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「第1話」
■ママ・アイ・ラブ・ユー・アンド・ファック・ユー
あたしは働くのがイヤで仕方がない。
だから、大学を出てから、ずっと家でぶらぶらしている。
人がなぜ人生にやりがいだの目標だのを求めたがるのかが、全然理解出来ない。
みんな何かに追い立てられて生きている……誰も追い立ててやしないのにだ。
まったく馬鹿馬鹿しい。
物心つく前から、先へ進め先へ進めとやかましく言われて、小学校、中学校、高校、大学と慌ただしく過ごして、社会に出てはさらなる自己実現を求められ て、気が付けば年老いて全ては後の祭りになっている。そして、自分の人生を振り返って思う訳だ……あの時、あいつのせいで、人生が狂ったとか、夢を諦めた とか、なんとかかんとか。あたしの場合、12の時に母が死んだことは大変都合が良かったと言える。
母はあたしの人生を、まるで自分の人生であるかのように、完全にコントロールしようとした。
多分あのまま母が生きていれば……あたしもほかの誰かと同じように、無駄な人生を過ごしていただろう。
そして、それを母のせいにしていただろうと思う。
母の実家はとても貧しく、少女時代の母は凄く苦労したという……母はその苦労話を、まるで自分の財産でもあるかのようにあたしに相続させようとした。母 の人生はすなわち、今更どうしようもないことに対する愚痴や繰り言を言うことに費やされたと言ってもいい。あたしも相当うんざりしたけれど、子どもは母親 を選べない。
あたしは大人しく聞いていた。……母の気が済むまで。
子どもは母親を選ぶことが出来ないし、母と娘の縁を切ることは結構大変だったけど……夫婦の縁を切ることはそれよりずっと易しい。そんな訳で、あたしの 本当のお父さんは、あたしが10歳のときに、母から逃げ出した。
まあそのつまり、離婚した訳だ。
あたしは実のお父さんのことが好きだったか?……さあ、正直言ってよくわからない。多分、母よりはマシな人だったと思うけど、なんかものすごく印象が薄 いのだ。だいたいあまり家に居なかったし、二人で遊んだりした記憶もない。多分、ほんとうのお父さんは、母のことはもちろん、母が居る家庭がイヤでイヤで 仕方なかったんだろうね。つまり、あたしのことも含めて。
そんなこんなで母はお父さんと離婚したけど、最短の1年ですぐ再婚した。
当時、11歳だったけど、信じられなかった。あんな母みたいな女と、しかもあたしみたいなコブがついてるっていうのに、それでも結婚したがる人が居るな んて。
とにかく母と再婚した男性……つまり今のあたしのお義父さんは、信じられないくらい優しくていい人だった。よくあるでしょ?新しい母の再婚相手に娘が反 発を抱いて“あんたなんかほんとうのお父さんじゃない!!”とか言うメロドラマみたいな話。
ああいうのは全然なかったね。
とにかくお義父さんは優しかった。
お母さんはさすがに猫被ってたね。
3人で一緒に暮らしたほぼ1年間は……気持ち悪いくらい幸せだった。
まるでずっと昔のテレビドラマみたいに。
で、お母さんは猫被ったまま、癌で死んだ。
ほんとうに短い結婚生活だった。
お母さんは22であたしを産んだから、死んだときは34歳。まだまだ若くて綺麗だったと、娘ながら思う。
その中身は、とんでもなかったけどね。
お義父さんはその時41歳。ものすごく、落ち込んでるのが判った。見ていて気の毒になるくらいに。
母のお葬式の日、あたしは泣いた。
いちおう人並みに娘らしく涙を流してみせたけど、それがあまりにも打ちひしがれたお義父さんが、可愛そうで仕方がなかったからだ。しかし、得だよね、お 母さんも。ネコ被ったまま死んじゃうなんてさ。絶対、あと、1年も生きてりゃあ母の本性が露わになって、お義父さんもそれにうんざりすることは目に見えて いた。母はずる賢く、利己的で、ほんとうに厭な女だった……それは娘のあたしが一番よく知っている。
それを綺麗な思い出だけ遺して、死んでしまうなんて……まあ、母らしいといえば母らしいけど。
出棺のとき、棺桶に泣き縋るお義父さんに寄り添って、あたしははっきりこう言ったのを覚えている。
当時12歳だったけど、あたしは自分で自分を誉めてあげたくなるくらいしっかりしていた。
「……お義父さん、大丈夫だからね。お義父さんには、さゆりがついてるから」
お義父さんは泣きながらわたしを抱きしめた。
「ありがとう……ありがとう……」と何回も繰り返しながら。
母はそのまま火葬場へ運ばれて、灰になった。
火葬場の煙突が煙を吹いている間、あたしはそれをぼんやりと見上げていた。お義父さんは少し離れたところで、親戚の人に励まされながら泣いていた。どう のこうのとお義父さんに声を掛ける親戚の連中を見てると、ほんとうに虫酸が走った……連中は、単に悲しみのおこぼれに預かりに来ただけだ。
バカバカしい。ほんとうに辛いのはお義父さんなのに。
母はどんどん煙になって空に登っていく。
こんなことを言うとなんだけど、あたしの気分は晴れ晴れしていた。
さようなら、お母さん。
お母さんの小さいときの苦労の記憶も、お母さんの躰の中を満たしていた憎しみも、嫉妬も、コンプレックスも、同じように空に登っているのだろう。
とにかく、あたしの人生から母は消えた。
お義父さんは入れ替わり立ち替わりやってくる親戚の激励に、泣きながら応えている。
とりあえず、お義父さんのことは任せてね、とあたしは登っていく煙に心の中で呼びかけた。
<つづく>
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