電話問答 作:西田三郎 ■悲壮
翌日、おれは少しいいスーツを着て、妻と一緒に娘のピアノの発表会に行った。
昨晩、家に帰ると、ユカリはもう寝ていた。妻は怒っていたが、あまり気にならなかった。妻の顔も、ユカリの寝顔も、普段と同じ気分で見ることができた。
発表会場はこの日のために新調したドレスを着た女の子たちと、それを口実に新しい服を買った若い奥さん方で一杯だった。妻も同じく、娘のブルーのベルベットのドレス購入に伴って買った、薄いグレーのシックなスーツを来ておれの横に座っている。
妻を見た。相変わらず、若々しくて美しいと思った。別に偽善で言っているのではない。
妻は子どもを産んでからも、体型の維持や、ヘアスタイルや、小綺麗に見える服装には気を使っている。女としてはまだまだ現役だ。というより、とても娘が居るようには見えない。それに引き替え、おれの方はどうだ。いつもよりいいスーツを着ては居るが、本当の年よりも10は老けて見えると、自分でも思う。
会場には発表会についてきた、お父さん方の姿も見られた。どいつもこいつも冴えない顔である。当然、そこにはおれ自身も含まれている。こんなつまらなそうな、草臥れきった連中にもやはり、タチバナのような愛人が居たりするのだろうか?
ユカリの出番を待つ間、おれはタチバナのことを思い出していた。
あの後タチバナとは、ほとんど口を効かずに別れた。
しかし、昨日はしっかり中に出してしまったので、そのことに関する不安も少しはあった。タチバナは一言だけ「今日は大丈夫だから」と言ったが、それが信用できるかどうかはわからない。
口を効かなかっただけではなく、タチバナはあの後一回もおれに目を合わせなかった。何か言いたげなな感じだったが、結局はなにも言わなかった。
そろそろタチバナとの関係は終わりだろうか?
それはそれでいいかも知れない。
しかし、週明けには、またタチバナと会社で顔を合わせる。
で、来週木曜には?
やっぱりタチバナとどこかの連れ込みにシケ込んでいるんだろうか?
ユカリの出番が来た。
青いベルベットのドレス。袖と、スカートの裾にはレースがついている。
ユカリは幸いなことに妻に似ている。
親馬鹿と言われるかも知れないが、とても可愛い。将来は妻そっくりな美人に育つだろう。
ユカリがステージの上から一礼し、演奏をはじめた。
ベートーベンのピアノ・ソナタ。家でも繰り返し練習している曲だ。
昨晩の疲れがどっとでて、おれはいつの間にか眠っていた。
(了)
2004.03.06
感想などありましたらお気軽にどうぞ。読んで本気汁出します(笑)
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