蛇蝎 作:西田三郎 ■手に包帯
七瀬には、親友の恭子の紹介で出会った。恭子が先月出た合コンに出ていた別の友達が、さらにその前に出た合コンに人数あわせで連れてこられたのが七瀬だったらしい。非常に遠い人脈のように思えるが、まあそれもよくある話だ。
藤枝が七瀬にはじめて会ったのは、恭子がセッティングした“紹介”のこぢんまりした席での事だった。場所は近所の小さな居酒屋。恭子は藤枝とは学生時代からの友人で、藤枝とは違う会社に勤めている。藤枝は恭子のために、会社の同僚である保坂という30前の独身男を連れていった。その代わりに恭子が連れてきたのが、七瀬だったというわけだ。
「どうも…七瀬といいます…」
ずいぶん控えめな印象の人だな、というのが藤枝の七瀬に対する第一印象だった。
歳は28。藤枝より3つ年上である。痩身で面長。ノーブルな顔立ちはハンサムと言えないこともなかった。あまり人と話すのが苦手なのか、それとも女性と話すのが苦手なのか、口数は少なかった。シングルで細身の紺のスーツ。シャツは薄いブルーで、ネクタイはスーツに合った濃紺。服の趣味も無難だが、そう悪くもない。
恭子と、藤枝が連れてきた保坂は気が合ったようである。
顔を合わせてから話すのは恭子と保坂ばかりで、藤枝と七瀬はその二人の会話に相づちを打つくらいで、あまり話さなかった。
藤枝も、どちらかと言えばあまり話上手なほうではない。
また、どちらかと言えばこんな合コンめいた場はあまり得意なほうではない。
何となく、気が合いそうな気がした。
恭子が頼んだ塩焼き鳥をバラしながら、その時、藤枝が七瀬と交わした会話で覚えていることはひとつ。何気ない、どうでもいい質問だった。
「あの…手、どうされたんですか?」
「ああ…あの…これ、ですか?」七瀬が左手を挙げた。
七瀬は左手の小指と中指を、包帯で固定していた。
七瀬は遠慮がちに一瞬藤枝の目を見ると、その目をすぐ伏せて呟くように言った。
「…ちょっと、仕事で段ボールに挟んじゃったんですよ。どうも、そそっかしくて…」そう言って、七瀬は前歯を見せ、笑った。シャイな少年のような笑顔だった。
その瞬間、藤枝は七瀬に恋に落ちた。
1週間が経った金曜日、交換した携帯電話の番号に先に電話をしたのは、藤枝のほうだった。
「…あの…あ、この前の…ええと…藤枝…さんでしたっけ」電話の向こうの七瀬の声は、相変わらず遠慮がちだった。
「名前、覚えてくれてたんですね。嬉しい」とりあえず七瀬が自分のことを覚えていてくれたことを、藤枝は素直に喜んだ。「…あした、空いてません?」
「…え、明日…ですか」電話の向こうで、七瀬が手帳めくる音がした。本当にどきどきした。こんなに胸が高鳴ったのは、十代の頃以来かもしれない。長い沈黙の後、七瀬が言った。何の衒いもない声だった。「…あ…明日でしたら、空いてます」
「ほんと?じゃ、映画に行きましょう!映画!」舞い上がっている自分に気づいた。
「…え…僕と?…いいんですか?」
その日は残りの仕事も手際よく片づいた。
藤枝は明日のデートに着ていく新しい服と、化粧品と、香水と、新しい下着を買うために5時きっかりに会社を出た。そういえばここ数ヶ月、新しい服を買っていないことに気づいた。
寂しい生活だったな…藤枝はひとりごちた。
まあ、あんまり舞い上がらない方がいい。今回だって、そんなに思うように上手くいくとは限らない。もう、子どもじゃないんだから。
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